突然のバイブ音にアーサーは大きく肩を揺らした。勉強のように集中して何かに取り組んでいるときにこうやって不意を突かれると、どうしても大げさな反応をとってしまう。
バクバクと早鐘を打つ心臓をなだめて、アーサーは机の端に置いていた携帯をとった。ピカピカと明滅するバックディスプレイの色は明るいブルー。
こんな時間に何の用だ?
勉強に夢中になっていたせいで時間の感覚がないが、もうずいぶんと遅い時間のような気がした。
開いた携帯のディスプレイには、新着メールを告げるフェアリーのアニメーションと、その上にデジタル時計。メールを確認する前に現在の時刻を確かめれば、9時を少し回ったころ。2時間前には食事も入浴も済ませて机に向かっていたアーサーにとってはもう遅い時間だ。
少し前までは深夜だろうが早朝だろうが授業中だろうがお構いなしにメールが送られてきたものだったが、アーサーが本格的に受験勉強に取り組むようになってからめっきり回数を落としていた。そんな、恋人からのメール。
何だろう、緊急の用事でもあったのだろうか。それとも単に暇だったから?
カチカチと携帯を操作してメール画面を呼び出す。タイトル部分に踊る『指令!!』の文字。
いったいなんだと本文を開けば、一文だけ。
『5分以内に支度して外に出てて』
「はぁ?」
メールの着信時刻9:03。現在の時刻9:10。もう5分はとうに過ぎてしまっている。パタリと携帯を閉じて、メールの内容を反芻した。支度って一体何の? 外に出ろ? 意味がわからない。
意図の読めないメールに途方に暮れていると、再び携帯が震えた。バックディスプレイに浮かんだのは先ほどと同じカラーだが、明滅パターンが違う。今度は電話だ。
「もしもし、」
『あっ、アーサーかい? もー、5分以内に外に出てて、ってメール送ったじゃないか』
「いや、メールは来たけど、なんで外にいないって知って、」
まさか。
机から立ち上がって慌てて窓辺に駆け寄る。カーテンをかき上げて窓を開ければ、寒気がさぁぁああと暖かい部屋に滑り込んできた。キン、とした冷たさに耐えて下を見れば、暗がりに浮かぶ金髪がある。
窓の開く音に気がついたのか、こちらを向いてひらひらと手を振った。
「アルフレッド……」
『やあ、アーサー』
9時過ぎといえば閑静な住宅街にとっては深夜にも等しいため、大声を出すことはできない。相手の顔が見えているのに電話越しに会話をするのは奇妙な気分だった。
『ほら、早く支度して出てきてよ。今くらいの時間に出ればちょうどなんだ』
「ちょっと待て、何の話だ」
アーサーの戸惑う声にアルフレッドがくすりと笑ったのが聞こえた。
『勉強ばっかりじゃ、君だってまいっちゃうだろうからさ』
ほしをみにいこう。
アルフレッドのこぐ自転車の荷台に乗ったアーサーは風を切る冷たさから逃れるふりをして、目の前の背に額を押しつけた。
布越しの体温に、どうしようもなく泣きそうだった。
不安が募っていた。この恋人の心はまだ自分にあるのかと。
女々しい考えだと思うのに、どうしたって不安は消えてくれないのだ。
毎日飽きもせずにおはようとおやすみとそれ以外にも山ほど送られてきていた恋人のメールがパタリと途絶えた。それはアーサー自身が勉強に集中したいからとアルフレッドに望んだことだったのに、送られてくるメールの量が、そのまま自分に向けられた熱量のような気がしていて。
無言を貫く携帯にただただ裏切られたような気分を味わった。
今にでも飽きられてしまうんじゃないかと、そんなことばかりに怯えている。だって自分は男で、愛想なんてあったもんじゃなくて、些細なことで喧嘩ばかりして、そんな馬鹿な奴なんかよりずっとこいつの隣に立つのに相応しい奴がいることに、こいつが気づいてしまうことが怖くて。考えれば考えるほど、こいつの幸せだとか、そんなものよりも自分を最優先にしていることに気づいて、激しい自己嫌悪に襲われる。
そんなに不安なくせに、臆病なくせに、その心を確かめる唯一ともいえる手段を手放してしまった自分はなんて愚かなんだろう。
そんな思考に絡め取られていたから、アルフレッドがどこに向かっているか、まったく関心が向かなかった。キキッ、とブレーキ音がして、アルフレッドが振り向く気配ではっと我に返った。
「着いたよ」
「着いたって、どこに」
「わかんない?」
そうと返されて周囲を見回せば、見覚えがあるような、ないような。
「緑地公園?」
「正解」
アルフレッドが楽しそうに笑った。暗いせいで既視感は薄れていたが、そこはアーサーの住む住宅街から2ブロック先にある大きな公園だった。園内に雑木林や池などを備えるそこにはもっと長い正式名称があるのだが、この周辺に住む者は単に「緑地公園」と呼ぶ。
「星を見るなら丘のほうに行ったほうがいいんじゃないか?」
少し距離があるが、天体観測などでよく利用される小高い丘がある。現にアーサーが星を見に行くと言われた時に真っ先に思い浮かべたのもその丘だった。
「駄目だよ。あそこは今日は人が結構いるだろうから」
「人? この真冬に?」
「この時期だからこそ、だよ。ほら、行こう。穴場を見つけてあるんだ」
アルフレッドに腕を引かれて、ザクザクと雑木林の中へ踏み入っていく。月明かりもないのによく転ばずに歩けるものだと、場違いな感動を覚えた。
さほど歩かないうちに、開けた場所に出る。テニスコート2面分ほどの広さだろうか。足元は枯れた芝生で覆われていて、夏場にはスポーツを楽しむ親子連れが多く見られるであろう、そんな場所。だがもちろんそれは夏の、それも昼間のことであって、真冬の深夜に人影はない。
人のいない場所、という意味でならそこは穴場だろう。広場の中央に立てば雑木林に地平線は隠れてしまうものの、天頂付近の星なら観察できそうだった。
アルフレッドが不意に駆けだす。駆け足で広場へと出ると、くるりと振り返ってアーサーを見た。
「空を見てみなよ、アーサー!」
両手を広げて空を示すアルフレッドにつられて、アーサーは視線を空へと向けた。首を上げていけば、冬の夜空で一番特徴的な星座、オリオン座が目に入る。
冬の凛とした空気のもとで見上げる星空は美しい。感嘆のため息をつけば、白く凍った。
「ぁっ、」
思わず声を漏らして、アーサーは数歩前へと出た。
流れた。
再度確かめようとしたときにはもう消えてしまっている、刹那の輝き。
「流れ星……」
「まだまだ流れるよ。ほら、もっとこっちに来なよ。中央のほうがよく見えるから」
アルフレッドに促されて、アーサーは空を見上げたまま広場を歩いた。
「ほら、流れたっ」
「えっ、どこだ?」
「もう消えちゃったよ」
小さく笑うアルフレッドの隣でアーサーも意地になって空を見上げた。不変の天体に時折光の矢が走るたびに声が上がる。きらきらと、これを誰かの命が消えようとしている象徴と言ったのは、いったい誰だっただろうか。
「俺、流れ星こんなに見たの初めてだ」
「ふたご座流星群。多い時だと、1時間に60個くらい見れるらしいよ」
「すごいな、流れ星ってもっと珍しいもんだと思ってた」
「これなら願い事3回唱えるのもできそうだよね」
「確かに」
そうやって、また二人で笑った。思えばこうやって二人で過ごすこと自体、とても久しぶりだった。星の降る音しか聞こえない静けさが心地よくて、気付かれないように少しだけアルフレッドに近づいた。
「とりあえず、アーサーが受かりますように、かな?」
「真っ先に俺のことかよ」
そんなに学力が思わしくないと見られているのだろうか、とアーサーは微苦笑した。
「だってアーサーが早く合格してくれないと、俺が楽しくないじゃないか」
「……なんで」
「む、恋人との時間がもっと欲しいと思っちゃいけないかい?」
ああ、これだからこの男は。
どうしてこんな時ばかり意地を捨ててくるのだろう。どうしてこんなに甘やかすのが上手なのだろう。
掴んだ手を振りほどかれるのが恐ろしくて最後の一歩をためらっているうちに、その距離を詰めて引き寄せられてしまうから。
どうしていいかわからなくなるんだ。
星を見上げたまま俯くこともできずに、アーサーは乾いた瞳を瞬かせた。
次の瞬間、背後から突然抱きつかれた。引き寄せるような動作に、重心が後ろに傾く。
「え、ちょっ、ぎゃぁ」
「がふ、」
アルフレッドを下敷きに、思いっきり地面に倒れこんだ。尻もちをついたアルフレッドの腕の中に収まる形になったので痛みはさほどではなかったが、大地から立ち上るひやりとした冷気に思わず身を竦めた。自分の下にいるアルフレッドに意識が行ったのはそれのワンテンポあと。
「っと、大丈夫かい? アーサー」
気遣うような声に、正面に回された腕をとって抱き締めた。
「アーサー?」
「メール、もっとしてもいいか、」
「え、でも、勉強、」
「邪魔になんてならねぇから、頼む……」
抱きしめた腕にぐりぐりと顔をうずめて、もごもごとした声で告げた。これが限界。でも、手を伸ばしたいと思ったんだ。
「おはようとか、おやすみとか、それだけでもいいから、その、」
「あのねぇ、アーサー、」
ふぅ、とため息交じりに名前を呼ばれて、アーサーはびくりと肩を揺らした。ああ、やっぱり重いのかな、こういうの。
「どうして恋人へのメールにいちいち許可がいるのさ」
「え、でも、」
「君の迷惑になるようなことはしたくなかったからメールは控えてたけどさ、君とのメールを煩わしいと思ったことはないよ」
「そっ、か」
「そう。むしろ今までのメールだって全然足りないくらいだしね」
「いくらでも。足りるだけ、メールしてもらえると、嬉しい」
それだけ自分のことを考えてもらえていると、実感できるから。積み重なったメールの数だけ、想われていると勘違いしていられるから。
「んー、足りるだけ、ってのはちょっと無理かも」
「……どうして」
うまく平静を装えたかな。馬鹿げた感傷なんて、滲んでないよな。寒さのためか、涙は浮かんでこなかった。
「だって、そんなにメールしたら君の携帯のフォルダがパンクしちゃうからね!」
そう言って、アルフレッドはアーサーを抱きしめる力を強めた。少し苦しくて、でもうれしくて。
「アッ、また流れた! 見たかいアーサー」
「ああ」
「よーし、今度はハンバーガがおなかいっぱい食べられるようにってお願いするんだぞ!」
「太るぞばーか」
心の中でありがとうと呟いて、アーサーはいつの間にか自分を寒さから遮るように抱きしめているアルフレッドの胸に背を預けた。
空を見上げれば、視界の隅を星が流れた。
願わくば、もう少し素直になれるだけの勇気をください。
そうすればもっとこの腕に甘えられる気がした。
明日は仲良く風邪ひきフラグ。
十二支様 リクエストありがとうございました&書き直し承ります。
恋に臆病気味な英というか、いつもと同じノリでうじうじしてるだけになってしまった感が……
すみませんこれが俺の糖度の限界です。これでも甘い、つもりです、つもり。
流星群ネタは少しフライング過ぎる気がしましたが、これをきっかけに眺めてくれる人がいるといいなと思いまして。
今年のふたご座流星群は12月14日。夜の8時と10時に極大になります。比較的観測しやすい流星群なので、1時間外に突っ立ってるだけでも結構見れるかと。
位置もふたご座がよくわからなかったらオリオン座のあたり眺めてれば見れます。てか見れました。
これを受験生応援用にしようかと一瞬考えた(11/26)