「Ever ever green」および「Baby baby blue」と同じ設定ですが、毛色のかなり異なる作品です。
解釈によっては鬱ですので、アナザー的な立ち位置の作品としてお読みいただければと思います。
一部、グロテスクな表現を含みます。
――クリスティナ・カークランドによる証言――
私はアルフレッド・F・ジョーンズという画家が、彼が無名であったころからずっとずっと、嫌いで仕方がありません。
今でこそ幻想的な絵を描く芸術家としてメディアに紹介される彼ですが、彼の本質がそんなものではないと私は知っているのです。あんなおぞましい絵を描く人がどうしてあそこまで評価されるのか、私には到底理解できません。
それはさかのぼること数十年前。私がまだ10にも満たない子供だったころのこと。
私が一生で抱くであろう嫌悪や恐怖や怨憎のすべてを、あの時彼は私に抱かせました。
その時のことを話すには、少し私の親類関係についてご紹介する必要があります。
私の家系は古くから続く土地の領主の系譜をひいており、私の父はその何十代目かの当主でした。
父には3人の弟、つまり私にとっては叔父にあたる人がおり、私は一番下の叔父によく懐いていました。正確な年齢は覚えていませんが、当時の私がその人を兄と呼んでいたことからも、他の叔父たちと比べ歳もそう離れていなかったのでしょう。
姿勢よく伸びた背と振り乱すことのない横顔が私の憧れでした。
私の初恋は間違いなくその人で、事あるごとに大きくなったら結婚して、とねだっていたように思います。もっとも叔父が首を縦に振ってくれたことは一度としてありませんでしたが。
幼心ながらに子供の言うことなのだから嘘でも頷いてくれればいいのにと思った覚えがあります。
私が物心ついた時から青年だったその人は、青年の姿のまま私の記憶に焼き付いています。その人がそれ以上の時を歩むことはなかったから。
病気だったのでしょうか。事故だったのでしょうか。聞いた記憶はあるのですが覚えておらず、今更聞くことも気まずくなってしまったため叔父の死因は知らずじまいになってしまっています。
大好きな叔父でした。母に取りすがって泣き、棺に取りすがって泣き、遺品であったハンカチを握りしめて泣きました。いくら泣いても叔父が帰ってくることはなく、葬儀はつつがなく進み、叔父の遺体の入った棺は先祖代々が眠る墓地へと葬られました。
それから半年ほど経ったころのことです。
大きな荷物が家に届きました。縦と横の幅はあるもののあまり厚くなく、ちょうど母の化粧台に備え付けられた鏡を梱包するとこんな感じになるだろうと予想されるような大きさでした。
父宛のその荷物の送り主は叔父と生前交流のあった画家。そう、あのアルフレッド・F・ジョーンズからのものでした。これは後から知ったことなのですが、荷物には手紙が同封されており、送った絵をどうか叔父の墓にいっしょに埋めてもらえないだろうか、といった趣旨の内容のことが書かれていたそうです。
その絵の梱包を解いたのは私でした。ラッピングを解くのが好きだった私がねだって開けさせてもらったのです。
びりびりと厳重な梱包を破り、ようやく表れたその中身に私は悲鳴を上げました。
それは一見、食事をする女性の絵でした。
食卓に敷かれた白いレースはその細やかな模様までもが美しく描き出され、同じ色で描かれたはずの白い食器は手を伸ばせばそのつるりとした質感に触れるのではないかと思うほどに精密に再現されていました。
アルフレッド・F・ジョーンズの“人を描かない”と言うポリシーを反映してでしょうか、女性の顔は上半分が黒く塗りつぶされ表情の判別ができなくなっており、その代わりと言わんばかりに口元がやたらと鮮明で、唇は血を塗りたくったように毒々しい赤色をしていたのです。
その女性の不気味さもまた、恐ろしさを駆り立てるのに十分な材料でしたが、私が挙げた悲鳴の原因はそれではありませんでした。
女性が上品なしぐさで口に運んでいるフォークのその先には、白くほっそりとした、指、が、生々しくも突き刺さっていました。
そう、絵の中の女性が食べているのは誰かの手なのです。
女性の前におかれた白い皿には生きているかのように美しい手が、その断面をさらしながら盛り付けられていました。
私の悲鳴に父もあわてて絵を覗き込みました。絵のグロテスクさにあてられてでしょう、一瞬真っ青になった父の顔は次の瞬間には真っ赤に染まり、厳格な父とは思えないような乱暴な言葉を吐きながら父は私から絵を取り上げました。
その絵は父が持っても大きいと感じるほどのものでしたが、父はそれを力任せに床へと叩きつけました。額に入れられていなかったそれは鈍い音を立てて落ちただけでしたが、父はそれを執拗に踏みつけ、ぼろぼろにしてしまいました。
それでもなお怒りが収まらなかったのでしょう、父はそれを二つ折りにし暖炉へと投げ込みました。あれほどに激高した父の横顔を、私はそれ以来ついぞ見ることはありませんでした。
燃え盛る炎はたやすくその絵画を呑み込んでゆきました。独特のにおいが鼻を突き、軽い頭痛を覚えながらも私はその絵が灰になるまでずっと暖炉を凝視していました。灰になって、もう二度と私の前に現れないと確信したかったのでしょう。
この一連の体験は叔父の死と連動していたこともあってか私の心に深く突き刺さり、成人してからも時折悪夢となって私の前に現れるほどでした。
悪夢を生み出した張本人であるアルフレッド・F・ジョーンズとは何度か顔を合わせました。葬儀にこそ来なかったものの、月命日ごとに墓を訪れる彼とはいやでも会ってしまうのです。
彼はあれほどの執念がこもった絵を描いたとは到底思えないような好青年で、もしあの一件がなかったのならば私も彼のファンの一人になっていたかもしれません。
けれど私は忘れない。
どれほど幻想的な絵を描こうとも、その本質はあの白と黒と赤の絵に回帰すると。
あれほどにおぞましい絵を送り付けた真意はなんなのか。それを知りたいと思った時期もかつてはありましたが、それを問い質すことはまた一つ得体のしれない恐怖の扉をあけ放ってしまうことだと理解してもいました。
私の嫌悪と恐怖と怨憎の根源、それがアルフレッド・F・ジョーンズという芸術家でした。
――芸術雑誌「ArT」春季号特集ページより抜粋――
この頁では近年発見されたジョーンズの初期のデッサン群「我が子を食らうサトゥルヌス」について取り上げる。
全数十枚に及ぶこのデッサン群は同じテーマの元徐々に改変が加えられているものであり、前半と後半では全く異なる絵となっているが描かれた順に並べていけばその経過が良くわかる。
このデッサン群すべてを紹介することはページ数の都合上残念ながら叶わないため、今回はデッサン群の中でも経過と変化がわかりやすい5枚のデッサンを取り上げることとした。
まず1枚目のデッサンから見ていこう。
嬰児に食らいつく痩せ細った老人が描かれている。この絵は一目でゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」から影響を受けていることが見て取れる。それを裏付けるようにデッサンの右下には、DEVOURINGの文字が書かれているのがわかる。
説明するまでもないとは思うが、この絵がこれを含むデッサン群の名前の由来となっている。
続く2枚目(デッサン群における7枚目)は1枚目にあった気迫がややそがれたような印象を受ける。
餓鬼のように嬰児を貪り食っていた老人がこのデッサンではまるでパンを齧るような何気なさで嬰児の腕を食んでいる。1枚目では限界まで見開かれ血走っていた眼にもどこか理性の光が宿っている。この変化は絵から残虐性は排除したものの、理性を持った者が自らの意志で人肉を食らうという、静かな恐ろしさを付与している。
3枚目(デッサン群における19枚目)には食卓が登場する。
ここでついに人肉食は衝動ではなく計画的なものとなった。食卓には粗末ながら皿が置かれ、その上には片腕をむしり取られた赤ん坊が乗り、老人は乱暴な手つきでフォークに刺した腕を食べている。
ローマ神話におけるサトゥルヌスの食人行動は自らを害する可能性を持った我が子を自分つまり大地へと還すことを目的としていたが、ジョーンズが描いた食人行動は明らかに”食”を第一の目的としているという違いが、ここで浮き彫りとなった。
4枚目(デッサン群における25枚目)は3枚目で提示された計画性がより強く明示されている。
卓はより豪華なものとなり、皿や食器類なども3枚目が貧しいもののそれであったのに対し、こちらでは上流階級の使用するものとなっている。卓につき、定まった礼法で粛々と食事を進める姿はどこか儀式めいている。
5枚目(デッサン群における38枚目)のデッサンで絵はまた大きく変化する。食卓についた人物が老人から妙齢の女性へと書き換えられているのだ。
比べるまでもなく1枚目のデッサンの面影はどこにもない。唯一カニバリズムをテーマにしていることは共通しているが、嬰児をむさぼる老人と、フォークを口に運ぶ婦人ではその指し示す意味合いが全く違うだろう。
このような絵の変遷はデッサン前半に大きくみられ、デッサン後半では5枚目を土台としつつ構図や皿に乗せられた人肉に細かな変更が見られ、最終的には次ページに掲載したデッサンへと収着する。デッサン群の最後を締めくくっていたこの絵は他のデッサンに比べ描き込みが精密であり、絵画を描くための下絵であったからではないかと推測されている。だがこのデッサンをもとにした絵画はいまだに見つかっておらず、様々な説が飛び交っている。
次の頁ではこの絵の謎について迫ろうと思う。
先述したとおりジョーンズの「我が子を食らうサトゥルヌス」のデッサン群をもとにした絵画は発見されていない。だがジョーンズが友人たちと交わした手紙などからそれが実在したことがわかっており、その行先に関しては諸説ある。
一番有力な説はジョーンズの学生時代からの友であったアーサー・カークランドの死を悼んで送られた、というものである。ジョーンズがこのデッサン群の作成を始めた時期がカークランドの死亡時期と一致することからもこの説の信憑性は高いが、本誌ではあえて違う説を取り上げようと思う。
それは「秘密の恋人説」である。
ジョーンズは晩年、青年期に大きな失恋をしたと語っており、その時期とデッサン群の作られた時期は見事に一致する。ジョーンズによれば失恋は相手女性から交際を断られたためではなく、やむなく離れ離れにならなければならない事情があったためとのことである。
もしこの絵画が遠くへ行く恋人に贈られたものだったのだとすれば。
この絵画の解釈も大きく変わってくるのではないだろうか。
デッサンに描かれた女性をよく見ていただきたい。かすれや紙の劣化によってわかりにくいが、左手の薬指に指輪をはめていることがお分かりになられるだろうか。そう、彼女は結婚指輪をはめているのである。
また、彼女の前におかれた手首も左手である。その手に薬指はなく、ナイフで切り分けられ女性の口に運ばれようとしている。これは偶然の一致だろうか。いや、これほどまで綿密に練られた作品において偶然など発生しえない。
薬指は古来より一番心臓に近い指とされてきた。その指を食べる行為はその心臓を、ひいてはその指の持ち主を食べることにもつながるのではないだろうか。
これを「恋人説」と踏まえて考えた際に浮上するのが、その配役に関する疑問だ。
食事をしているのは女性だが、食卓の手首もそのほっそりとした作りからまた女性のものだろう。はたしてジョーンズはどちらをどちらになぞらえて描いたのだろうか。
もし食事をする女性を恋人と考えるならば、その手の結婚指輪が意味するものは何か。推測される可能性の一つはジョーンズと彼女の関係が不倫関係にあったという暗示だ。これは“離れ離れにならなければならない事情”というジョーンズの言い方にも即しているのではないかと思う。
またこの結婚指輪はジョーンズが生前つけていた指輪と同デザインであるという主張もあり、もしかしたらジョーンズは生前恋人に指輪を贈っていたのかもしれない。
愛する人に自分の薬指を食べさせる行為は、自分のすべてを彼女にささげる意志を示し、変わらぬ愛を誓うものではないだろうか。
だが逆に食事をする女性をジョーンズ自身をするならば、解釈はまた大きく変わってくる。前述した説が献身を表すならば、こちらは愛した人を取り込んでしまいたいという独占の表れである。こんな別れが待っていると知っていればあなたを食べてしまえばよかった。そんな後悔がひしひしと伝わってくるようである。
どちらが正しいのか。それともまったく別の解が存在するのか。
それを知るのは今は亡きジョーンズただ一人である。
一説によればこの絵は焼かれてしまい現存しないらしい。
だが私は夢想せずにはいられない。
愛した人の寝室でその眠りを生涯守り、その死後も共に葬られ横たわる、永遠を誓った絵画の姿を。
作中に出てくる「我が子を食らうサトゥルヌス」はもちろん実在しますし、検索かければ一発で出てきますが、夢に出てくること間違いなしなので自己責任でお願いします。見ていただいたほうがわかりやすい、かな?
この絵画の存在を知ってからずっと書きたいと思っていた話でした。ですが、前作2作の雰囲気をぶち壊すこれを書いてよかったのか、非常に判断に困ります。(05/07)