The Garden

流血、暴力表現注意









 ピンポーン、とどこか軽薄なインターホンの音が響く。
 扉の向こうで人の動く気配がして、ガチャリと鍵が開いた。

「はい、」

 扉を開けて顔をのぞかせたアメリカは、ひどく不機嫌そうな顔をしていた。

「よっ!」

 フランスが顔の高さに手を挙げて挨拶をするが、その顔を見た瞬間アメリカは既に最悪に見えた機嫌をさらに降下させた。
 何も言わずに扉を閉ざそうとするアメリカに、フランスが焦って扉の隙間に靴の先を滑り込ませる。どこの悪徳セールスマンだ。
 がっ、と扉の動きを妨げられたことにアメリカが低く舌打ちをした。険呑な目つきと相まって、その辺の不良ならば一目散に逃げ出してしまいそうな迫力がある。

 ドアの隙間がわずかに広がった。
 フランスがおっ、と思う間もなく再度思いっきり閉められる。アメリカの馬鹿力を考えればフランスの足の甲の骨を粉砕してドアを閉めることは十分に可能だ。間違いなくR-18Gな光景が広がることになるが。

「アメリカさんストップ!」

 割り込んだ声に、ピタリとドアが止まった。
 フランスの陰から慌てて日本が顔を出す。真っ当にアメリカの家を訪れても今のように追い返されるだけであるため、なんとか家に上がり込むためにフランスが呼んだ助っ人だ。

「やあ日本、こっちまで来るなんて珍しいね」
「ええ、フランスさんにお誘いいただきまして」
 今までの表情から一転、明るい声でアメリカが日本に笑いかけた。対応の違いにフランスが涙目だが、視界にさえ入れてもらえないため気付かれることはない。

「今日はどうかしたんだい?」
「最近めっきり会う機会が減っていましたので、フランスさんに声をかけていただいた時にいい機会だと思ったんです」
「つまりは俺の顔を見に来ただけかい?」
「特にこれといった理由はありませんから、そう言うことになりますねぇ」

 アメリカが日本を家に招き入れつつ雑談を交わす。
 吹き抜けになっている玄関ホールで日本はきょろきょろと周囲を見回した。

「広いお宅ですね」
「あれ? 日本はこの家に来るのは初めてかい?」
「ええ、前から所有されていたものなんですか?」
「長い間ほったらかしだったんだけどね」

 古風な屋敷は新しい物好きのアメリカにはどこか不釣り合いだ。
 ニューヨークの片隅、魔天楼を見上げることのできる小さな部屋を転々とするアメリカがこのような郊外の屋敷に住むのも珍しい。

「こちらには、いつから?」
「こっちにきて1ヶ月とちょっとだから8月の半ばくらいからな。そのころに前に住んでたとこの水回りが壊れちゃってさ、そこが直るまでのつもりだったんだけど、もう一回引っ越すのがめんどくさくてそのまま」
「静かで素敵なところですね」
「まあ、騒ぎすぎても近所迷惑にならないのは便利かな」

「待って! お前ら俺を忘れないで! お兄さんここにいるのっ!!」

 招かれざる客が叫ぶ。それを死んだ目で一瞥し、アメリカは日本に向き直った。

「リビングは向こう、コーヒー淹れてくるからちょっと間待ててくれよ」
「ねぇ、ちょっと、お兄さんは? わざわざ来てやったお兄さんにもいたわりの言葉はないの?」
「では、お言葉に甘えて」

 案内されたリビングも、屋敷の規模同様広い。
 日本は思わず部屋の前で足をとめた。

「日本、どうかした?」

 無言の背中に声をかけたのはフランスだ。アメリカはすでにキッチンへ姿を消してしまっている。
 背後からの声に驚いたのか日本が振り向き曖昧な表情を作った。

「いえ……その、この部屋……何だか違和感がありませんか?」
「? ふつーのリビングじゃない? 確かにアメリカの趣味っぽくはないけど」
「そう、でしょうか……」

 日本がまだ納得しきれていないような表情でリビングに入る。落ち着きなく部屋を見回す日本にフランスも思わず懐疑心に駆られ、部屋を観察した。
 ソファ、ローテーブル、薄型テレビにほったらかしのゲーム機。おかしなところは一見見当たらない。
 日本の感じた違和感はなんだったのだろうと首を傾げたフランスだったが、部屋のとある一点に目を止め、そう言うことかと納得した。

「もしかいてあれじゃない? 違和感の正体」
「あれ、とは……?」
「ほら、そこの壁」

 フランスが指さした壁の一角はレンガで組まれており、中でも一部分だけがレンガが新しかった。

「前はあそこに暖炉があったみたいだけど、塞いじゃったみたいだね」
「はぁ……」

 まだ納得のいかないような表情で日本がため息ともつかない声を上げる。
 フランスに指摘されるまで日本はその壁が暖炉の跡であることすら分からなかった。フランスや他の欧州諸国にとっては暖炉は当たり前のものであろうし、それが塞がれていれば違和感を感じるかもしれないが、日本の家には暖炉の文化はあまり根付いていない。

 ならばこの違和感は、この言いようのない焦燥感は何だというのだろう。


「あれ? 二人とも立ったまま何してるんだい?」

 コーヒーを持って戻ってきたアメリカが不穏な空気を纏って立ち尽くす二人に首をかしげた。





 違和感? 何それ怖いからやめてくれよ。また夜一人で眠れなくなっちゃうじゃないか。
 アメリカは日本の不安をそう流した。

「今はトニーも田舎に帰ってるから一緒に寝てくれる人がいないんだよ」

 昔はリトアニアがいたのになぁとアメリカがぼやく。ホラー・オカルトの類が大の苦手な青年にとって精神安定剤代わりの抱き枕は必須らしい。
 アメリカの抱き枕として利用されている人間もとい国がもう一人いることは日本もフランスも知っていたが、それを口に出すことはできなかった。アメリカがむくれるから、などというかわいらしい理由ではない。

「あー、アメリカ、前置きなしで悪いんだが、最近イギリスと連絡とったりしたか?」
「取ってないけど……何? あの人まだ見つかってないの?」

 アメリカが呆れたように目を細めた。

 これが、今回フランスがアメリカの家を訪れた理由だった。

 数ヶ月前からイギリスがぱったりと公の場に顔を出さなくなった。
 一応多忙のため、ということになってはいるが屋敷はもぬけの殻で、いつもの仕事場にも出入りしていないことはフランスが既に確認済みだ。
 初めは髪を切り過ぎて人前に出れないんじゃないか、なんて冗談も飛び出していたが、事態はどれだけたっても好転しなかった。事件に巻き込まれたか、重大な問題が発生したのか、詳しい原因は定かではなかったが、ただならぬ状況であることは誰もが理解できた。
 失踪直前のイギリスはどこか様子がおかしかったから、なおさらのこと。
 思い返せば失踪するずいぶん前から生傷が絶えていなかった、などという証言もあり、イギリスの身の安否さえも危ぶまれる状況にまで、事は深刻化していた。

 いい加減何とかするかと各国に聞き込みをして情報を集めているフランスではあったが、ネットワークが発達したきょうびわざわざ相手を訪ねる必要はない。これまでの聞き込みも、会議の合間の休憩時間や電話を利用して行っていた。

 それを今回、はるか大西洋を越えてアメリカ大陸にまでやってきたのは、彼の中でアメリカが限りなく黒に近い存在だったからだ。……幼い時分に弟のように可愛がったアメリカを疑うことはフランスとしても辛いものだったが、そんな愛情を押し殺してまで家を訪ねるほどに、アメリカは怪しかった。

 そもそもあのイギリス大好き過ぎてツンデレに走ってしまう青年が、イギリスの失踪に関して大きな行動を見せなかったことからしておかしいのだ。イギリス関連の事件で真っ先に各国から情報を集め行動を起こすのは、本来この青年の役割だろうに。
 それからもう一つ。
 聞き込みの中でもアメリカの名前がよく上がった。
 よく怪我をしていたというイギリス。彼の傷は、アメリカが彼と過ごすと言っていた次の日に新しくできていることが多かったという。
 おまけにこの屋敷に越したのがイギリス失踪と同時期とくれば、それらの符合は偶然だけで片づけられるものではない。

 正直、長年の初恋をこじらせて倫理的にやばい方向に走ってしまったんじゃないかと疑っている。

「じゃあ、あいつがいなくなる前になんか言ってたりしたか? おかしなこととか」
「あの人がおかしなこと言ってるのはいつものことだし……特にいつもと変わりはなかったと思うけど」
「そうか……」

 その返答がこの場合適切でないことにアメリカは気付いていない。
 失踪する直前のイギリスは誰の目から見ても異常だった。それをいつもと変わらないと評価するならばそれこそ異常と捉えられるほどに。

「イギリスさんが行かれる場所に心当たりは?」
「うーん、それに関しては君たち以上に知ってることはないと思うな。お気に入りの薔薇園があるあの田舎町とかも当然調べてあるんだろ?」

「ああ、それは大分前に調べた」
「ヨーロッパやアジアでの動向は君たちの方が詳しそうだし、こっちの大陸だとそこまで気に入ってる土地とかはなかったと思うよ」
「はぁ、やっぱりお前も知らないか……」
「知ってたら俺だって行動してるよ」

 そう宣言した声はいつもの張りのある声で、少しだけ安心した。どうしてこいつを疑っていたんだっけと不思議になってくる。
 疑わしい半面、アメリカがイギリスを故意に傷つける――からかったりすることはもちろん除くが――ことなどあり得ないと言い切れるのもまた、事実だった。

「とにかく、俺の方でもう少し情報集めてみるわ」
「何か分かったら教えてくれるかい?」
「もちろん」

 どこかすがるような声にフランスはウィンクで答えた。





 会話の話題はイギリスから現在の世界会議の状態にへと移っていた。
 アメリカはイギリスがいなければ張合いがないのか、会議もサボりがちだ。日本が会う機会が減っていたと言ったのはこのためである。
 世界の超大国と老大国が不在で会議が進行するわけもなく、連日繰り広げられているのはなんだかよくわからない雑談やら殴りあいやらだ。

「―――それでその時はドイツの代理でプロイセンが来ててさ、」
「あの時は、腹筋よじれるかと思いました」
「へぇ、世界会議もなかなか楽しそうだね」
「本来の目的からは大きく外れてしまっているんですが、ね……」

 日本が困ったように笑う。欧州の面々はストッパーがないのをいいことにやりたい放題ではあるが、この生真面目な人は会議をほったらかしにすることに躊躇いを感じてしまうのだろう。

「俺も久々に、っ」
「っ?」

 何かを言いかけたアメリカが突然息を詰め、残る二人も一瞬遅れて異変に気付いた。


 音がする。


 どん、どん、と何かを鈍器で殴っているような音だ。恐らくは、二階から。

「っ、ごめん、見てくる! 危ないかもしれないからここにいてくれ」

 すばやく身を翻してアメリカはリビングを飛び出して行った。
 奇怪音にもしや、とフランスと日本は顔を見合わせた。
 万が一イギリスがアメリカに監禁されているのなら。これは彼からのSOS信号ではないだろうか。

 口論になっていたり乱暴が働かれているような気配がしたらすぐに駆けつけられるように身構えていた二人だったが、二階の廊下をかけるアメリカの足音が聞こえなくなったのとほぼ同時に音はピタリとやんだ。

 二人はじっと耳を凝らしていたが、上からはもう何も聞こえてこない。

 だが。

 耳を澄ませたせいで何か違う音がすることに気付いてしまった。

カリカリカリ、カリカリカリ、ガリッ、

 それは、何かをひっかくような音。こちらは上の階からなどではない。壁か床――おそらくはこの室内から。

カリカリ、ガリッガリッ、

 一度気付いてしまえば、小さな小さなその音は否が応でも耳に飛び込んできた。広いリビングに木霊する、焦燥を煽る音。

カリカリカリ、カリカリカリ、

「もしかして、そこから……?」

 日本が恐る恐る指さしたのは、あの塞がれた暖炉だった。
 重たい空気に抗い、フランスがその傍へと近寄る。

カリ、カリ、カリ、カリ、

「壁じゃなくて、中からみたいだな……」

カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ

 暖炉というものは、意外に奥行きがある。
 その瞬間二人の脳裏に同じ光景がよぎった。


   レンガで塞がれた暖炉。
   中で閉じ込められた“誰か”が、内側から壁をひっかいている。
   助けを求めて、カリカリ、、カリカリ、と、


 ぞわぁっ、と全身の毛が逆立った。

 フランスは思わず壁へと手を伸ばし、


「あれ? 何やってるんだい、フランス」

 いつの間に戻ってきたのだろう、リビングの入口にアメリカが立っていた。

「えっ、っと、いや、この暖炉なんで塞いであるんだろうなぁ〜と」
「使わないからだよ。今時そんな暖炉使ってるのなんてあのおっさんくらいだろ」

 どうしてそんな質問をされるのか理解できないとばかりに眉を寄せたアメリカに日本が声をかける。

「それで、あの音はなんだったんですか?」
「ああ、テレビがタイマーでついちゃったみたい。消して、タイマーも解除してきた」

 白々しい嘘だった。
 あんな腹部をわずかに震わせるような音がスピーカーから発せられたものであるはずがない。

「あめりか……この中からもなんか音がすんだけど……」
「音?」
「ほら、聞こえない? カリカリカリってさ」

 訝しげな顔をしたアメリカが暖炉跡に近付き、壁に耳を寄せた。

「……確かにするね。煙突の方はまだ塞いでないから、そこからネズミか何か入ったのかもしれない」
「なんで煙突の方先に塞がないんだよ、お前は。ゴミもネズミも入り放題だろ、それ。レンガ外して中掃除して、それから改めて煙突から塞ぐべきじゃないか?」
「え……レンガ外すのはちょっと……」

 アメリカの表情が硬くなった。目に見えてうろたえだす。
 まるで、見られたくないものがその中にあるように。
 その様子に2人の脳裏に先程の映像が再度再生された。

   カリカリと、煉瓦の向こうから壁を掻いているのは――誰?

「レンガを外せ、今すぐにだ」
「今すぐ?! 何言い出すんだい」
「お前がやらないなら俺がやるぞ」

 そう宣言したフランスは何か鈍器になるものを探したが見つからず、蹴り壊すことを暗示するように足でレンガをとんとんと蹴った。

「いくぞ、いいな? アン、ドゥ「あーー!! もう分かったからストップストップ!!」

 フランスの本気を悟ったのか、アメリカがフランスと壁の間に割り込む。
 それは暖炉の中に“何か”があることへの肯定だった。

「中に何がある?」
「…………」
「答えろ、アメリカ」
「……どうしても言わなきゃだめかい?」
「俺はな、アメリカ、お前のことを疑ってるんだ」
「ッ!!」
「フランスさんっ」

 フランスの言葉にアメリカが顔を歪め、日本が悲痛な声を出す。

「だけど、俺はそれでもお前を信じたいって思ってる。それには証拠がいるんだよ。お前の潔白を示す証拠だ。お前がその中身を隠し通そうとする限り、俺のお前への疑いは晴れない」
「………………………………………………分かったよ……」

 アメリカが重たいため息を追いかけるように俯いた。

「ハロウィン用の仕掛けなんだよ……」
「は……?」
「えっ……」

 フランスと日本の間の抜けた声にアメリカが羞恥で顔を真っ赤にした。

「あぁぁあ、だから言いたくなかったんだよ! 中にスピーカー仕込んであって、中から人が壁引っ掻いているような音流す仕掛けなんだ! 誤作動で昨日から鳴りやまないんだよ! 音量最小限まで絞ってあるけど気になってずっと苛々してるの! あと、さっきの上の階の音も誤作動! 調整がまだ全然すんでないんだ!!」
「ハロウィン、って、まだまだ先じゃねぇか……」
「イギリス驚かすには家丸ごと改造するくらいの規模じゃなきゃいけないから、時間かかるんだよ。今回は仕掛けたくさん作るつもりだったから調節もあるし」
「もしかして、こちらに引っ越されたのはそのためですか?」

 アメリカが不機嫌そうにうなずく。

「本当はニューイングランドの田舎にある屋敷にしたかったんだけど、距離があり過ぎて通えないから雰囲気が似てるここにしたんだよ」
「…………」
「…………」
「俺を疑うなんてひどすぎるんだぞ。イギリスが中にいるとでも思った?」

 図星だ。
 フランスと日本がぎくりと肩を揺らす。

「まあ仕掛けがリアルだって証明になったのはうれしいけど、あんまりだよね」

 じとっと湿った視線を冷や汗をかく二人に投げかけ、アメリカはこれ見よがしにため息をついた。

「すみません……っ、ですが2階の物音もハロウィンの仕掛けならどうしてあの時、危ないかもしれない、なんておっしゃったんですか?」
「あの仕掛け、本当は人感センサーで作動するようになってたんだよ。だから誰か忍び込んだのかなって思ったんだ。前にも空き巣に入られたことがあったしね」
「空き巣ですか、それは災難でしたね」
「まったくだよ」

 誰か監禁してるんじゃないかって疑いまでかけられるしね、とアメリカは付け足した。これは相当根に持っているな、と日本は寒気が止まらない。

「でもさ、アメリカ、今年の準備が無駄になるかも、っては思わないのか?」
「正直、今年はどうしようって迷ったよ。でもさ、あの人ふらっと帰ってきそうだから。その時迎え撃つ準備ができてなかったら、悔しいじゃないか」

 そう言ってくしゃりと笑ったアメリカは、どうしようもなく泣きそうな表情をしていた。





「では、今日はそろそろお暇しますね」
「ああ、また来てくれよ」
「……あまり、根を詰めすぎないようにしてくださいね」

 少しだけ痩せたアメリカの顔を見上げ、日本が微笑とも苦笑ともつかない笑みを浮かべる。

「大丈夫さ。次の会議には顔を出すよ」
「ええ、ぜひ」
「フランス、」
「ん? どうしたの?」
「次、手土産なしだったら家に上げないから」
「……ハイ……」

 フランスが殊勝に頷き、アメリカが満足そうによし、と言った。

 玄関の外までわざわざ出てきたアメリカに見送られながら、車に乗り込んだ二人はアメリカの家を後にした。
 運転はフランスだ。助手席の日本が後ろを振り向いてアメリカへと手を振る。

 家の前に立つそのシルエットは、やはり目に見えて細くなっていた。
 普段代わりと厚着だから、というのも理由の一つだろうが、明らかに体重が落ちている。痩せた、というよりはやつれたという表現が似合いそうな減量だ。

「フランスさん……」
「んー?」

 上半身をねじって後ろを向いたまま、日本が静かにフランスの名を呼んだ。

「アメリカさんのこと、どう思います?」
「どうって、いつも以上にお兄さんに冷たかったとか?」
「それはいつものことだと思いますよ」
「…………日本って、結構辛辣だよね」
「恐れ入ります、すみません」

 ようやく状態を戻し、座席に背を預けた日本は彼らしくないふてぶてしい声で言った。
 それから、遠くを見つめながら独り言のように呟く。

「アメリカさんにしては、杜撰だなと思っただけです」
「何か隠してるって言ってるようなもんだったね」
「考えれば考えるほどかみ合わないんです。もし始終あの調子なら、監禁なんてできっこない。相手がイギリスさんならなおさらです。それに、イギリスさんとハロウィンの脅かし合いをしたいと言った時のアメリカさんは、嘘なんてついてなかった」
「根拠は?」
「年寄りの勘ですよ。裏付けはどこにもありません。でも、もしたとえアメリカさんの言ったことが全て嘘だったとしても、あれだけは本心から出た言葉だと、そう思うんです」

 いつになく強い口調でそう言ったきり、日本は口をつぐんだ。
 しんと降りた沈黙に車内が支配される。

 日本は流れる景色を力なく眺めて続けた。
 まるで現状のようだ。見ているだけで、こちらからは何の行動も起こせない。

 やがて、諦めるように目を閉じた。



―――碧色の瞳が一つ、走り去る車をじぃと見つめていた。





 日本たちの乗った車が角を曲がり消えるまで眺めていたアメリカは、溜め息を一つついて踵を返した。
 まっすぐ2階に向かおうとして、その前に置かれっぱなしのカップを片づけようとリビングに足を向けた。

 ふと目に入ったのは例の塞がれた暖炉だ。
 相変わらずそこからはカリカリと微細な音が響いている。

 少し考え込んでから、アメリカはおもむろに暖炉へと歩み寄った。
 無造作に膝を折って、真新しいレンガへと掌を当ててみる。
 カリカリという振動が、僅かに伝わってきた。

 クスッ、と笑みがこぼれた。

「今日は君の大好きな日本が来てたよ。ああ、あとフランスも。二人とも君を心配して探しに来てくれたんだってさ。やさしい友達がいてよかったね? 俺が君を監禁してるんじゃないかって血相変えてたぞ。なんて、君もここで聞いてたんだから知ってるよね。はははっ」

 笑いながらざらざらとしたレンガを引っ掻く。
 がりがりがりと鈍い音が響いた。

「それにしても、まさかあんなにあっさり信じるなんてね。もしもの時に誤魔化せるようにって仕掛け作っといて正解だったよ。少ししたらまた来そうだから、仕掛け増やしておかなきゃ。ポルターガイストが起こる部屋を作りたいんだ。椅子とか机とか皿が宙を舞うっていうあれだよ。構想はもうできてるから早く完成させたいな。ああ、でも、」

がりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがり、がりっ、がりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがり

 少し伸びていた爪がレンガとレンガの隙間に挟まり、割れる。
 それでもレンガを掻く指は止まらない。
 赤茶色のレンガに赤く擦れた線が幾本も走った。

「君はそこにいるから、見れないね?」

 はははっ、とまた笑い声を零し、アメリカは一転据わった目をした。

「君が悪いんだよ、イギリス。君がいつまでたっても俺のものになってくれないから。イギリス、イギリス、ねぇ返事しなよ、イギリスってば。イギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリスイギリス」

がりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがり




「なにやってんだよ、おい」









 頭上から降ってきた声にアメリカはピタリと手を止めた。
 それから、うーん、と唸って言葉を探す。

「前に日本の家で読んだ本に出てきた女の子の真似」
「それはどんな狂女だ。爪割れてんぞ、大丈夫か?」
「ヤンデレって言うらしいよ。あぁ、ホントだ。結構深く割れちゃったなぁ。水仕事大変そう……」
「とりあえず傷口洗って絆創膏貼れ」
「あー、救急箱2階だ。取ってきてくれよ、イギリス」

 指の傷を確かめていたアメリカが顔をあげ、呆れた顔をしたイギリスを見上げた。

「これでどうやって持ってこいってんだよ。とりあえず手錠外せ」
「それはだめ」

 アメリカを見下ろすイギリスは、満身創痍だった。
 一番目立つのは左目を丸々覆う包帯で、額にも少しよれた包帯、首の根元から鎖骨にそってこれまた包帯、それ以外の部分も至る所にガーゼや絆創膏が貼られており、文字通り完膚と呼べる部分がない。

 そんな彼が外せと訴えたのは、彼を後ろ手に戒める手錠だった。
 摩擦による裂傷を防ぐためなのだろうが、手首と手錠の間にはタオルが挟まれているため関節を外して引き抜くという荒業も叶わない。

 不満げな顔をするイギリスをアメリカが手招く。
 暖炉の前に膝をついたままのアメリカと目線を合わせるためにイギリスは渋々膝を折った。

「わっ?!」
「おっと」

 が、右足が奇妙な方向に曲がり、そのままアメリカの腕の中へと倒れ込んでしまう。
 飛びこんできた体を器用に受け止め、アメリカはその細い体を抱きしめた。

「な、ななな、な、何すんだよいきなりっ!」
「少し黙ってなよ。いやじゃないくせに」
「なっ、」

 至近距離にあるアメリカの顔にイギリスが顔を真っ赤にして暴れ出す。
 だがもとより細い体――怪我で自由の効かない体ではまともな抵抗も叶わず、やがてイギリスは諦めたのか大人しくアメリカの腕に収まった。
 腰にまわされていた右腕が背を上って、髪を梳く。

「まったく、また怪我増やして」

 よれてしまっている額の包帯を指で直しながらアメリカが顔をしかめた。
 包帯は以前イギリスが頭を窓ガラスに叩きつけた時にできた傷のために巻かれていたものだったが、今日イギリスはその包帯の下に新しく傷を作ったのだ。
 重たいデスクの角に何度も額を打ちつけるという奇行。包帯がクッション代わりになったためか酷い怪我ではなかったが、包帯より少し上、生え際のあたりをわずかに切ってしまったため白い包帯には赤く血がにじんでしまっている。

「大人しくしててね、って言ったじゃないか。どうして言うこと聞いてくれないんだい」
「……だって、…お前が日本と楽しそうに話してるから……、」
「怪我なんて作らなくても、俺は君のそばにいるから、ね?」
「……さっきはいなかったじゃねぇか」

 唇を噛みしめてむくれた表情を作るイギリスをなでながら、ごめんね、と幼子に言い聞かせるように繰り返す。
 しばらく繰り返せば機嫌を直したのか、自分からすり寄ってくるイギリスをアメリカは壊れ物を扱うようにそっと抱きしめた。

 傷だらけの体は、もう、強くかき抱くことすら叶わない。


 イギリスは、アメリカの気を引こうと自傷行為に走る。

 最初、彼が指や手に小さな切り傷をよく作っているのを見ても、アメリカはそそっかしい人だからだとしか考えていなかった。
 だからふとした瞬間にそれが故意に作られたものであると気付いてしまった時、その行為がどれくらい前から行われているものなのか分からなかった。今日初めてかもしれない。数日前からかもしれない。数週間前からかもしれない。いや、もしかしたら、それよりもずっと、

 ぞっとした。

 傷が故意につけられたものであることがアメリカに露見した後も、はじめのうちはイギリスはうっかり怪我をしたというスタンスを貫き通していた。料理中に切ったと左の人差し指に絆創膏を巻いていたり、机にぶつけたと腕に青あざを作っていたり。
 だがそれが徐々にエスカレートしていった。どんなに彼が料理ベタでも右手の甲に一般人なら跡が残ってしまいそうなほど深い切り傷は作らないだろうし、ぶつけただけで指の骨が手の甲側に折れることもない。

 イギリスの自傷行為の目的に気付くまでにはそれなりの日数を要した。
 どんなにアメリカが問いただしてもイギリスははぐらかすばかりであったから。

 ようやくその行為はアメリカが食事や飲み会に誘われた日に行われることが多いらしいと突き止めて、それをイギリスにつきつけてもやはりイギリスは何も答えなかった。
 傷の深さは、過ぎた日数に比例して深くなっていった。
 アメリカが気付いたころはどこかを怪我して、それが治りかけたころにまた別のところに怪我を作る、といった具合だったのだが、いつの間にか、傷口に血がまだにじんでいたとしても他の傷を作るようになり、同じ傷を治りかけにえぐって悪化させるようになった。

 イギリスはアメリカが他人と親しくしてるのを見る度に傷を作る。そんな法則を見出しながらもアメリカはそれが何をもたらすのかを深く理解していなかった。

 初めは懇意にしている国との親密な付き合いに、
 次には同じ国同士の和やかな会話に、
 その次には上司や同僚といった仕事仲間との何気ないやり取りに、
 やがては街での自国民とのわずかな接触に、

 イギリスは強い拒絶を示すようになった。
 泣くこともない。叫ぶこともない。喚くこともない。ましてやアメリカやその相手に暴力をふるうことなどない。

 ただ、その痩身に傷ばかりが増えていく。

 彼にとって責めるべくは他者に関心を奪われるアメリカでも、アメリカの関心を奪う他者でもなく、アメリカの関心を引けない自分自身なのだ。だからより強い関心の的を作ろうと、体に傷を作る。それでもやはりアメリカはよそ見をするから、もっと強い関心をと傷を深くする。悪循環だ。
 人は、人と関わらなければ生きてはいけないというのに。

 アメリカにイギリスを隔離することを決心させたのは、7月の終わり、独立記念日前後の体調不良からイギリスが立ち直り始め、ようやく会えたその日に起こった出来事だった。

 アメリカの家での、二人きりの食事。
 そんなさなかにかかってきた電話に、アメリカはそれが上司からの連絡であることを理由に、マナー違反を承知で出てしまった。
 だが会話の内容は別にそれは今じゃなくてもいいだろうというもので、苛立ったアメリカは手短に話を打ち切らせ、まだ食い下がりそうな向こうの気配に一方的に電話を切った。

 ごめん、じゃあ食べようか。
 そう言いかけたアメリカは言葉を凍らせた。
 向かい側に座るイギリスは、左目から赤い涙を流し、ケチャップにまみれたフォークを持っていた。食卓の上に、そんなものは置かれていないというのに。
 何が起きたかは、明白だった。

 事態のあまりの恐ろしさに、悲鳴は喉もとでわだかまった。
 その後アメリカはイギリスを病院へと担ぎこみ、イギリスの上司へと連絡を取った。求めたのはイギリスをアメリカ合衆国内に滞在させること。許可は予想以上にあっさりと降りた。
 それから2人では手狭になってしまう部屋を引き払いこの屋敷へと引っ越し、大使館を通じてイギリスが公務を行える体制も整えた。今では数日に一回イギリスの秘書とやらが書類をまとめてアメリカ宅持ってくる。
 またアメリカも仕事をできるだけ屋敷でこなし、イギリスとの時間を優先的に持てるようにしていた。

 発作的に自傷行為を行うこと以外、イギリスにおかしなところはないのだ。
 仕事も今まで通りこなせるし、料理の腕前だって悲しいことに変わらない。
 だがアメリカはイギリスの左目のトラウマから彼を野放しにしておくことができなかった。仕事ややりたいことがあると訴えた時以外、イギリスの腕は常に拘束されている。腕が使えないならとガラス窓に頭を突っ込んだり、デスクの角に強打したりするので、この方法も危険だなと思いつつはあるが。


「世界に二人だけだったらよかったのにね」

 そうこぼしたアメリカの声に睦言のような甘さはなく、ただ迫りくる寂寥感だけが滲んでいた。

 彼のためにこの身を捧げることなんて厭わないのに、彼は1人で傷ついてばかりで。
 自分のせいで大切な人が傷ついていくのに、もがけばもがくほど事態は悪化するばかりで。

「イギリス……」

 抱きしめたイギリスの肩口に顔をうずめる。泣きそうな声で名前を呼ぶ。
 両手の自由が利かないイギリスはいつもより小さく見えるその体を抱きしめ返すこともできず、ただもどかしそうにアメリカのへとすり寄った。

 窓から差し込む西日が二人を照らし、暖炉の壁に歪な影を作る。
 その向こうからはまだカリカリという音が所在なさげに響いていた。


「今年もハロウィンの脅かし合い、できればいいね、イギリス―――」

 それは、まぎれもない懇願だった。











2012/01/28 pixiv掲載 2013/04/02 サイト格納