モブ、というより、もはやオリキャラに近いのが出てくるので注意。アーサーの親族関係でいろいろフリーダムです。
「ここか……」
簡略な地図が描かれた紙片から顔をあげて、アーサーはその洋館を見上げた。
でかい、ぼろい。第一印象は、そんなところ。
赤茶けたレンガに青々とした蔦が這うさまは見事だったが、なにぶん蔦の量が多すぎる。ちらりと見えた庭の方も、あまり手が入っていないように見えた。やはり一人ではこの大きな屋敷を管理するのは難しいのだろう。現在ここに住んでいるのは、アーサーの母方の祖父の弟、つまりはアーサーの大叔父に当たる人だけである。
アーサーは再度重い荷物を持ち上げて、玄関へと向かった。
重厚な扉には金色の光沢を放つノッカーが取り付けられている。よく見かけるのは獅子の頭部を模したものだが、これはどうやら鷲のようで、金輪を銜えた嘴が生き生きとした輝きを放っていた。
それを控えめに握って、2,3度打ちならす。ちょうど到着時間として連絡していたのと同じくらいだし、きっとすぐ対応してもらえるだろう。
アーサーの予想通り、ほどなくして扉が開いて懐かしい顔が現れた。こんな山奥の洋館にこもって生活をするような偏屈な老人である。冠婚葬祭など、親戚一同が会するようなときにたまに顔を出すだけの人ではあったが、その芯の通った生き方が好きで、アーサーはこの大叔父によく懐いていた。
「おお、アーサーか、よく来たな」
「お久しぶりです、アーノルド大叔父さん」
撫でつけられた銀髪、深いしわが刻まれてもなお精悍な顔立ち、彫りの深い鼻立ちの奥に鋭い碧眼。その名にふさわしい、鷲のような老人だ。
「こうやって会うのはアリスの結婚式以来か。お前、幾つになった」
「14です」
「もうそんな年になるか。しかし、14といえばもう彼女の4人や5人、いてもおかしくないころだろう。せっかくの夏休みをこんな山奥で過ごしていいのか?」
「……俺は人数の多さに突っ込むべきですか?」
アーノルドはその容姿や言動から堅物と思われがちだが、真顔でさらりとジョークを飛ばすようなユーモラスな面をも持っている。アーサーにとって憧れの人は、幼いころから父でも兄でもなく、この人であった。
「いいんですよ、大叔父さんの屋敷にも一度来てみたかったし」
到着したリビングの隅にドスンと荷物を置いて、アーサーは肩を回した。バスを乗り継いで数時間、歩いて数十分。ひと夏をこの屋敷で過ごすために用意した荷物は相当な重量があった。
久しぶりに大叔父と話がしたいとかけた電話の会話の中で、夏休みの予定が決まっていないと漏らすと、なら屋敷の管理を手伝ってくれないかと提案され、アーサーは一も二もなくそれに飛びついた。
ゴミゴミとした都心に未練はない。クラスで話をする程度の友人と遊びに行くことよりも、人里離れた土地でゆっくりと過ごすことをアーサーは選んだ。母親は呆れて笑っていたが。
「お前の部屋なんだが、3階の東側の部屋を用意した。客室を当てようかとも思ったんだが、せっかく長くいるんだからちゃんとした部屋の方がいいと思ってな。普段は使わない部屋だから、お前の好きなようにものを動かしてもいい。この夏以降も来るつもりがあるなら、お前用の部屋にしてしまってもかまわないしな」
「本当ですか? ありがとうございます」
アーノルドの言葉にアーサーは顔を輝かせた。何より、来年以降もここに来てもいいと言われた事がうれしかった。
「ただ、掃除の手が回らなくてな、屋敷の前の所有者のものがまだ残っている。すまんが、片付けは自分でしてくれ。まあ、古い本などもあるから、お前にとっては好都合か?」
「掘り出し物があったら報告します」
「お前ならそう言うと思っていたさ。荷物置きついでに部屋を見てくるといい。あまりに散らかっていて今夜は寝れなさそうだったら、客室を用意する」
「わかりました。3階の東側ですね」
「ああ、階段を昇って右の一番奥の部屋だ」
階段の場所を指し示しながらアーノルドが言う。今すぐ駆け出しそうな様子のアーサーを見て、柔らかく笑った。きらきらと目を輝かせるアーサーを促すように背を押す。
「じゃあ、いってきます」
「ああ、紅茶の支度をして待っていよう」
荷物を抱えてたったと駆け足でアーサーは階段へと向かった。屋敷自体が相当古い時代に建てられたこともあって、屋敷を歩いていると物語の中に迷い込んでしまったかのような印象を受ける。この広い屋敷の探索も、楽しみにしていることの一つだった。
扉を開ければ妖精が窓辺に腰掛けていそうな、ベッド下をのぞけば小人が息をひそめていそうな、そんな空間。
あり得ないと分かっていながらも、心が高揚するのを止められない。
アーサーは高鳴る胸を押さえてドアノブに手をかけた。きぃ、と小さな音を立てて扉が開く。普段使っていないためか閉め切られたカーテンのせいで部屋は日中だというのに薄暗かった。
こじんまりとした部屋にベッドとクローゼット。その他小物はいくつかあるが、アーノルドが言ったほど散らかってはいない。大叔父は一体何のことを言っていたのかと首を傾げたアーサーだったが、部屋の奥にもう一つ扉があることに気付いた。
荷物をベッドの上に投げ出して、アーサーはその扉を空けた。狭い物置のような空間だ。古い本特有の、あのひなびた紙の匂いがする。
どうやら書庫のようだ。
先ほどは狭いと感じたが、背の高い本棚で遮られているだけで、本棚の裏にも空間があるようだった。見回せば、周囲は本の山だ。本棚に入らなかったのか、それとも整理が面倒になったのか、本棚の足元にも何冊も本が積み上げられ、本と天板の間にも横にした本が乱雑に突きこまれている。
ぐるりと書庫を見回せば、窓際には使い古した大きめのデスクが置かれていた。亜麻色の光沢を帯びた椅子の背もたれは、それが年代物であることを伝えている。滑らかな曲線に指を滑らせて、アーサーはその感触を楽しんだ。デスクの上にも本が積み上げられていて、ボロボロになった万年筆が転がっている。
そんな古びたもの達の中に混じって、銀縁の眼鏡が置かれていた。他に比べて新しそうだから、アーノルドが置いていったのかもしれない。あれ?大叔父さんって眼鏡かけてたっけ? まあいいか。
こちらの部屋もカーテンが閉まっていたが、わずかな隙間から夏の日差しが差し込んでいて、眩しいそれが世界を切り取っていた。光を辿るようにして先ほどは見えなかった本棚の裏側に目をやって、
アーサーは体を固くした。
瞳を閉じて数呼吸。いや、今一瞬、人が寝ていたような気が……いやいやいや、あり得ないだろ、ここは大伯父さん一人しかいなんだし。アレは幻だ。じゃなかったら積み上がった本が光の加減で人に見えたんだ。きっとそうだ。そうに違いない。
そう脳内で結論付けてアーサーは眼を開いた。
…………やはり、幻ではないようだ。
本棚に背を預けるようにして、俯きがちに青年が眠っていた。差し込む光がその金髪を蜂蜜色に照らしている。
もしかして、忍び込んだりしたんだろうか?いや、この屋敷から人里まではそれこそ何十分も歩かなきゃならねぇし……。謎の青年に、アーサーは頭を抱えた。
アーノルドに報告するのべきだろうか。そう思いながらも、アーサーは恐る恐るその青年に近づいた。湧き上がる好奇心に負けたのだ。
ゆっくりと屈みこんで、青年の顔を覗き込む。
年は17、8才くらい。煮詰めた蜂蜜色の金髪は作り物のような美しさがあった。髪よりも色の濃い睫毛に縁取られた瞳は当然ながら閉ざされている。全体的に大人しげな顔立ちであるせいで大人びて見えたが、僅かに開いた唇がどこかあどけなさを感じさせていた。
「……んぅ……」
青年が軽く唸る。まずい、起こしたか? この青年を起こしたところで何かまずい点があるのかと聞かれれば答えに詰まるが、眠っていた人を起こしてしまうと、妙な罪悪感に駆られる。
青年の瞼がかすかに震えて、ゆっくりとそれが持ち上がる。朝焼けの黄金色から、晴天の青空色へ。長い睫毛の奥から、澄んだ青の瞳が現れた。
2,3度まばたきをしたかと思うと、焦点の合わない瞳がアーサーをとらえた。
「だれ……?」
寝起き特有のかすれた声。それに妙な色っぽさを感じてしまった自分はとりあえず爆死すればいいと思った。
「え、ぁ……」
返答に窮しているアーサーを青年は訝しげに見た。瞳を薄く細めて、眉間にしわを寄せる。ぎろりと睨む様な仕草にアーサーはますますどうしてよいか分からなくなった。
「ねぇ、俺の眼鏡知らない?」
「ぅあ、……え?眼鏡?」
そう言えば先ほどデスクの上でそんなものを見かけたような気が。アーサーは慌ててデスクに駆け寄って、その眼鏡を取った。なぜこんなに自分が焦っているのか、よく分からなかった。
「これのことか?」
「ああ、そうこれこれ」
アーサーの手から眼鏡をさらっていた手は、酷く冷たかった。まるで体温を感じさせない。
そんなアーサーをよそに、青年はいそいそと眼鏡をかけた。何度かまばたきをして、満足そうに笑みを浮かべる。
「これがないと何も見えなくてさ。ところで君、俺の部屋に何の用だい?」
「お前の部屋……?」
アーサーは青年の言葉に首をかしげた。大叔父は一人暮らしのはずだし、誰かを泊めているなんて話は聞いていない。
「ここは空き部屋のはずだろ?」
「いや、俺の部屋だよ」
頑として譲らない青年に、アーサーは再び頭を抱えた。やはり大叔父に相談すべきだろうか。
そんな風に考えを巡らせていたアーサーの意識は、次の青年の言葉でぶっ飛んだ。
「なんたって100年以上ここにいるからね!」
生き生きと語られた言葉は、本来絶対に生き生きとしていてはいけない部類のものだ。
100年、つまりは1世紀。それ以上ここにいる? どういうことだ?
目の前に青年はどう見積もったって20を超えているようには見えない。残る選択肢は……いやいや、それはないだろ。ふと脳内を掠めた考えをアーサーは慌てて打ち消した。でももしかして、と口に出してみる。
「いや、だって、それ、ゆ、幽霊、みたいな……」
笑い飛ばそうとして、失敗した。声がどうしようもなく震える。
「んー、だいたいそんなもんかなぁ」
その言葉に気絶しなかった自分を誰か褒めてくれ。
そんなオカルトチックな話を突然されても思考がついていかない。けれど、自分がその事実をどこかで認めていることにアーサーは気付いていた。だって、あの体温は、あの冷たさは、ヒトのものじゃない。
「アーノルド大叔父さんに頼んで部屋を変えてもらうしかないか……」
ぽつりとつぶやくと、青年はきょとんと首をかしげた。
「何でだい?」
「幽霊と同じ部屋で生活できるか!」
「酷い!差別はいけないんだぞ!」
「差別じゃない、区別だ、ばかぁ!」
アーサーが声を張り上げると、青年はしゅんと項垂れて見せた。
「久々に俺が見える人に会えたのに、話し相手になってくれたっていいじゃないか……」
その様子が、なんというか、大きな体躯と相まって大型犬が遊んでもらえなくて拗ねているようにも見えて、その、妙な庇護欲にかられる。
「し、仕方ないからこの部屋で我慢してやるよ。お前と話すためじゃないぞ、俺がここの本に興味があるだけなんだからな!」
誤解されては困るからとアーサーは早口にそう叫んだ。青年が驚いたような顔をする。けれどそれはすぐにふわりと崩れて、柔らかな笑みに変わった。それはそれは幸せそうに、嬉しそうに。
「ありがとう」
だから、その笑顔が今にも泣きだしそうだったなんて、アーサーの見間違いに決まっているのだ。
「ところで君、名前は?」
「アーサー。アーサー・カークランドだ」
「分かった。これからよろしくなんだぞ、アーサー」
にかっ、と夏の日差しが良く似合う笑みを浮かべる。その笑顔があまりにも健康的すぎて、アーサーは未だに目の前の青年が幽霊だなんて信じられずにいた。
「で、お前の名前は?」
「忘れちゃったんだぞ」
「忘れたぁ? 自分の名前だろ?」
「一体何十年呼ばれてないと思ってるんだい? 使う機会なんてなかったし、忘れちゃったよ」
ケロリと言ってのけた青年は自分の名前を思い出せないことに何の危機感も覚えていないらしい。だが、アーサーとしてもいつまでもおいだのお前だのと呼んでいるのは少々気分が悪い。何か名前を知るすべはないだろうかとアーサーは考えを巡らせた。
ここはこの青年の部屋だったらしいから、もしかしたら名前が書かれたものがあるかもしれない。
そのことに思い当ったアーサーは手始めにデスクをあたった。手に取ったのはさっき見つけたボロボロの万年筆。オーダーメイドと思しきそれになら、名前が書かれている可能性は高かった。
「ほら、やっぱり何か書いてある。これ、お前の名前じゃないのか?」
「なんて書いてあるんだい?」
「えっと、Al……あとは掠れちまってて読めないな。アルバート、アルフォンス、アルフレッド、アレン、アレックス……あげてたらキリがないな。どれだと思う?」
「だから覚えてないんだって」
「こう、響きとかで近いのはないのかよ。……面倒だし、アルでいいか?」
「いいんじゃない?」
「お前の名前だろうが……。まあいい、よろしくな、アル」
幽霊の青年、もといアルの了承を得て少々投げやりに名前が決まった。
屋敷についたころは天頂にあった太陽が随分と傾いていたことに気付いたアーサーは慌てて階下で待っているであろう大叔父の元へと向かった。
「おお、やっと戻ってきたか。そんなに興味を惹くものがあったかな」
「はい、その、いろいろ……」
「実はあそこは幽霊が出ると前の家主が言っていた部屋でな、何も問題がないようで良かった」
できればそれを先に言って貰いたかった。まさか幽霊とルームシェアをする事になったとは言いだせずに、アーサーは曖昧に返事をした。
「では、紅茶を淹れ直してこようか」
「あ、俺やります」
「今日くらいは客人気分でいるといい。明日からはどんどん手伝ってもらうからな」
「はい」
有意義な夏が過ごせそうだと、自分の部屋の幽霊のことを頭の隅に追いやって、アーサーは窓の外を眺めた。
窓の外には白い雲に彩られた夏空が広がっていた。
それからの日々は穏やかに過ぎていった。
昼間はアーノルドを手伝って屋敷を掃除したり、庭の木々の手入れをしたりして、夜は書庫の本を読んだり、学校の課題を片付けたりと、一日一日の密度がとても濃い日々で。充実、していると思う。
例の幽霊とはどうしているかといえば、本来ならあり得ないはずなのに、とても良好な関係が築けてしまっていたりした。
面白い本を紹介してもらったり、話し相手になってもらったりはもとより、自分の名前は忘れるくせに知識だけはあるらしく、課題を手伝ってもらったりもしている。まあ、すべてが100年以上前の知識であるせいで役に立つか経たないかは半々だったが。
アーノルドの屋敷を訪ねてから5日程経った日の夜、アーサーとアルはいつものようにベッドに腰掛けて他愛のない話をしていた。
知り合って間もないというのに、旧知の友といるような、そんな居心地の良さをアーサーは感じていた。
ひとしきりアーサーの学校生活についてで盛り上がり、ふと一息ついたとき、アーサーは初めて会ったときから気になっていたことを口にした。
「いつも思ってたんだけど、お前って幽霊なのになんで透けてもいないし物にも触れるんだ?」
「んー、聞かれてもよく分かんないなぁ。それに、俺は幽霊とはちょっと違うんだぞ」
「幽霊だって自分で言ってたじゃねぇか」
「言ってないよ、大体そんなとこ、って言っただけ」
やっぱりそれは同じようなものではないのだろうか。アルの言い回しがつかめなくて、アーサーは首を傾げた。
「で、幽霊じゃなかったら何なんだ?」
「幽霊とかは、この世に留まってる魂とかのことだろ。俺はそう言うんじゃなくって、記憶、みたいなものかな」
「記憶?」
「そ、残留思念、ってやつ?」
「違いが分からない」
バッサリと切り捨てられて、アルは困ったように頭を掻いた。自分自身は理解しているが、他人に説明するのは難しい。そんな表情だ。
「うまく言えないんだけど、俺の魂はもう天に召されてて、ここにいる俺はこの部屋に残った記憶」
例えるなら、強い光を見た後にその残像が網膜に焼きつくように。
例えるなら、すれ違った人の残り香が周囲にまだ漂っているように。
この屋敷に暮らした一人の青年の残像が己だと、分かるような、分からないような、たどたどしい説明をする。
「じゃあ、お前の生まれ変わりがこの世にいたりするのか?」
「さあ、生まれ変わりとかってよくわからないし。でも、もし生まれ変わりがあるなら、俺がこの世に二人いてもおかしくないよね。もしかしたら君と同じ学校に通っているかもしれないぞ?」
「そんな偶然あるかよ、ばーか」
アルの突拍子のない発言に苦笑しながらも、アーサーはそんな偶然があったらいいのにと目を細めた。きっといい友人になれるだろうと、根拠のない確信がアーサーにはあった。
「ああ、でももしお前が……っ?」
その先を続けようとして、アーサーはふらりと軽いめまいを感じて体勢を崩した。床に倒れこみそうになったのをアルが慌てて支える。冷水の中に飛び込んだようにアルに掴まれた部分が冷たい。そこから体温を全て持っていかれてしまいそうな、そんな幻惑に囚われた。
「大丈夫? アーサー」
「ん、ああ、大丈夫だ。少し疲れたかな?」
「もう夜も遅いしね。今日はもう寝なよ」
アルがベッドから降りてアーサーを促した。それに従ってアーサーはベッドに横になって掛け布団を引き上げた。ベッドから半分ずり落ちたままの掛け布団をアルがベッドに戻す。そんなアルを、アーサーが不思議そうな眼で見上げていた。
「どうしてんな顔すんだよ」
「どんな顔?」
「なんか、お前泣きそうだ」
「泣かないよ」
「そう、か」
「そうだよ」
短い言葉を交わし合って、アーサーは眼を閉じた。すぐに聞こえてくる規則的な寝息。アルはアーサーに掛け布団を掛け直しながら、おやすみ、と小さく呟いた。その表情はアーサーの指摘したように今にも泣きだしそうだ。
「泣かないよ」
夜の闇にぽつりと呟く。生前『彼』は滅多に泣かない人だったから。その記憶たる己に、涙はない。
泣かないんじゃない、泣けないんだと、それを認めるわけにはいかなかった。
「なんか、こんな真昼間から日の下で幽霊を見るってのも変な話だよなぁ」
広大な庭に植えられた薔薇の手入れをしながら、アーサーは隣に立つアルに声をかけた。その蜂蜜色の髪を惜しげもなく日光にさらしたアルは、不思議そうに首をかしげた。
「そうかい?」
「幽霊は夜のイメージが強くてな」
「夜は寝てるからなぁ」
夜が本分のはずの幽霊が規則正しい生活を送っていることが妙におかしくて、アーサーは声をあげて笑った。アルが気恥かしそうに赤面する。外見の上でも実年齢でも、アーサーよりも年上のはずの青年の、そんなどこか子供っぽい仕草がアーサーは好きだった。
「全然幽霊っぽくないから、そうやって横に立ってられると幽霊だってこと忘れそうになるんだ」
少し手を伸ばした先にある体温が、自分と同じ温度を持っていると誤解してしまう。その笑顔が、その声が、もうこの世のものではないだなんて、思いたくなかった。
お前が生身の人間だったらなぁ、とふとした拍子に零してしまいそうで、けれどそれがどれだけアルを傷つけるかを知っていたから、アーサーはその言葉をいつも喉もとで飲み込んでいた。
「よし、終わりっ!」
ようやく手入れを終えて、アーサーは勢いよく立ちあがった。
途端に、ぐわんと頭が揺れた。視界がじわ、と闇に侵食される。立ち眩みか、とアーサーは眉間を押さえた。普段はそれで収まるはずの眩暈はやむことなく、アーサーはそのまま地面に倒れ込んだ。なんとかついた手も簡単に折れて、どしゃりと顔から地面に落ちる。
明瞭としない視界の中でアルが慌てたように覗き込んでくるのが見えた。ゆさゆさと揺り動かされていく感覚がある。
けれど意識はゆっくりと遠のいていって、その中で何であのアルに触れられたときに冷たさがないんだろうと思った。
目を開けて一番最初に映ったのは、見慣れつつある自分用の部屋の天井だった。ぐるりと見回すと、険しい顔をしたアーノルドがベッドサイドに腰掛けていた。
「あの、俺……」
「ああ、やっと目が覚めたか。庭で倒れていた時にはさすがに肝が冷えたぞ」
「すみません……」
「長旅の疲れがたまっていたんだろう。無理をさせてすまなかった」
「いえ、俺が体調管理ができていなかっただけで……」
折角屋敷に遊びに来させてもらっているのに、なんて迷惑をかけてしまったんだろう。項垂れるアーサーの顔を持ち上げて、アーノルドがその額に手を押し当てた。しわだらけのぬくもりが心地よい。
「体温は、正常だな。倒れていた時は怖ろしく冷たかったから、本当に死んでいるのかと思ったぞ」
「ちょっと、立ち眩みで……」
「貧血かもしれんな……あまり無理はするな。お前に何かあったらエリーに殺されてしまう。……私も哀しいぞ?」
付け足したような本音に思わず笑みがこぼれた。
「もう少し寝ていろ。夕飯の支度をしてくる」
そう言い残してアーノルドは部屋を出て行った。その足音が階下まで行ったことを確認したアーサーはベッドの上から虚空へと言葉を落とした。
「いるんだろ? アル」
「ここだよ」
声がした方に目をやれば、書庫の扉にもたれてアルが立っていた。扉が開く音はしなかったから、先ほどからそこに立ってアーサーたちのやりとりを聞いていたのだろう。
「本当に大叔父さんには見えないんだな」
「今んとこ、俺が見えたのは君だけだからね」
「はっ、光栄だ」
何となくアルには弱っている姿を見せたくなくて、アーサーはわざと気丈にふるまって見せた。アルがベッドサイドまで歩み寄ってくる。いつか見た、あの泣き出しそうな顔をしていた。
「ごめん……」
「何でお前が謝るんだよ」
「だって俺のせいだ」
「ばか、ただの貧血だ」
「俺のせいだよ」
俯きがちにアーサーを覗き込んだアルがス、と手を伸ばした。頬を撫でようとした手はピクリと寸前で止まって、ベッドに広がるアーサーの髪を梳くだけにとどまる。
「君は気付いてなかったかもしれないけど――それとも気づいてないふりをしてたのかな、君は俺といるとどんどん弱っていくから。やっぱり幽霊じゃ君のそばにはいられないみたいだ」
「お前は関係ないだろ……」
「あるよ、何となくわかるから。だから、ごめん」
「アル……?」
ふいに、アルの顔が迫った。鼻先が触れ合うほどに近づいて、アーサーは思わず目をギュッと瞑った。
コツン、と額と額が触れ合う。
その行為に安堵して、少しだけ拍子抜けした。一体俺は何を期待してたんだ。
「きみは、あったかいね」
酷く穏やかに囁かれて、何と答えればよいか分からなくなる。
アーサーが戸惑っていると、ひたんと頬に熱い雫が落ちた。それに驚いて目を空けても、そこに広がっているのは天井ばかりだ。
それに、ああ、と。
何も分からなかったけれど、全てを悟ってしまって、アーサーは誰もいない虚空に悪態をついた。
「自分だけ好き勝手言って消えるんじゃねぇよ、ばかぁ」
瞳からあふれ出す涙が頬の雫をさらって流れていった。二人分の涙がシーツに染み込んでいく。みっともないと思ったけれど、その日は涙が枯れるまで泣いた。
「坊ちゃん、夏休みに海行かない? 海」
「海ぃ? どうせナンパだろ? いかねぇよ、予定あるしな」
「いくら海に行きたくないからってそんな嘘はいけないと思うよ」
「嘘じゃねぇよ! とにかく、夏は俺は予定あるからな」
大学の友人であるフランシスにそう言い残して、アーサーは席を立った。
夏休みに大叔父の屋敷の手伝いをするのはアーサーが14の時から続いている習慣だ。もっとも、3年前アーノルドがこの世を去り、その所有権が遺言によってアーサーに移ってからは、それを手伝いと呼ぶことはできなくなっていたが。
夏休みだけではない。他の長期休暇の時も、アーサーは大半の時間をあの屋敷で過ごしていた。未だにあの書庫の扉を開けたら、本棚の裏側に回ったら、彼が当たり前のように昼寝をしているような気がして、あの日以来あの扉は開けられずにいる。
もう靄がかった記憶しか残っていないのに、そんな一瞬の景色ばかりが鮮明で。彼はどんな風に笑うんだっけ、彼とどんな話をしたんだっけ、彼と過ごした日はどれくらいだっけ。何も覚えていないくせに、ただ、その景色だけが。
そんな風に物思いをしながら歩いていたせいだろうか。右斜め後方53度から迫る危機にアーサーは気付けなかった。
ごんっ、と後頭部に殴られたような衝撃が入って、アーサーは前につんのめった。一瞬、目の前に星が散った。
「いっつ〜〜〜」
強打したそこを押さえつつ振り向くと、さほど離れていないところにバスケットボールが転がっていた。
「ごめん!きみ大丈夫かい?!」
かけられた声に顔を上げる。
駆け寄ってきた青年の髪が、きらりと蜂蜜色に輝いた。
10000hit記念リクエスト企画第一作目です。
「幽霊×人間なアルアサ」とのリクエストでしたが、これのどこがアルアサ……?
あと厳密には幽霊でもなくてすみません……転生ネタにすると年の差が開きすぎてしまうので、このような形をとらせていただきました。それでも無理がありますね、はい、すみません。
あとアメリカの自己主張の強い幽霊をイメージして書いたら普段と全く変わらないのができた。
リクエストありがとうございました。書き直しも受け付けますので、お気軽にご連絡ください。素敵なリクエストなのにこんな仕上がりになってしまって本当に申し訳ありません……(10/04)