青い獣が駆ける。
己を二度と返り見ない主人を追って。
たとえ見えずとも、聞こえずとも、触れずとも。
一定の距離を保ちながら、それ以上近づくこともなく、それ以上離れることもなく、主人の後をついていく。
会議場で、空港で、街中で、屋敷で、その姿を見かけるたび、イギリスはアメリカとの会話を思い出す。
「絶滅した動物って多いよね」
そう言ったアメリカの声は、やけに静かだった。
どうしてそんな話題になったのかは覚えていない。きっと、たわいのない話の延長だったはずだ。いつも通りお互いの何気ない日常の話をして、皮肉を言って、笑って。
そんな会話の中で絶滅危惧種の動物にでも触れたのだろう。それともレッドリストの発表が間近だったのだろうか。理由はいくらでも思いつけど確かではない。いくら考えを巡らせても、アメリカのその一言から始まる記憶は、それより前を垣間見せてはくれない。
「絶滅した動物って多いよね」
「そうだな。乱獲、環境の変化、要因はいくらでもあるが、近年の絶滅はたいてい人間のせいだ」
イギリスは顔色を変えないよう努めてそう言った。その結果がどうなったかは、自分ではわからなかった。
大国として彼らの生態系に及ぼした影響は大きい。人間が過去の負の遺産だと容赦なく弾劾できる事実も、永い時を生きる国の化身たる彼らにとっては非常に耳が痛い物事だった。
「うん、それでさ、中には記録される前に絶滅してしまった動物も多いと思うんだ」
「公式記録に記されていない絶滅種がいるってことか。ありえない話じゃないな」
いや、記録に残っている動物でさえ、時にはその存在を否定されてしまう。
「だろう? 特に俺の家は君たちが来るまで文字がなかったからさ、“記録”って言うものは何一つ残ってないんだ」
「俺たちが文字を持ち込む前に、絶滅してしまった動物がいたかもしれないと?」
「いたかも、じゃないよ。いたんだ。俺が覚えてる」
人の記録に残らない出来事も、彼らはずっと覚えている。国たる彼らは歴史の生き証人であり、ある意味では歴史そのものだ。そんな彼らが、人に自分の過去を語ることはめったにないが。
国同士でさえそれは同様で、思い出や武勇伝を語りこそすれ裏の歴史を語ることはない。アメリカは、その最たるものだった。入植者たちと先住民とのいさかいからフレンチ・インディアン戦争、独立戦争やその後の世界を巻き込んだ多くの戦争。それらの歴史をすべて知るはずの彼は、決してそれを口に出すことはなかった。
イギリスでさえ、アメリカがイギリスと出会う前どんな生活を送っていたのかを知らない。
入植した人々との交流はあったのだろうか。先住民とは? それとも人とは関わらず動物たちに囲まれて暮らしていたのだろうか。
国の歴史を思えばあまりにも短い蜜月の時代にさえ、イギリスがそれを尋ねたことはなかった。
アメリカ。輝きに満ちた新大陸。そこにはどんな生き物たちが暮らしていたのだろう。文明を騙る何かに踏み荒らされる前の、あの無垢な楽園には。
「……たとえば?」
「そうだなぁ、羽の生えたウサギとか。あ、でもウサギって言っても耳が長いからそう思ってただけでもっと違う生き物だったかも」
「…………」
返ってきた答えにイギリスは言葉を失った。
「あのころは普通に接してたけど、今思うとあれってどんな骨格してたのかなって不思議になるよ。羽があるからには飛ぶんだけどさ、体の大きさに比べて羽が小さいし、体重だって重すぎる。骨が見つかれば調査もできるんだろうけど、それも見つからないんだ。おかしいよね、確かにいたはずなのにさ」
ウサギに羽が生えるなど、隔離された空間における固有の進化というレベルではない。だがイギリスが驚いたのはその突飛さにではなかった。
アメリカが口にした特徴は、イギリスの肩に乗る生き物のそれとほぼ一致していた。ウサギのように長い耳、背からはふわふわとした小ぶりの羽が生えている。
それはいわゆる――アメリカが妄想と笑い飛ばす――妖精の一種に他ならなかった。
「ああ、あとは、青い犬」
イギリスの驚愕にも気づかずにアメリカが続ける。
イギリスの視線はアメリカを逸れ、その足元に蹲る生き物へと向けられていた。今まで興味なさげに腹を伏せ、組んだ前脚に顎を乗せていたその生き物は、話題が自分に移り変わったことを知ってか、“何か用か”とばかりに顎を持ち上げアメリカを見上げている。
「犬って言うよりもオオカミかな。真っ青な毛並みをしていて」
蒼い、まるで染色したような色の獣だった。ガラス玉のような青い瞳で、主人を見上げている。その横顔は精悍で、確かに犬というよりは狼と呼ぶのが相応しいように思われた。
「あのころはそういう種類の犬なんだって思ってたけど……きっと染料でもかぶったんだろうね。じゃないとあんな色になるはずないんだから」
「…………」
アメリカが話している間も、イギリスの視界を青い獣がちらちらとかすめる。よく観察してみれば毛並みは単色ではなく、微妙な濃淡があるようだ。それが顕著なのが豊かな長毛を蓄えた尾で、水色に近いものから濃紺に近いものまで、さまざまな青色が混じり合い、鮮やかな色彩をなしていた。
そこにいる、とイギリスが告げたところでアメリカは信じないだろう。妖精などの幻想への感度の上がるイギリス邸においても、彼は何も見えないのだから。
かつて開かれていた彼の目を閉ざしたのは、イギリスたち旧大陸の持ち込んだ文明だったのだと、ようやく気付く。中世の時代を持たないアメリカに、妖精伝承が根付く土壌は生まれようがなかった。
その足元に青い獣を従えて、アメリカが遠くを眺める。
「君と出会ったころにはみんないなくなってしまったけれど……きっと、毛が生え変わって元の色に戻っちゃっただけなんだ」
青い獣の尾が揺れる。青い軌道が、少しだけさみしげだった。
青い獣が駆ける。
己を二度と返り見ない主人を追って。
たったっ、という軽やかな足音がやけに響いて聞こえた。
2012/10/27 pixiv掲載
2013/04/02 サイト格納