大学の構内で、見慣れた黒髪を見つけた。
いや、見慣れたという表現はおかしいか。あんなに艶やかな黒髪を見たのは、生まれた初めてだ。
咄嗟にその背を追ってしまって、声をかけるべきか悩んだ。けれど迷えば迷うほど決断は鈍ることを知っていたから、思い切って声をかける。
どうせ人違いでも、歴史の教科書でしか見ない単語を突然口にした変人の称号がつくだけだから。
「日本!」
見知らぬ東洋人が驚いたように振り向く。けれどそのおもざしはよく知るものだった。
「アメリカ、さん……?」
その声がどこか躊躇いがちなのは、やはり人違いを恐れてのことなのだろう。
そんな仕草までもが変わらない旧友に、ニコリと笑いかけた。
「今はアルフレッドさ」
統一歴547年。
度重なる大戦の末に、国という概念が消えて久しい。尤もその消失は国の疲弊による“解体”というよりも、“同一化”と呼ぶ方が正しいのだろう。国際化が進む中で国という概念が重視されなくなり、国民、国固有の文化、そんなものが互いに混ざり合うことによって国と国の線引きが曖昧になって、国を国たらしめていた国民性が薄れて行って、そんな末での消失だった。
「俺達がいなくても、世界は変わらないね」
「所詮は人の営みの枠が大きくなっただけなのでしょう」
かつて、国の特色を反映した人格を持ち、国そのものであったヒトガタの記憶を保持した彼らは眼下に広がる街並みを見下ろしてそんな言葉を交わした。
「いやー、それにしても日本が――あ、今は菊だっけ?――俺より年下になる日が来るなんて思ってもみなかったんだぞ」
あの頃と見た目は全く変わっていないが、アルフレッドの通う大学のオープンキャンパスにやってきたという菊は今年高校3年生だという。
「アメ、アルフレッドさんは大学生ですか?」
「アメリカでいいよ。俺は2年生さ。今年の7月で19」
「おや、ではプレゼントを用意しませんと」
「本当かい?! 日本のは性能もいいから大歓迎さ! って、今はそんなことはできないね」
「今は一介の高校生ですからねぇ」
もう国はない。国民も、国土もない。自分達はただ当時の記憶を持つだけの徒人だ。
「人間って、けっこう退屈なんだぞ」
「楽しかったですね、国と言うのも」
何もかもが無限大で。可能性も、未来も、すべてこの手にあった。
からっぽの掌を眺めているだけでは、何も起こらないと、知ってはいるけれど。
「どうしていいのかわからない、ってのがホンネかな」
青い空を見上げて、アメリカは彼らしくない寂寥のにじんだ笑みを浮かべた。
真っ直ぐにその空の果てを目指せていたはずなのに。纏わりつくしがらみに、体はどんどん重くなっていく。
「アメリカさんでも、そんなことを思うんですね」
「自分でもらしくないって思うけどね」
苦笑してアメリカは自分の掌に目を落とした。
「こんなんだから、彼にも会いに行けないんだろうなぁ」
「彼、とは……?」
「分かってるくせに」
「いえ、多分あの人なんだろうなぁとは思うのですが……まだ会いに行ってなかったんですか?」
遠慮がちに日本がアメリカの横顔を見た。気まずそうに眼を逸らす仕草が、その予想を裏付ける。
これは、本当にあのアメリカだろうかと日本は言葉を失った。
あの強引で、我が道を行くアメリカはどこへ行った。そう思って、いやと思いなおす。
「相変わらず、あの人には強く出れないんですね」
「相変わらずって……、うん、でも、そうだね」
いつだってそうだった。受け取ってもらえないことを知りながら、この青年は好きだよと微笑みかけるだけだった。手を伸ばすことも、距離を詰めることもせず、ただただ微笑んで、頑なな彼を見つめていた。
「でも、今なら返ってくる答えは違うのでは?」
彼は、俺達は“国”だからとだけ言って、それ以上拒みも受け止めもしなかった。彼が張り巡らした予防線が消えた今なら、ただの人である今なら、
「うーん、そう思うんだけどね、返ってくる答えが必ずしも俺にとって喜ばしいものであるとは限らないじゃないか」
「いつからそんなにヘタレになったんですかアメリカさん」
「ヘタレって、イタリアほどじゃないんだぞ」
「論点はそこではありません」
ぴしゃりと言い返されて、アメリカはう、と口をつぐんだ。日本はため息をひとつついて、その表情を和らげた。
「じじいに言わせますとね、」
そう、まだ高校生の少年は穏やかな口調で言った。
「いくら砕けたっていいじゃないですか。まだまだ若いんですから。何もないからこそ、その手を伸ばせるんでしょう? 可能性も、未来も、すべて投げ出すことだって、今ならできるんです。振り向いてもらえないかもしれないと俯くくらいなら、絶対に振り向かせてやる、くらいの気概を持ちなさい」
そこでいったん言葉を切った日本は、それから、と、少しだけ悪戯っぽい表情を作って続けた。
「貴方はあの人があなたの数百倍は悲観主義なのをお忘れですか? いつまでも会いに来てくれない貴方に、あの人はどんな思いでいらっしゃるのでしょうね」
「案外、もう愛想尽かされちゃってたりね」
「ええい、面倒な人ですね。余計なことはすべて忘れて全力でぶつかってきなさい。万が一砕けたら私が責任もって直して差し上げますから。何百というプラモデルを組み立ててきた私の腕を信じなさい」
「ははっ、それは心強い」
軽口はすべて自分を勇気づけるための言葉と知っているから。
あの頃と変わらない、闊達な笑顔を取り戻してアメリカは再度顔を上げた。
「うん、日本の言うとおりだね。こんなところで立ち止まってる暇はないんだ。会いに行くよ、彼に」
見上げた空は快晴。吹き抜ける風は何処までも一途にきらめいて。
広げた翼は、ぎこちなくて、頼りないけれど。
大丈夫、この風が連れて行ってくれる。
さあ、今すぐキミに会いに行こう。
楽曲から妄想シリーズ第二弾。しかし今回は続かない。
これでも米英だって言い張るんだぜ。国の時も米→←英だけど、最後までくっつかないのもいいかなぁと。何もかもがあるからこそ、手を伸ばせないこともあると思うのです。
タイトルは『after dream』とどっちにしようかと思ったんですが、シンプルに(11/14)