カメリア

日本の家の庭先に植えられたその木の奇妙さにイギリスが気付いたのは、日本と同盟を組んでからしばらく経ってからのことだった。

季節は早春。
春を待つ庭に色はなく、どことなく物寂しい雰囲気が漂っていた。
花の一つでも咲いて居ればと思うが、季節柄それも難しいのだろうと庭を眺める。
そこでふと、その木の存在に気付いたのだ。

「なあ、日本、あれはカメリアか?」

まだ空気は冷たいというのにその木は青々とした葉を茂らせている。周囲を見回しても常緑の木はそれだけだ。うららかな陽光の下で見ればさぞ健康的に見えるであろう艶のある葉は、薄曇りの空の下どこか翳んでいる。
色の褪せた庭にぽつりと、一本のカメリア。
イギリスの問いに日本はええ、とうなずいた。

「よくご存知ですね」
「俺の家でも流行ったからな」

冬でも常緑で花ぶりも見事なことから人気を集めた花だ。外来の花ながら小説に描かれることも多い。

「だが、あの花はちょうど今頃が時期じゃないのか?」

イギリスの記憶が正しければ開花時期は2月から4月。3月上旬の今はちょうど見ごろのはずだ。
だがその木に花はない。一輪どころか蕾さえないのだ。もうすべて散ってしまったのだろうか? こんなに早く?

「そうですね、少し前まではこの時期に美しい花を咲かせてくれていました」
「少し前? 枯れちまったのか?」
「いいえ、咲きますよ」

矛盾しているようにしか聞こえない日本の発言にイギリスが首をひねっていると、日本が柔和に笑った。

「イギリスさんは明後日までの滞在でしたよね?」
「ああ、そうだが……」

それと咲かない花にどんなかかわりがあるというのだろう。ますます首を傾けるイギリスに、日本はやはり笑うだけだった。

「明日の朝になれば、私の言ったことがお分かりになると思いますよ」

そう、うそぶきながら。




その日の夜。
イギリスは予定を早めて本国に帰りたい思いでいっぱいだった。
日本の家が嫌なわけでは、断じてない。
だが、

「こいつが来るなんて聞いてねぇぞ……」

日本とイギリスと共に食卓を囲むのは、いまだに関係改善がいまいちうまくいっていないアメリカだった。
3杯目の白米を掻き込んでいたアメリカがイギリスの言葉に箸を止め、大げさに眉をひそめる。

「こっちだって君が来てるなんて聞いてないよ。どうせ用もないのに暇だからって遊びに来てたんだろ?」
「お前と一緒にすんな、バカ! ちゃんとアポはとってある」
「悪いけど、俺はちゃんと用事があって来てるんだぞ。君と違って」
「用事ったって、どうせしょうもないゲームでも自慢しに来ただけだろ」
「違うよ」

と、アメリカは眉間の渓谷を深くした。不機嫌な瞳。
イギリスの薄い肩が思わず跳ねる。軽蔑の滲んだその色が、苦手だった。

「まぁ、君には関係ないけどね」

かちゃんと音を立ててアメリカが空になった食器を置く。このまま席を立つのだろうか。それを期待した。けれど一方でそれがひどく恐ろしいことのようにも思えた。
イギリスの期待と恐怖に反して、アメリカは席を立たなかった。空の茶碗を日本に差し出し、おかわり!と宣言する。イギリスとアメリカの会話におろおろとしていた日本はこれ幸いと茶碗を持って奥へと消えて行ってしまった。

食卓に沈黙が下りる。
口など、開かなければよいのだ。少なくとも、無用な傷を負うことはない。
頭では分かっているつもりでも、イギリスはやはり沈黙に耐え切れず口を開くのだ。

「つーかお前、モンロー主義はどうしたんだよ」

おっさんたちのけんかに俺を巻き込まないでくれるかい? と突き放されたのは記憶には新しい。が、よく考えてみればそんな記憶さえ、一世紀近く前のものだった。
友達になってやってもいいと言ってやったのにあっさりと拒まれて、付き合いらしい付き合いなど一つもなく。

「俺は君らおっさんたちと関わりたくないって言っただけだぞ。それに君が最近友達面してる日本だって、友達になったのは俺が先なんだからな」
「お前が力ずくで迫ったんだろ。今だってこうやってほいほい遊びに来れるような関係じゃねぇくせに」

どれだけ交流がなかろうと、アメリカで日本移民の排斥が行われていることくらいはイギリス本国にも伝わってくる。それを揶揄ったつもりだったが、アメリカはけろりとしていた。

「今回来たのはそれの話し合い。俺だって日本とは仲良くしていたいからね」

言外に欧州勢などとはごめんだと突っぱねる態度がイギリスの神経をキリキリとかき鳴らす。
閉ざされた門戸。人伝にその近状を知る惨めさを、この男は知っているのだろうか。 イギリスが唇を噛んでアメリカをねめつけていると、ようやく日本が帰ってきた。

「アメリカさん、お待たせしました、ご飯のおかわりです」
「ありがとう日本!」

途端にアメリカの顔が輝く。
まるで一度も崩れたことのないかのような天真爛漫な笑顔が、鋭く深くイギリスの胸に刺さった。過去ばかりを振り返るのはもうやめようと、そう決断してから長い年月が流れたというのに、結局は関わらないから思い出さずにいられるだけなのだと思い知らされる。

「イギリスさんはどうされますか?」
「いや、俺はもういい。ありがとな、美味かった」

笑みを取り繕って、退席を申し出た。もう一秒だって同じ空気を吸っていられなかった。
アメリカはと言えば、至極幸せそうな顔で食事を楽しんでいる。うめき声にも似た、吐息が漏れた。



部屋までの同伴を申し出てくれた日本をやんわりと断り、イギリスは客間へと向かった。庭がよく見える離れの部屋だ。手入れの行き届いた庭は本国と様式こそ違えど、植物を愛するイギリスにとっていつまで眺めていても飽きないものだった。

そんな庭を眺めながら離れへ歩いていると、庭に立つ少女が目に留まった。
庭、というよりも庭を挟んだ向こう側というのが正しいのだろう。庭と外界を区切る生垣の傍に、彼女は立っていた。一心にどこかを見つめている横顔が、月光に照らされて白く輝いている。
よく昼間に騒いでいる少女と同じくらいの年ごろに見えたが、別人のようだ。欧州の面々に見慣れたイギリスにとって東洋人を見分けることはまだまだ難しいことだったが、庭の少女が初めて見る顔であること程度は認識できた。

月明かりの下でもそのうつくしさがわかる漆黒の髪は肩ほどの長さで切りそろえられ、夜風にさらさらと揺れている。闇に鮮やかに浮かび上がるのは紅の着物で、黄色みがかった橙の帯を巻いていた。どちらの布地も見るからに質の良いもので、遠目では判別できなかったが、何やら複雑な絵が描かれているようだった。

声をかけるべきか迷った。
ようやく春めいてきたとはいえ、まだまだ夜の風は刺すように冷たい。さらには少女は裸足だった。雪のように白い色をした足が、凍みた土を踏みしめている。
そこじゃ寒いだろう、あがったらどうだ、そんな類の言葉を発しようとした気がする。けれど結局何も言うことができず、イギリスはただその少女の横顔を眺めた。

まだ幼さを色濃く残す大きな瞳は、歳に似合わぬ毅さを持って一点を見つめている。
おそらくは人間ではない少女を外見年齢だけで判断することはできないが、その性質はある程度外見と一致するものだ。まだまだ無邪気に笑っていることの許された年頃だというのに、深く思いつめたような表情をしている少女が、イギリスの関心を引いた。
少女が見つめる先には明かりの点った部屋。ちょうどイギリスが今出てきた部屋だ。あそこにはまだ日本とアメリカがいる。
まるで人を射殺しそうな目だと、そんな考えが頭をよぎった。

ぞくり、とした。

少女から殺気は感じられない。だが、その瞳には殺意にも似た執念が宿っていた。

「おいっ、」

声を上げたのは反射に近かった。
悪意のあるものではない。けれどそれが人に害をなさないと、どうして言えようか。

イギリスの声に少女ははっとした色を白い貌に浮かべながらも、振り返ることなく掻き消えた。吐息に合間に消えてしまった少女にイギリスもしばし呆然とする。結局少女の意図は分からずじまいだ。

悪意のあるものではない。きっと、人に害をなすこともない。それを言い訳にイギリスは用意された客間へと戻った。言いようのない不安は、胸から去ってはくれなかったけれど。




翌朝、イギリスは窓に面したふすまを開けて絶句した。
よみがえるのは昨日の日本の言葉だ。
“明日の朝になれば、私の言ったことがお分かりになると思いますよ”
と、確かに彼はそういった。
ああ、確かにこれは一目でわかる。


イギリスの目の前には、大輪の花に枝をしならせたカメリアの木があった。


昨日の昼間には蕾のひとつもつけていなかった木は、たった一晩で盛りを迎えていた。
そう、昼間までは、確かに。ならば夜は?

そこまで思考を巡らせて、イギリスは昨夜のことを思い出した。
そうだ、あの少女が立っていたのもあのあたりだ。ちょうど、カメリアの根元のあたり。
もしかすると彼女も花の精の一種なのかもしれない。イギリスの庭の妖精たちとはずいぶん形が違うが、夜目にも鮮やかだった赤の着物は、確かに美しく咲いたカメリアの色に酷似していた。
満開のカメリアは今まで見たどんなものよりも鮮やかなあかいろをしていて、

匂うはずのない香が香った気がした。

むせ返るような芳香にくらりとした。鮮やかな赤色に目がくらむ。
ふらり、と、体が傾ぎかけた。

「おはようございます、イギリスさん」

前方に倒れかけていたイギリスは、声をかけられてはっと我に返った。声の出所を探せば日本が桶を抱えて庭先に立っていた。イギリスとの距離はそう離れてはいない。声をかけられるまでその存在に気付かなかったことに、自分がどれほどカメリアに意識を取られていたかを知る。

「きれいでしょう?」

日本が淡く笑って首をかしげる。
何を指しているのかは明白だった。
鮮烈な赤色。今が盛りと咲き誇るその色は見るものを惑わせるうつくしさがあった。

頷けなかったのは、どうしてか。

言葉を探しても探してもふさわしい返答が見つからない。そのくせ首を縦に振ることもできずにイギリスはただ途方に暮れた。
そんなイギリスの内心をすべて理解しているかのように日本は目を細める。その瞳に一瞬滲んだのは寂寥だろうか。

なぜ、と、そんな類の言葉を吐いた。胸に詰まり、喉に閊え、口内に蟠った言葉はとてもではないが聞き取れるものではなかったはずだ。それでも日本は笑う。ただただ、痛ましそうに。

「恋を、しているんですよ」


――ああ、


漏れた声は同意だったのか、感嘆だったのか、嘆息だったのか。当人さえも判別のつかないそれは、聞いた者がいたならばそれらすべてを綯い交ぜにしたような響きを感じ取っただろう。


――随分と、身の丈に合わない恋をしているものだ。


漠然と、何の感慨もなく、そう思った。





もう四半世紀近く前のことだ。

懐古趣味と笑われることの多いイギリスだが、そんな些細なことを覚えていたことにイギリス自身驚いていた。積み重ねた記憶は1000年以上。恋をする木だって、当たり前にあった時代を生きてきた。異国という珍しい場所であれ、それほど記憶に残るできことではなかったはずだ。

どうしてそれが記憶の片隅に残っていたのかはわからなかったが、どうして今それが引きずり出されてきたのかならわかる。
アメリカと日本の個人的なつながりを見たのが、イギリスにとってはあの時限りだったからだ。
会議などで顔を合わせることはある。だが、プライベートなつながりとなるととことん疎い。日本とは同盟もあって個人的な付き合いを続けているが、アメリカとの仲は相変わらずだし、あの時の一件でイギリスとアメリカの不仲を知ったのだろう、日本も二人を合わせないよう配慮していたようだ。だから日本の家に遊びに行ってもアメリカに会うことはなかったし、日本がアメリカと会うときはそれとなく知らせてくれたから、イギリス自身そこにわざわざ首を挟もうなどとは思わなかった。
人伝に聞くばかりだったが、それなりにうまくやっているようだったのだが。

アメリカと日本の関係は、先日破綻したばかりだ。
求めるものが違いすぎたとしか言いようがない。国同士ならば、よくあることだ。

アメリカの家へと向かう途中、(アメリカに会いに行くわけではない。アメリカの家で働くリトアニアの様子を見に行くのだ。いくら仕事に困っていたとはいえあの自己中を紹介してしまった責任はイギリスにある)ふと彼らの関係を思いだし、つらつらと考えているうちにあの日の記憶まで思考が派生したのだ。

あの木の恋もここで終いか。

アメリカがもう渡日することはないし、よしんばあったとしても花が咲くのを待ってくれるほどの時間をそこで過ごすことはないだろう。
そちらのほうがきっと幸せだ。我が身さえも滅ぼしてしまいそうな眼をしていたから。アメリカはそんな熱情を向けるには向かない男だ。どんな時も、どんな場所へでも飛び立てる身軽さがあの男の本質なのだから。重く束縛する愛は望まれない。


遠いあのころに比べれば随分と近くなってしまったアメリカ邸の前に立ち、イギリスは胃が痛みだすのを感じた。
今は冬だぞ。7月じゃない。そう言い聞かせながら玄関の戸をたたいた。
イングリッシュガーデンと比べて随分と簡素で画一された庭を眺めながらぼんやりと待つ。きちんと手入れのされている庭だったが、アメリカが植物を愛でている姿など想像できない。おそらくリトアニアが世話をしているのだろう。
扉の向こうでバタバタと音がして、ガチャリとノブのまわる音がした。

「あれ、イギリスじゃないか。君が来るなんて珍しいな」
「別にお前に会いに来たわけじゃねぇよ。リトアニアいるか?」
「今トニーとクジラと一緒に出かけてるよ、残念だったね。じゃ」

そのまま閉められそうになる扉を、隙間に足を挟むことで阻止した。

「待て待て待て、せっかく来てやったのに追い返す気かお前!」
「せっかくって、君リトアニアに会いに来たんだろ? じゃあ俺は関係ないじゃないか」
「それは……そりゃ、そうだけど……」

言葉に詰まる。元はと言えばアポも取らずに来たイギリスが悪いのだから、言い返す言葉がない。しどろもどろに言い訳を重ねれば、そんなイギリスに呆れたようにアメリカが深いため息をつく。

「……仕方ないからあげてあげるんだぞ。君ならリトアニアが帰ってくるまで玄関先で待ってそうだしね。コーヒーしかないけど、文句言わないでくれよ」
「お、おう」

てっきり追い返されるものだとばかり思っていた。皮肉は相変わらずだが、どこかキレがない。
訝しんだイギリスはアメリカの顔をまじまじと覗き込んだ。

「何だい……?」

不機嫌、というか気味悪そうな声が返ってくる。

「お前、体調悪いのか?」

そんな馬鹿な。自分で問いかけておきながら、イギリスは内心でそれを否定していた。先の大戦で債務国から債権国へ一躍のし上がったアメリカに経済不安の影などあるはずがない。

「別に。最近やたらと眠いだけだよ」

くっきりと隈の浮いた眼をこする仕草はその言葉通り眠たげだ。くあぁと大きな欠伸を一つして、アメリカが一歩身を引く。少々投げやりながらも屋敷に招き入れてやろうという意思表示だろう。礼儀がなってないと説教をしようと口を開きかけて、やめた。ここでアメリカの機嫌を損ねれば冬空の玄関先で何時間もリトアニアを待つはめになる。そう、自分のためだ。アメリカの体調を気遣っての行為などではない。

広いだけで品のかけらもない玄関ホールに足を踏み入れて、

「っ?!」

悲鳴というよりは、うめき声に近い音を発した。今まで扉の陰に隠れて見えなかった、アメリカの背後にいるものに気付いてしまった。
眠たそうに眼をしきりにこするアメリカの服の、裾、を、

雪のように白い指がつかんでいた。

赤い衣、橙帯に、黒の髪。
二つの眼窩に収められた宵闇がじっとりとこちらを見つめ、物言いたげな視線を投げかけたかと思えば、その姿は音もなく掻き消えた。

「どうしたんだい?」

相変わらずの、眠たそうで不機嫌なアメリカの声。

「い、や…、なんでもない」

自分の声が、ひどく遠くに聞こえた。バクバクと心臓が痛いほどに脈打っている。
なんで、どうして、ここにいる。
執念だけが海を越えてきたとでもいうのか。いくら数百年の樹齢をもつ木であっても、魔力が大気と等しく満ちていた昔とはわけが違う。世界は今や、魔法が跋扈できる時代ではないのだ。

眉をひそめた険しい顔のイギリスにアメリカが口を開きかけ、結局何も言わずに口を閉じた。そのわずかな動きを目ざとく見止めたイギリスはきっ、ときつい表情のままアメリカを見る。

「なんだよ」
「いや、今日の君何だか変だぞって言おうとしたけど、君が変なのはいつものことだなって思っただけ」
「なんだとこらぁ!」

条件反射で怒鳴れば、アメリカは疲れた表情をくしゃりとゆがませて笑った。やっぱりそっちのほうが君らしいね、なんて、そんな言葉に心臓を打ち抜かれる。
イギリスが口から飛び出してしまいそうな心臓を必死でなだめている間にもアメリカはすたすたとリビングへ向かっていた。決して長くはないはずの距離の中で、何度もあくびを繰り返している。

「お前、そんなに眠いなら寝ろよ」
「んー、」

アメリカがうなる。眠そうな子供のしぐさそのものだ。眼鏡を外して目をこするその姿は、遠い思い出を思い起こさせる。イギリスは世話を焼きたくなるのを必死で抑えた。

「君が来てるのに眠れるわけないだろ」

生意気な口が、あの日と同じ言葉を、あの日とは全く違った意味合いで吐く。ぐらぐらと頭が煮えた。心臓の鼓動が、正しい拍数を思い出してくれない。イギリスはアメリカに気付かれないように目を伏せ、唇をかんだ。

廊下の突き当たりのドアを開ければリビングだ。
庭に面した窓から柔らかな陽光が降り注ぐ、広い部屋。

ふと外に向けた視線の先に、

「カメリア……」

あの、カメリアが。
初めて見たあの時と同じように、艶のある葉の中に赤色はみつからない。
花をつけないカメリアが、整然と整えられた米国式の庭の中でただ一つ浮いている。

「カメリアじゃないよ」

イギリスのつぶやきを拾ったアメリカがあくび交じりに言った。

「は? どう見たってカメリアだろ?」

思わず言い返したのは、植物に関しては絶対の自負があったからだ。否定されていい気はしない。
険しい顔を作ってアメリカを見ても、アメリカはどこかうつろな目を返すばかりだ。寝不足なだけ、と言っていた。そんなはずがないだろう、そんなに白い顔をしておいて。眼鏡でもごまかしきれない隈が、睡眠不足によるものだけではないことなんて一目でわかる。アメリカはあまり芝居がうまい性質ではないからなおさらだ。
わざとあくびを繰り返して寝不足をアピールするのはイギリスに心配をかけまいとしてか? そんな馬鹿な。ただ弱みを見せたくないだけだろう。自問自答して、導き出した答えに自嘲する。

「カメリアじゃなくて、ツバキだよ」

アメリカの声は、どこかおぼつかない。
だからツバキのことをカメリアと呼ぶんだろうと、そう言い返そうとして言葉に詰まった。
目を細めて笑うしぐさが、東洋の友によく似ていたから。
狼狽えたことを隠すようにイギリスはくっと唇を釣り上げた。笑みを取り繕うことなら、まだかろうじてできる。

「反日国家が庭に日本の木なんて植えてていいのか?」
「……別に、日本のことは嫌いじゃないんだぞ。こっちの要求もっと聞いてくれたっていいじゃないかっては思うけどさ」

それに、とアメリカが付け足す。

「あれは日本からもらった木だからね」

むげにはできないよ、とこともなく言った。

ああ、やはりあのカメリアはあの時と同じものなのだ。
感覚では理解していた現実を突きつけられてイギリスはわずかに狼狽えた。
思い出されたのは、あの時の日本の笑みだった。叶わぬ恋に身を焦がすカメリアを、ただ痛ましそうに、愛しそうに見守っていた。憐れんだ、のだろうか。あの木が、故郷に根を下ろすことよりも恋に生きることを望んでいると、そう思ったのだろうか。

お前はそれで幸せなのかと、イギリスは黙する木に問うた。
もう二度と、故郷の地には戻れない。遠い異郷の地で、報われない恋をして、土くれに還るのか。
「でも全然花が咲かないんだよね。この時期に俺が日本の家に遊びに行くといつも満開だったのになぁ」

ああ、そうだろうとも。お前に、お前だけに見せたくて、咲いていたのだから。
それをアメリカに伝えても一笑されることなどわかりきっていたから、イギリスは口を結んで木を見つめた。
そうして気付く。
あの時と、今の違いに。
土が合わないのだろう、哀れになるほどに痩せ細った根を大地に必死に這わせているその木は、いくつか小さな蕾をつけていた。もう一夜で盛りを迎える力など残っていないのだろう。
身の丈に合わない恋をして、それでもと無様にもがく姿がいっそ哀れだった。

「木が弱ってる。日本から持ってくるとしたら船だろ。潮にやられたのかもしれないな」

もっともらしいことを口にした。開花を無理やり遅らせたり早めたりしていたのだから、木が本来持っていた時間も相当削られてきたはずだ。そこにとどめを刺すような長旅。もう、寿命なのかもしれない。
むしろここまでぼろぼろになりながらよくぞ蕾をつけられたものだ。

そう考えて、気づいてしまった。

本来ならばもう枯れてしまってもおかしくない木なのに、どうして蕾をつけられる? その身にもう力がないのならば、

――他者から奪うしかないじゃないか。

行きついてしまった真実にぞっとする。
眠たそうな眼をこするアメリカの手首に、その皮膚の下に、蛇のように這う根を見た気がした。
アメリカの庭に、大地に、その身体に、根を下ろして。花を咲かせるための養分を貪欲に吸い上げている。
なんという本末転倒だろう。その花は、慕うものを喜ばせるために咲かせるのではないのか。

アメリカが何か言った気がする。
思考に没頭していたせいで聞き取れなかったが、聞き返す間もなくアメリカはコーヒーを入れてくると言い残して立ち去ってしまった。

ソファに腰かけることもできず、ただただカメリアを眺める。
それが、お前の望んだ結末なのか。


無残な恋の、なれの果て。





アメリカが帰ってこない。
思考に沈んでいた時間は短くないはずなのに。イギリスがはっと我に返ってみた時、アメリカの姿はなかった。わずかにコーヒーの香りはするのに。
リビングに戻ってきていたならばさすがに気付いただろうから、戻ってくるまでに何かあったのだろう。キッチンか、廊下か。

気付けばイギリスは身をひるがえして駈け出していた。
普段ならば体調管理もできない若造がと嗤っただろう。
けれど、今は。


リビングから出ても屋敷の間取りなんてわかりやしない。
ずらりと並んだドアを一つ一つあけていくことも考えたが、一つだけ開いたままになっているドアに気付いた。
飛び込んでみればそこは案の定キッチンで、抽出を終えたコーヒーメーカーが湯気を立ち上らせていた。そうして、床に倒れているアメリカ。

「アメリカっ、」

足をもつれさせながら駆け寄って、その肩を揺する。
うつぶせた体を反転させれば、白を通り越して土気色になった顔があらわになった。

「おいっ、大丈夫か、アメリカ!」

触れた肌には温度がない。冷たい、のならば、まだいくばくか安心できたような気がするのに。
脈を確かめ、呼気を確かめ、まだ命がそこにあると確認できるまで、イギリスの肺は機能を止めていた。

「なんだい、騒がしいんだぞ……」

わざと皮肉ぶった言い方をしようとしたことがありありと分かる口調で、アメリカがつぶやく。うっすらと開いた瞼の奥から、青い瞳が確かにイギリスを見ていた。

「……っ、誰だってキッチンでぶっ倒れてるやつがいたら動揺するわ、ばかっ」
「そうかな……フランスあたりだったら、君、そのまま頭踏みつけそう」

その様子を想像したのか、アメリカがくすっと笑う。
これ以上威勢をはるな、泣きそうなんだ。

「とにかく早く寝室に行け。寝るなら、ベッドで寝ろ」

喉の奥から絞り出した声に、平静と同じ響きを持たせるのは難しい。イギリスは乱暴にアメリカを立たせると、問答無用でその背を押した。できるだけアメリカを見ないよう気を配る。その白い膚に根を生やしたカメリアを、幻視してしまいそうだった。

「イギリス」

アメリカがイギリスの名を呼ぶ。思わずその目を見てしまいそうになるのを、イギリスはぐっとこらえて俯いた。

「余計なこと、しないでくれよ」

言い聞かせるような声が降ってきた。その言葉は、これまでに対してではなくて、おそらくは、これから先のことに対して。イギリスは、頷かなかった。
元より返答など期待していなかったのだろう、イギリスを顧みることなくアメリカは寝室のある二階へと歩いていく。

階段を上るその背後を、とてとてとついていく赤い影を、確かに見た。





余計なことは、するなと言われたけれど。
だからと言ってはいそうですかと言える事柄であるはずがない。
後から責められるのは承知の上。どうせ今更責め苦が一つ増えたところで大差ないのも事実だ。

イギリスは、あのカメリアの前に立っていた。
見れば見るほどその姿はみすぼらしい。遠目からでもやせ細っていることがありありと分かった根は、実際のところほとんどが枯れていた。か細い枝は葉の重みだけですでに折れてしまいそうで。
かたくなに閉じたままの蕾の、がくの合間から覗く赤色だけがやたらと生き生きとしていて不気味だった。

斧で切り倒せるだろうか。
それほど大きくはない。いくら貧弱と言われようと成人男性の形をしているのだから、イギリスにだって可能だろう。問題は、不慣れな屋敷で斧を探し出せるかだったが。

庭の隅には道具置き場と思しき掘立小屋が立っている。幸い鍵はかかっていなかったから、立てつけの悪い引き戸を強引にあけてイギリスは物置の中に滑り込んだ。
薄暗い小屋の中は埃っぽく、荷物は壁が見えなくなるほどに積み上げられていた。入り口近くは比較的整理がされているから、よく使うものがまとめられているのだろうと予想できる。

さて斧は、と探してみればそれは案外呆気なく見つかった。入り口に面した壁に無造作に立てかけられている。だが、それを取り出すことはたやすいことではないように思われた。
斧の上から柄の長い箒や高枝ばさみが立てかけられ、柄と柄同士がかみ合い、強引に動かそうとすれば周囲の荷物も巻き込んで倒れてしまいそうな危うさを形作っていたからだ。
仕方なくイギリスは一番手前にある箒に手をかけた。ほかの何かに引っ掛けて崩さないように、慎重にそれを引き抜く。
何度かそれを繰り返して、ようやく斧を引き出せるまでになる。そこに至るまででイギリスの息はすっかり上がってしまっていた。ようやくたどり着いた斧に手をかける。

「余計なことはしないでくれって言ってよね、イギリス」

低く不機嫌な声がした。イギリスがあわてて振り向けば、戸口にアメリカが立っていた。深く刻まれた眉間のしわもさることながら、イギリスを竦ませたのはその背後にさも当たり前のように立つ、あの少女の存在だった。
先ほど見た時にはアメリカの服の裾をつかんでいた手が、今ではその掌を握っている。だらしなく下ろされたその手は少女の手を握り返してはいないから、アメリカはまだ少女の存在に気付いていない。

なぜ気づかない、と、叫びたかった。
アメリカの指に縋るようにからめられた少女の指は、すでにあの砂糖菓子のような白い、細い、華奢なものではない。角張り、乾き、罅割れたそれは、枯れ木の枝のようだ。そうしてその指先はアメリカの肌に食い込み、その皮下に根を張っていた。
もうイギリスと目があっても姿を消すことはない。
じっと、感情の読めない黒の瞳でこちらを見つめるばかりだ。

「でも、アメリカ、」
「君には関係のないことじゃないか」

関係がないから、その身が食いつぶされて行くのをただ眺めていろというのか。
唇をきつく噛む。

「あめり、」
「リトアニア、帰ってきたよ。わざわざ呼びに来てあげたのに君って本当にろくなことしないな」
「…………」

アメリカの呆れ顔にイギリスは返す言葉なく黙り込む。
行くよ、と踵を返したアメリカに少女も続く。

複雑に結ばれた帯が、花弁のように揺れた。





ようやく帰宅したリトアニアと話し込んでいるうちに夜は更けてしまい、イギリスは結局アメリカの家に泊まることになってしまった。イギリスはどんなに遅くなろうともアメリカの家に泊まる気は全くなかったのだが、リトアニアの勧めを無碍にもできなかった。

イギリスがゲストルームとして案内されたのは、決して狭くはない庭をすべて見下ろすことのできる2階のはずれの部屋だった。普段ならば喜んだであろうその選択も、今日は忌々しいものでしかない。
好奇心に駆られて見下ろしてしまった庭にはあのカメリアが陣取っていて、イギリスはあわててカーテンを閉め切った。月光に照らされた葉がうっすらと光を帯びているようで、気味が悪かった。


そんな心理状態が反映されたのか、夢見は最悪だった。
暗闇の中をアメリカが落ちていく。その胸元からバキバキと音を立てて大木が生えて、根は厚い胸板を穿って背へと抜け、なおもその指先を虚空に這わせていく。
時間を早送りするように蕾がふくらみ、毒々しいまでの赤色をした花が、木いっぱいに花開いた。


悪夢にうなされて跳ね起きてみれば窓の外はとうに明るかった。全く眠れた気などしないのに時計は眠りについてから優に8時間が過ぎていることを示していて、イギリスはまだ眠りたいと訴える頭を押さえしばし茫然とした。が、ぼうっとしているつもりがいつの間にか舟をこいでいて、イギリスはあわててベッドから降りて窓に歩み寄った。眠気を覚ますには朝日を浴びるのが一番だ。陽光の漏れるカーテンを思いっきり開け放つ。

――そうして体感したのは、あの日の朝と同じ衝撃。

気が付けばイギリスは身をひるがえして部屋を飛び出し、階段を駆け下りていた。
庭に飛び出して、あのカメリアの前に立つ。

そこにあるのは、あの日となんら変わらない色で咲き誇る、大輪の華花だった。
ついに咲いてしまったのかと、呆然と膝を負った。
冬にしては優しい風が、そよそよと緑葉を、赤花を、イギリスの金髪を揺らす。

サク、と背後で草を踏む音がした。
振り返ればアメリカがイギリスと同じようにカメリアの花を眺めていた。
イギリスはアメリカを見ているというのに、アメリカとの視線は合わない。イギリスを通り抜けてその背後へと注がれている。

サク、とまた草を踏む音がした。イギリスの横を何かが駆け抜けていく。
幼い歩幅でアメリカに駆け寄ったのは、あのカメリアの精の少女だった。
唇を噛みしめて、視線を一心に注いで。そんな年に不釣り合いな少女の姿はそこにはない。
帯を揺らして、瞳を輝かせて、息を切らせてアメリカに抱きつく。

少女を抱き留めて、アメリカが柔らかく笑った。

見えていないのでは、なかったのか。混乱がぐるぐると頭の中を回って、イギリスはその場を動くことができなかった。

アメリカが少女と目線を合わせるようにひざを折る。膝を地面につけばアメリカの頭は少女のそれよりも低い位置に来て、アメリカは少女を見上げてその髪を梳いた。

「今年も咲いてくれてありがとう。きれいだよ」

ゆっくりと、幼児に話しかける声そのままに、アメリカは少女に笑いかけた。その笑みがどこか不器用なのは、アメリカもまた気づいてしまっているからだろう。この木は、もう咲かない。もう咲けない。遠い異国の地で、それでもなお咲こうとするならばもっと時を重ねるべきだった。

少女が笑う。カメリアの木がさわさわと揺れた。
小さな両腕を広げて、アメリカの首に抱き着く。
愛おしそうにその髪をなでて、笑って、そうして消えた。

もう一度風が吹く。ざぁぁああと全てを浚うような風と、何かが無数に落ちる音。
振り向けばカメリアにはもう一つとして花がついていなかった。大輪の赤は、その形を保ったまま無残に落ち、木の周りを赤く染めている。やがては朽ちて、土に還る。

――ああ、

広がる光景にイギリスは感嘆した。

――ああ、

気付いてしまった途端に涙がぼろぼろと溢れてくる。

――ああ、つまりはそういうことなのか。

どんなにその大地に根を這わそうと、どんなにその身体から養分を搾取しようと。
彼女は結局、アメリカの一部なのだ。やがては朽ちて、その身体へと還る。

完結した循環の中に、彼女はいる。

サク、と音がして、アメリカが隣に立ったことを知った。涙を見られたくなくて、今更だと知りながらもイギリスは視線を下へと向けた。ぼたぼたと地面に水滴が落ちていく。

「アメリカ、ぁ」

震える喉で絞り出した声はみっともなくかすれていた。そんな声でもなんとか届いたのか、アメリカが何、とぶっきらぼうに返してくる。
馬鹿なことを言おうとしていることは、イギリス自身重々承知だった。それでも自制が利かなかった。

――もし、俺が死んだなら。しんだなら、そのときは。

――叶うなら、薔薇に生まれ変わるから。

――その時はどうか、お前の庭先に植えてくれないか。

なおも溢れ続ける涙とともに、そんな言葉をたどたどしく吐き出した。

羨ましいと、そう思ったのだ。彼女の生き方が。彼女の、閉じた世界が。
水を与えられなければ死んでしまうような存在に、ただ誰かのためだけに咲くような存在に、そんな存在になりたかった。

「君ってやつは本当に馬鹿だな」

アメリカが息を吐いた。
少女にそうしたように、イギリスの前に膝を折る。幼児のように泣きじゃくるイギリスに、幼児に言い聞かせるには程遠い冷めた声で話しかけた。

「俺たちに死なんて概念があるかどうかすらわからないし、もしあったとしても君が薔薇に生まれ変われる確証なんてないし、だいたい、俺に薔薇の世話なんてできないよ」
「んなことわかってるよ」

途方もない、妄想なのだ。自分のために生きることさえままならないから、完結した円環にあこがれる。
「俺も君も国で。それ以外になんてなれっこないんだからさ」

イギリスの頭をアメリカが乱暴に引き寄せた。押し付けられた胸板からは花の香りがする。カメリアの匂いだ。
カメリアは本来、ほとんど匂いを持たない。何かを惹き付けるには、その鮮やかな花の色だけで十分だからだ。それでもこの木は強い匂いをまとっていた。それほどまでに強く、強く、強く、気を惹きたいと希う人がいたから。

「君はもう少し現実的に生きるべきだよ。ちゃんと今を見るべきだ」

ぽんぽんとあやすように背を叩く手はあまりにも優しすぎる。いつからこの掌はこんなにも大きくなったのだろう。目を伏せ続けた百数十年の時がもたらした変化だと、そう知ってしまえば涙はますます止まらなくなった。
ずっとずっとずっと、過去ばかりを懐かしんできたから。今更そんなことを言われてもやり方なんてとうに忘れてしまっていた。
嗚咽交じりにアメリカにそれを告げれば、背をなでていた手が戸惑うように止まった。

「じゃあ、」

少しの間をおいて、またゆっくりと背をなで始める。

「まずは、俺の目を見ることから始めようか」

促されて見上げたのは、アメリカの背後に広がる冬の空色よりもずっと深く濃い、


どんな青より純度の高い青色だった。











これで終わり? これで終わりです。
アメリカとカメリアってなんか似てますよね。作業中アメリアって打ってみたりカメリカと打ってみたり大変でした。無駄に時代設定を20世紀初頭にしてしまったので時代考察がめんど……ところどころ間違ってるけど気にしない(06/15)