「すみません、隣いいですか?」
カウンターの隅っこでお酒をなめているその人に声をかけて、俺は返事を待たないでその隣に腰を下ろした。頬杖をついて隣を覗き込んだけど、こっちを見向きもしない。待ち合わせをしているからと告げる態度は素気なくて、意地でも振り向かせてみたくなる。
「それは僕を断るための嘘?」
本当はそうじゃないってわかってた。ずいぶん前からずっと数分おきに時計をちらちら確認してたから。けど、気づかないふりをした。
より笑顔を深めて顔を覗き込めば、その人はピクリと肩を揺らした。その手に収まるグラスの中でぴちゃんと液体が跳ねる。少しこぼれたかな。照明が暗くてよくわからない。
黒々としたカウンターを凝視していると、ぼそりとつぶやく声が耳に届いた。きっと急な用事が入って来れないだけ、なんて、強がっちゃってさ。言葉とは裏腹にさみしそうな眼をしているから、すごく庇護欲をそそられる。
俺は首をより傾けて、頬杖をついた腕に頭の重みをかけた。ゆるく弧を描いた頬が歪にゆがんだ。
「あなたの待ち人が来るまででいいんです。少し話をしませんか?」
少し強引かな、とも思ったけれど強気に押し切る。
そうすれば押しに弱いのだろう、その人はややあってから小さく頷いた。
よかった、と笑いながらふと思う。
これって、浮気になるのかな。
この俺、アメリカにはあんまり可愛いとも言い切れない恋人がいる。ヨーロッパの端っこにふかふか浮いてる変な形の島国、つまりはあのイギリスさ。
同性で、おまけに元は兄弟なんて肩書だった俺たちがどうして恋人同士なんて間柄に落ち着いたかも、本当は説明するべきなんだろうけどどうしたって長くなっちゃうからそれはまたの機会にしよう。
実をいうと今日もイギリスとの約束があった。すっぽかしてバーになんかに来てるけどね。
事の発端は今日の朝にさかのぼる。
しばらく実家に帰ってたトニーがお土産にって面白いものをくれたんだ。
なんでもそれは“自分の容姿を自在に変えられる装置”らしい。クールな名前がついてたけど、長すぎてちょっと覚えていない。
さっそく試してみたんだけど、やっぱりトニーの持ってくるものはすごいね。身長体重年齢人種性別、なんだって好きに設定できるんだ。イギリスとか日本を再現してみたけど、我ながらなかなかの出来だったと思う。
いろいろと遊んだあと、俺は最終的に本来の俺とは全く違う容姿を設定した。年齢は20代半ばくらいで、髪は少し癖のあるブルネット。目の色も変えようと思ったけど、どの色にしても何となくほかの国とかぶるような色合いにしかならなかったから、いつもの青色に少し緑を混ぜるだけにとどめた。
そうやって設定した違う人の皮をかぶって家を出たのが昼過ぎ。
いつもと同じ調子でハンバーガーを食べてたら奇異の目で見られた。当たり前だよね、そんなことをしそうな容姿じゃないもの。普段と同じパーカーとジーンズで出てきてしまったから余計かもしれない。
それに思い至った俺はその足で紳士服を取り扱ってるブランド店に行って、普段なら絶対に着ないようなタイプの服を一式見立ててもらった。それに合わせて言葉づかいとか、物腰とかも変えちゃうあたり俺って凝り性だなぁって思うよ。
外見だけじゃなくて中身まで別人になりきったところで仕事場に突撃。
同僚もボスももちろん誰も気づかなくて、内心でお腹を抱えて笑った。
それで、それから。
いま俺はアメリカじゃないんだから。
何をやったって許されるんじゃないかって気がしてきた。
自分で言うのもなんだけど、俺って結構一途なタイプだと思う。フランスとかからは散々からかわれてるけど、ここ数百年ずっとイギリス一筋だから。
だから、さ、俺ってナンパとかしたことないんだよね。
声をかけたのはほんの出来心。でも、その人があんまりいじらしい反応を返すものだから。
少し、本気になった。
その日は他愛もない話をして別れた。
それから数回偶然を装って会った。そのたびにその人は人を待っていたけれど、いつも相手は来ない。
連絡先を渡したのは4回目に会った時。ちなみに携帯はこのためだけに新しいのを用意した。俺って凝り性なんだよね。
偶然なんかじゃなくてきちんと約束して会いたい、ってメールした時は結構ドキドキした。だから忙しくて、と渋られたときはがっかりしたね。毎週バーで来もしない相手を待ってることはできるのにさ。
それでも躍起になってることを悟られないように押して押して押しまくったら、ようやくOKがもらえた。と言っても真昼間のカフェで小一時間談笑しただけなんだけど。
それからはあの人も警戒が緩んだのか予定が合うときは少しずつ会ってくれるようになって、出会って数か月後くらいには親密な友人同士かそれ以上とも言い難い関係が出来上がっていた。
からかうと恥ずかしそうに言い返してくる。可愛いといえば照れて真っ赤になる。気まぐれに触れれば戸惑うように微笑む。
俺の恋人様もこれくらい素直だったらいいのに。なんて、思ってしまうあたり俺は結局イギリス一筋なんだろうか。
そうそう、イギリスはと言えば、ここ数か月は少し疎遠だ。
別人になりきって遊ぶのに夢中になりすぎちゃって約束をすっぽかしまくっちゃったから拗ねてるんだろうな。お前から声かけといて来ないってどういうことだよ、ばかぁ! って何度か怒鳴られた。別に彼がキャンキャン叫ぶのは気にならないんだけど、その対応に時間を取られるのが嫌で約束自体するのをやめた。
それで気づいたんだけど、今までってほとんど俺から声を掛けて会ってたんだよね。彼からのお誘いは一切なし。少しは君から求めてくれたっていいんじゃないのかい、ハニー。
そんな俺の妄想、もとい願望は、突然に叶えられた。
「お、お前、今週末、予定空いてるか……っ?」
世界会議の休憩時間。真っ赤な顔を明後日の方向に向けて、彼は声ばかり不遜に繕ってそう言った。ワオ、今のもう一回言ってくれないかな。録音しておくから。そんなことをさらっと考えてしまうあたり大分日本に思考を毒されてきた気がする。まあ、そんなことは置いといて。
百年に一度あるかないかの恋人からのお誘い。でも今週末はいつもみたいに別人になってあの人と会う予定が入っていた。どっちを優先させるかなんて、ねぇ、わかりきってるじゃないか。
無愛想なしかめっ面と、照れたような笑顔と。天秤に乗せたら壊れちゃうくらいに重さが違うよ。
「ごめん、週末は人と会う予定があるんだ。そうだなぁ、再来週末くらいなら空いてるけど――」
「っ、悪いな、その日はもう予定が入ってるんだ」
「じゃあ次に会うのは君んちでの世界会議のときだね」
本当は予定なんて入ってないくせに強がるイギリスはあえて無視する。そこでもう少し食い下がってくれればいいのに、なんて高望みしすぎかな。
ねえ、ねえ、強がるくらいなら甘えて見せてよ。君がもう少し素直になれることも、もう少し柔らかい表情だってできることも知ってる。どうして俺の前ではそうなのかな。
泣きそうな口元には気づいていたけど、かける言葉は見つからなくて、結局その日はそのまま別れた。
「好きです、あなたが」
まるで明日の天気の話をするみたいに何気ないように装ってその人にそう告げた。
俺はこの人にどんな答えを期待しているんだろう。多分、断ってほしいはず。もし頷かれてしまったら? そのまま浮気続行? どうなんだろう、それが最善なのかな。あの人が見てるのは“俺”じゃなくて、でも、あの人が笑えばそれでいいんじゃないかってさ、そう思わなくもない。
ねえ、イギリス、君はどっちの俺が好き?
目を真ん丸にして、俺には絶対に見せないような幼い表情をさらすその人に笑いかける。
もちろん、ありのままの俺を選んでくれるほうが嬉しいけどね。仕方なく付き合ってるみたいな顔をされるよりは相思相愛の関係でいたいんだよ。
「…………ばか」
うつむいたイギリスが小さくつぶやく。短い髪から除く耳は真っ赤に染まっていた。
「お前、俺が気付いてること知ってただろ」
「うん」
だって君、隠し事下手だし。まあ、ばれたらすぐに問い詰めてくるだろうって思ってたから、ここまで続いたのは少し意外だったけど。
「なんでこんな回りくどいことした」
「うーん、出来心?」
「ここで俺が何も知らないふりしてイエスって答えてたらどうなってたんだ。浮気者って詰りたかったのかよ」
「いや、それなりにショックは受けただろうけど、そのまま恋人になってあげてたと思うよ? 俺が君を好きなことに変わりはないんだし。むしろこっちのほうが君素直だしさ」
手慰みに紅茶をすする。うん、やっぱり俺はコーヒーのほうが好きだな。
「別に俺は対応を変えていたつもりはない」
「ちょっと“僕”が褒めただけで有頂天になるくせに。どこが対応を変えてないって?」
「変えてねぇよ! そもそもお前に褒められた記憶なんてねぇ!」
あれ、そうだっけ。
そう言われれば可愛いとか、きれいだとか、そんな褒め言葉をイギリスに対して使った覚えがない。
「もういい、一人で勝手に浮かれて悪かったな。俺だって好きな奴に褒められればそれなりにはしゃぐんだよ」
そう言ってふい、とイギリスがそっぽを向く。
上気した横顔が可愛いと思った。
つまりはお互い様、ってことなのかな。
「愛してるぞー、イギリスー」
「そういうことは顔戻してから言え」
ああ、そういえばまだあの顔のままなんだっけ。
じゃあ、早く元の姿に戻って、
I love you! と告げながら君に抱き着こうか。
The 超・展・開
いつものことですね。なんかいつもよりひどい気がするけど。一応「米がガチ浮気。最後には英の大切さに気付く」のリクエストの元書かせていただいたのですが、大分違う話になりましたね。だってうちの米って英大好きすぎて浮気とか頭にないんだもの(04/24)