「バレンタイン爆発しろ……」
机に突っ伏し、らしからぬ粗野な言葉を呪いのごとく低く吐き出したアルフレッドに、アーサーは食事の手を止め、ため息を吐くべきか苦笑するべきかはたまた顔をしかめるべきか悩んだ挙句に少しだけ非難するように眉をひそめた。アルフレッドの悩みもその言葉の真意も知ってはいるが、それを差し引いても彼の苦悩が、彼とは違う意味で今日という日を嘆く人間にとっては傲慢としか言いようのないものだったので。
「そんなこと言ってると後ろから刺されるぞ」
本来ならばアルフレッドの吐いた言葉は、バレンタインにチョコレートを一つももらえなかった男性たちが吐くべき言葉で。特筆するほど大きくもないが勉強道具一式が入る程度には小さくない鞄に溢れだしそうなほどチョコレートをもらう彼には全く無縁の言葉のように思える。
だいたい、このアルフレッドと言う少年は大の甘党で特にチョコレートを好物としているから、町中にチョコレートがあふれかえるこの時期はその当日を除けば総じて常に機嫌がいい。男一人ではさすがに恥ずかしいと言うアルフレッドにつれられてアーサーが町中のチョコレート売り場を延々と廻ったのはつい数日前のことだった。
「じゃあバレンタインには手作りチョコ!って風潮爆発しろ……」
アルフレッドが机から顔をあげないまま、彼の殺害を企てる人間を増やすような言葉を吐く。幸い教室の片隅で呟かれた言葉は昼休みのざわめきに紛れて彼に手作りのチョコレートを贈った女子生徒には届かなかったようだった。
彼がこのようなことを言い出すのは何も今年に始まったことではなく、同年代の少女たちがバレンタインと言うイベントに興味と夢を抱き、競い合うように手作りのチョコレートを作り出し始めたころから続く口癖のようなものだった。随分と難儀な性癖を持っている、とアーサーはアルフレッドを憐みと呆れの混じった生ぬるい目で眺めた。
午前、というよりも登校時に下駄箱を開けた時からぐったりしているアルフレッドだったが、彼の災難はむしろこれからだろう。
「アルー、アーサー!」
声をかけてきたのは同じクラスの女子生徒だ。その手には大きめの箱が収まっている。名前を呼ばれてようやく顔を上げたアルフレッドがそれを見るなりわずかに表情を曇らせたが、それに気づいたのはアーサーだけのようだった。
「ガトーショコラ焼いたの、一つどう?」
彼女が差し出した箱の中には言葉通り一口大にカットされたガトーショコラが納められていた。半数以上がなくなっているところを見ると、ぐるりと教室を一周して配っている途中らしい。どこからどう見ても義理と分るそれをアーサーは素直に一つ抓んで口に放り込んだ。先日のチョコレート売り場めぐりの際に試食したものよりも甘みが強いが、それなりにうまくできていると思う。感想と礼を言えば彼女は少しだけ誇らしげに笑った。
「はい、アルも」
箱を目前に突き出されて逃げ切ることをあきらめたらしく、アルフレッドは大人しくガトーショコラを一つ抓んだ。さりげなく小さめのかけらを選んでいることにアーサーは内心で苦笑した。
「うん、おいしいよ」
口に放り込んだ瞬間に顔をひきつらせておいてよく言う。それでも取り繕われた表情は完ぺきで、ガトーショコラを差し出した彼女は何の疑問も抱くことなく満足したように立ち去って行った。
「バレンタイン爆発しろ……」
アルフレッドの声はもう半ば泣きそうだった。そんな彼を慰めるようにアーサーは既製品のチョコレートを差し出した。まるで極寒の中に差し出された一杯の暖かなスープを受け取るような仕草でアルフレッドはそれを受け取る。嬉々として包装を破きチョコレートを口に運ぶ姿が何となく哀愁を誘った。
アルフレッドは、他人の手料理が食べられない。
それは潔癖症の一種とでも呼ぶのだろうか。部屋の片づけを面倒くさがり、ベッドの上でもためらいなくスナックを食べる姿とその病名はどうしても結びつかなくて、アーサーは彼をそう形容することに疑問を感じる。だがその名称以外に、他人が調理した食品を口に運べない心理を表す言葉をアーサーは知らなかった。
アルフレッドの拒絶反応は別に手作りのチョコレートに対してのみに起こるわけではなく、たとえば調理実習の後の試食の際にサラダに向けたフォークをそれ以上動かせないまま硬直していた姿は記憶に新しい。あの時も何でもないような顔をしながら皿を空にしていたものの、トイレから少し涙目で帰ってきたことを考えるともしかしたらすべて戻してしまっていたのかもしれない。
そんな彼にとって、手作りであることがある種のステータスになるこのイベントは地獄そのものだ。人からもらったものをむやみに捨てることもできない優しさは、この時ばかりは被害を拡大させる要因でしかない。極力手作りのものは受け取らないよう努力はしているようだが、今回のようにその場で食べることを勧められてしまえば断ることは難しい。アーサーからしてみればいっそカミングアウトしてしまった方が楽に見えるのだが、アルフレッドは頑なにその手段をとろうとはしなかった。存外フェミニストであるこの男は女性に対し「手作りのものは食べられない」などという失礼な言葉は吐けないらしいのだ。
そうしてキャパシティを超えてしまってトイレに逃げ込むのだろう。そっちの方がよっぽど失礼にあたるように思うのはアーサーだけだろうか。
「君のスコーンが食べたい」
アルフレッドは再びぐったりと机に突っ伏してしまっていたから、その声はくぐもって聞こえた。そんな彼にアーサーはやはり表情を作り損ねる。
「お前、そういうとこ矛盾してるよな」
料理は好きだが上手くないことなど重々自覚している。付き合いの長い友人たちから下された評価に容赦はなかった。人が食べてはいけないもの、などとさえ形容されたことがある。なのに。
他の誰の手料理も口にできないこの男が、他の誰も口にできないアーサーの料理だけはやすやすと食べれてしまう。ひどい矛盾。なんて滑稽で、なんて優越を覚える矛盾だろうか。
わずかに口元をほころばせながら、アーサーはアルフレッドのつむじを眺めた。
「チョコチップ入りのやつ、焼いてやるよ」
「うん、」
手短な返答からもアルフレッドが極度のグロッキーであることがうかがえる。チョコレート攻撃はむしろこれからが本番で、帰宅の時間はいつもより遅くなるだろう。スコーンを焼く時間はあるだろうかと、アーサーは放課後の予定に思いを巡らせた。
そう、もういっそ自分のもの以外受け取らなければいいのにと、思ったことをそのまま口にしてしまって、それが盛大な愛の告白でもあることに気付いたのは発言の数秒後のことだった。
2013/02/15 pixiv掲載
2013/04/02 サイト格納