学生の本分は勉強とよく言うが、当人たちにとって最も熱中すべきは部活動であり、友人との交遊なのだろう。
その日も体育館には部活動に打ち込む生徒たちの駆ける音やかけ声が響いていた。
「一年っ、遅い!」
「ぅっす!」
ドリブルをしながらの走り込みは一本一本はさほどではないが、それが何十本もとなるとさすがにペースが落ちてくる。乱れた息を整えるようにはっ、と息を鋭く吐いて、アルフレッドは再び走りだした。正確に、そして疾く。
男女共学化が進む中で、未だに伝統ある男子校を貫き続けているのがアルフレッドの通うこの学校である。教育理念として文武両道を掲げているため、部活動も盛んだ。名のある大会で優勝する部も多く、それがまた各地から生徒を呼ぶことで共学化を免れているといってもよいだろう。
中でもアルフレッドも所属しているバスケットボール部は全国有数の強豪校と呼ばれ、部員数も同じく強豪と呼ばれるサッカー部に次いで多い。そんな中、一年で試合に出させてもらえているのは奇跡と言っていい。
だからこそ、もっと強くならないと。
だからこそ、アルフレッドは喉を締め付け続ける焼けついた渇きをぐっと飲み込んで、それを紛らわすように走り続けた。
もう何本目かも分からないダッシュを踏み出したとき、
「学生注目―――!!」
キャプテンの声が雑音を貫いて体育館に響いた。
顧問に呼び出されて練習を抜けていたキャプテンが帰ってきたことに、部員たちも練習をやめてぞろぞろと彼のもとに集まる。
キャプテンが呼び出されていた理由、それは次の練習試合の相手校についての相談だ。練習試合は、他校の生徒と交流できる数少ない機会の一つであり、2軍も試合に参加できる場合もあるため、バスケ部員全員の注目を集めていた。
「次の練習試合の相手が決まった……」
キャプテンの重々しい声が、静まり返った体育館を満たす。その剣呑な雰囲気に、部員達も生唾を飲み込んだ。
「なんと、あのT校だ!!」
キャプテンの高らかな宣言に、体育館が沸いた。
「T校って、少し前まで女子高だったところだよな!」
「あそこの女子はレベル高いぞ!」
「男の数も少ないしな!」
「マネージャーは全員女だってよ!」
男子校の特徴として。
彼らは慢性的に女に飢えている。
例えば、『文化祭? ポイントはいかに女子高生を呼べるかだろ?』が、彼らの常識であるように。
今回練習試合の相手校となったT校は、5年前に共学化した学校ではあるが、その共学化からの歴史の浅さから未だに女子生徒が男子生徒の倍以上いる状態が続いている学校である。つまりは、男だらけの学校に通う部員達にとってそこは楽園に等しい。
バスケといえば数ある運動部の中でも花形的な立ち位置にあり、女子からの人気も高いスポーツ。
練習試合を見に来る女子。響く黄色い歓声。第二ボタンまで開いた女子制服。見えそうで見えないスカートの中身。そんなものに想いを馳せる。
この試合で活躍をすれば、可愛い女子とお近づきになれるかもしれない。あの、シュートの瞬間がカッコよくって……、なんてことを言われたりする可能性だって無きにしも非ずだ。それがきっかけで付き合うことになったりして。ああ、こんにちは、リアルに充実した日々、さようなら、寂しくむさい日々。
そんな風になればなぁ、なんて妄想が部員全員の頭にあった。所詮彼らは男子高校生である。
「マネージャーが男で悪かったな」
ざわついた体育館でもよく通る声が皮肉交じりにそう告げた。体育館の入口にはいつの間にか書類の束を持った少年が立ってた。
「うっせ、むさい男がマネージャーとかどんな罰ゲームだ」
「そうだそうだ。美人で色っぽいマネージャーを要求する!」
「俺は可愛い系がいい」
「『試合頑張って』って可愛く言ってくれるマネージャーが欲しい」
「とりあえず女がいい」
「ここは男子校だ、ばかぁ」
騒ぎ立てる部員達を一言で切り捨てて、バスケ部唯一のマネージャー、アーサー・カークランドは持っていた書類をバサバサと振って見せた。
「練習試合の要項だ。とりあえず各自、目を通せ」
粗悪な紙に印刷されているのは、T校への地図、集合時間、当日のタイムスケジュールなど、練習試合の相手が決まった放課後から今までの短時間で作ったとは思えない綿密な書類だ。
相変わらずすごいなぁ、とアルフレッドも内心で舌を巻いた。
マネージャーの仕事の中で、人手がいる場合こそ部員の一年が借り出されたりするものの、それ以外の事務や選手の体調管理などは彼が一手に引き受けている。アルフレッド達がこうやって思うままに練習に打ち込めるのも、アーサーの存在があってこそだった。
部員全員に書類が行き渡ったことを確認したアーサーがざっくりと説明をする。
「T校は隣町だから現地集合な。自転車かっとばして行け。場所は地図も付けたし大丈夫だよな。それでも分かんねぇならググれ。ちなみに、一秒でも遅刻したらぶっ飛ばす」
「マネージャー、自転車がない電車通組は、」
「走れ」
「酷っ」
その即答具合に、電車通ではない者までもが突っ込みを入れた。ざわざわと笑いが起こる。
「午前は合同練習。昼を挟んで午後から練習試合な」
「これ、レギュラー死ぬんじゃね?」
「いっぺん死んで来ればいいと思う」
「そりゃあんまりだろ!」
「こんなメニューでへばってるやつにレギュラーは任せられないからな。……まあ、頑張れ」
最後に投げやりに付け足して、アーサーは説明を締めくくった。それを受けて今度はキャプテンが口を開く。
「じゃあ、練習試合のメンバー決めるぞ」
「とりあえずアルをスタメンに入れとこうぜ」
「えっ? 俺? 何で?」
いきなり話を振られたアルフレッドがわたわたと慌てる。視界の隅でアーサーが書類で口元を隠しながら笑っているのが見えた。なんとなく気恥ずかしくなって目をそらす。
「何でって、そっちの方が女子集まるからに決まってるだろ?」
「練習試合のスタメンをそんな理由で選んでいいわけないだろ!」
確かにスタメンとして出たい気持ちはあるが、その選考理由が顔がそこそこいいから、なんて絶対に嫌だった。
だが、躊躇するアルフレッドとは裏腹に、キャプテンは軽い口調でその案を肯定した。
「や、いいんじゃねぇか? スタメンで。そろそろ1,2年メインでチームを組まなきゃいけない時期だしな。どうする?
アルフレッド」
「で、出ます。出させて下さい!」
「よし。じゃあ他の奴は……」
キャプテンが他のスタメンを推薦していく。それを片耳で聞きながらアルフレッドは先ほど逸らした目をアーサーの方へと戻した。部員達を見回していた碧眼と目が合う。
どこか硬い印象を受ける緑玉が、アルフレッドを映した途端わずかに緩んだ。口元を隠していた書類をずらして、声を出さずに唇を動かす。
『よかったな』
それに頷きを返して、アルフレッドは笑って見せた。音のない返答にアーサーも笑みを浮かべる。
「じゃあスタメンは以上のメンバーで行く。試合に出ないからって手を抜いてるとマネージャーにブッ飛ばされるからな、さっさと練習に戻るぞ」
「「うっス」」
キャプテンの一声でミーティングは終了となり、部員たちは練習へと戻って行った。
「ふぅ、疲れたー」
身体のいたるところが限界を訴えている。ぐっ、ぐっ、と背筋やふくらはぎを伸ばしながら、アルフレッドは手早く帰りの支度を整えた。
早くしなければアーサーがやって来てしまうから。
せめて練習試合が終わるまで。彼と二人きりになるわけにはいかなかった。本当は色々話したいことがあるし、スタメンに選ばれた事を一緒に喜んでほしかったけれど。今は、まずい。
「喉、乾いたなぁ」
ぽつりと呟いた声は夜気に溶ける。いくら日が長い季節とはいえ、この時間帯ともなれば周囲は闇に溶け込んでしまっていた。
早く帰らなければと思っていたのに、ついぼんやりしてしまって、部室等の階段を下りる音にアルフレッドは我に帰った。この足音はアーサーだ。その日の反省や明日の朝練の準備、部室の施錠までを担当するアーサーは必然的に帰りが一番遅くなる。
いつもなら、夜道は危ないからなんて男相手にはなかなか使わない言い訳をして一緒に帰るのだが、今一緒に帰れば、彼と二人きりになれば、必ず彼はあの話を切り出してしまうから。それを阻止する術をアルフレッドはこれくらいしか知らなかった。
放課後の練習が始まる前に作ったスポーツドリンクの余りを喉に流し込んで、アルフレッドは軽やかに自転車にまたがった。背後から何か声が聞こえたが、無視。
全速力で自転車をこいだ。夜の気配に背を押されて闇を疾走する。
喉が渇いて、仕方がなかった。
練習のときは30分前には必ず到着して、アップや自主練をすること。
思えばこれが彼に初めて教え込まれた事だった。
集合時間の40分前。ききっ、とタイヤを鳴らしてアルフレッドはT校の校門前で自転車を止めた。指定された駐輪場に自転車を押していく。こんなところまであの要項に書かれているものだから、本当に抜かりない人だなぁと思った。
駐輪場にはすでに何台か自転車が止まっている。何となく出遅れた気分になって、訳もなく悔しかった。
見慣れない校舎に目をやりながら、アルフレッドは体育館へと向かう。ちらちらと見かける女子生徒はやはり練習試合の観戦に来たのだろうか。
体育館は何年か前に改築されたため床も壁もきれいで、いい加減自分の学校も改修を行うべきなんじゃないかと考えた。
体育館には各々ストレッチをする部員達。そして、それらを見るアーサー。
「ウィース!」
「「ウィース」」
アルフレッドが条件反射であいさつをすれば、部員達から返事が返ってくる。自分も練習に加わろうと更衣室へ急ぐアルフレッドを、アーサーが腕を掴んで引き留めた。
「話がある。時間、いいか? いいよな、よし、行くぞ」
「えっ、ちょっと、アーサー?!」
反論の余地を与えないアーサーに、アルフレッドは成す術なく引き摺られて行く。
アルフレッドを用具室に連れ込んで、アーサーはようやく振り向いて目を合わせた。
「何で呼ばれたかは、分かってるよなぁ?」
「あ、その……ハイ、」
やっぱりあのことだろうなぁとアルフレッドは語尾を濁した。なんとか逃げ回ってきたというのに、最後の最後で捕まってしまうとは。
「なら話は早いな」
そう言うが早いか、アーサーは右手でアルフレッドの後頭部を、左手で自分の着ているウィンドブレーカーの襟を引っ張り、肌蹴た首元にアルフレッドの顔を押し付けた。
「……っ!」
アルフレッドの唇がアーサーの首筋に触れる。鼻先を彼の匂いがかすめた。
これはやばいって!
理性を総動員して、アルフレッドはアーサーを突き飛ばした。僅かによろけたアーサーが何をするんだと言わんばかりの目で睨んでくる。
「お前なぁ! 一体何日血ぃ飲んでな、もがっ」
このまますらすらと言葉を連ねていきそうなアーサーの口を掌で押さえた。もう一方の手の人差し指を立てて己の唇に持って行きながら、アルフレッドは「しー」と唇から音を出して見せる。静かに、という意思表示だ。
「声が大きいよ、アーサー」
外界の音に耳を傾ければ、すでに多くの人間が体育館に集まっていることを知ることができる。
「君らしくないね。こんな場所でそんな話をするなんて」
それがどれだけ危険なことか、彼だって理解しているだろうに。
アーサーが手を外すように促すので、アルフレッドは大人しく手を離した。これで少しは冷静になってくれただろう。
「だってお前、最近俺のこと避けてたじゃねぇか。これくらいしかお前と二人になる方法なかったし……」
「俺は君と二人きりになりたくなくて逃げ回ってたんだよ」
「なんで」
「さっきみたいなことするから」
「でも、お前もう何日も血飲んでねぇし……」
アーサーが自分の首筋に手を当てながら、俯きがちに呟いた。
ああ、また面倒臭いこと考えてそうなんだぞ……
鬱モードに突入したアーサーの扱いにくさを知っているから、そこに陥ることだけは避けたいのだが。
というか、白い首筋の誘惑にそろそろ耐えきれなくなりそうだから早くしまってほしい。噛みつきたい。その張りのある若い肌に牙を立てて、思うがままに血を啜りたい。
その衝動をアルフレッドは必死で押さえこんでいた。
吸血鬼、と呼ばれる存在がいる。アルフレッドはその血を母から半分引いていた。他の吸血鬼もそうなのか、それとも己がハーフだからそうなのかは分からなかったが、アルフレッドの場合、人間の食事も食べれるし、最低限の栄養補給はそれだけで事足りる。そう言う意味では、アルフレッドに吸血という行為は必要ない。
ただ、時折どうしても芳醇な鮮血が恋しくなる。けど、だけどさ、
「俺は……もう用無しか……?」
アーサーが悲痛な声を出す。ああ、だからそう言うんじゃないんだって!
「あのさぁ、アーサー」
アーサーの襟もとを直しながら、アルフレッドはその瞳を覗き込んだ。
「俺はさ、ドーピングとかしたくないだけなんだって」
「ドーピング……?」
人間の食事で、最低限の栄養補給は事足りる。ならば吸血行為にどれだけの意味があるのか。もちろんあるのだ。あるからこそ、アルフレッドはその行為を現在進行形で拒んでいる。
人の血が吸血鬼にもたらすのは、その身体能力の飛躍的な上昇。
「俺はああやってみんなでバスケをするのが好きだからさ、ズルはしたくないんだ」
「ズルって……」
「日常生活とかならセーブできるんだけど、試合じゃそんなことできないからうっかり出ちゃうんだよ。だから、限界まで削っておこうかと。流石にこれだけの断食はキツかったけどね」
そう言って苦笑して見せる。
「そっ、か。悪い、お前のこと、何にも考えてなかった」
「どうせ君のことだから、俺が他の女の人の血でも吸ってると思ったんだろ」
「ぅ…………」
「やっぱり図星だ。俺って結構一途なんだから、君もそれをそろそろ分かってくれてもいい時期じゃないかい?」
アルフレッドは真っ赤になったアーサーの顔を覗き込んで、笑った。悲観主義者のこの人があっさり納得するとは思わないけど。
「俺は君が好きだし、君以外の血はいらないんだぞ」
耳までどころか、首まで赤く染めたアーサーが言葉にならない呻き声をあげる。酸欠になったように口をパクパクと開閉させた。
「できることなら君が納得するまで語ってあげたいんだけどさ」
そこでいったん言葉を切って、アルフレッドは腕時計を覗き込んだ。
「そろそろ時間だから、また今度だね」
「え、時間、って、おい、急がないとまずいぞ、早くしろ!」
アーサーの表情がいじらしい恋人のそれから、敏腕マネージャーへと変わる。その切り替えの速さに苦笑しつつも、アルフレッドは素直にその声に従った。
「アルフレッド」
着替えるためにロッカーに行くアルフレッドを、アーサーが呼び止める。まだ何かあっただろうかと首を傾げるアルフレッドに、アーサーが笑いかけた。
「試合、頑張れよ」
「もちろんなんだぞ!」
そう笑い返す。
美人で色っぽくて、けれどどこか可愛くて……、ねぇ、最高のマネージャーだと思わないかい?
な、なんて尻切れな感じに……。「バスケ部な米とそのマネな英」とのリクエストでしたが、いかがでしょうか。
あと米は吸血鬼のハーフで、とのことでしたので頑張って入れてみましたが、無理矢理感がぬぐえませぬ……。
岸田真希さま、リクエストありがとうございました。書き直し承ります(10/07)