In The Small Garden

街はずれにお化け屋敷がある。

高い塀に区切られていて、中の様子は全然わからない。
お母さんたちは近付くのはやめなさいっていうけど、男の子たちが時々肝試しだーって言って中に入ろうとしてるみたい。鍵がかかってて入れなかったらしいんだけどね。

でも、私は入ったことがあるのよ、お化け屋敷。

全然噂通りじゃないの。
綺麗なバラ園があって、立派なお屋敷にはお兄さんが一人で暮らしてる。
おかしいのよ、お屋敷はすっごく古めかしいのに、お兄さんはいつもパーカーとかTシャツばっかり着てるの。もっと立派なお洋服を着たら素敵なのになぁって、いつも思うの。

お化け屋敷の噂が気になって柵の中をそっと覗いてしまった時に、ちょうどバラのお世話をしていたお兄さんに見つかってしまったのが、私がお化け屋敷に通うようになったきっかけ。
お兄さんは綺麗なブルーの目を瞬かせて、一緒にお茶はいかが?リトルレディ、と笑いかけてくれた。
それ以来私はお兄さんとお茶友達になった。


お兄さんは薔薇を育てている。

バラ園もお兄さんがお手入れをしているけど、それとは違う、特別なバラ。
もう何年も蕾をつけてないんですって。
そのバラを咲かせるために、お兄さんはずっとお世話をしてる。

「どうしてお兄さんはそのバラにこだわるの? バラは他にもいっぱいあるじゃない」
「他のバラじゃダメなんだよ。このバラは特別なバラだから」
「どこが違うのかわからないわ」

唇を尖らせた私にお兄さんが笑う。

「このバラにはね、妖精がいるんだよ」
「妖精さん?」
「そう、花が咲いてる時にしか起きていられないんだけどね。俺の恋人なんだ」
「妖精さんが恋人なの?」
「うん、すごく大切な人」

思わず思い浮かべたのは、絵本に出てきたちょうちょの羽をつけた綺麗な女の子。
でもきっとこのバラの妖精さんは絵本のあの子なんかよりずっと可愛いんだろうな。だってお兄さんの恋人だもの。

「でも、それじゃお兄さんはずっと好きな人に会えてないの?」
「……そうだね」
「寂しくない?」
「寂しいよ。でも俺の好きな人はもっと寂しがり屋だからね。俺が待っててあげなくちゃ」

こんなにお兄さんが待っているのに、どうして咲いてあげないんだろう。
私はお兄さんのバラが少しだけ恨めしかった。
そのバラに一身に会いそそぐお兄さんの横顔に、私は幼い恋をしていたから。

よく晴れた日にこっそり遊びに行くと紅茶と少し形の崩れたスコーンでもてなしてくれるお兄さん。
本当はコーヒーが好きなんだけど、なんて苦笑いをしながら、それでも紅茶を淹れるのは恋人のため。
お兄さんのお屋敷に遊びに行くのはそう毎日じゃない。お兄さんにも迷惑だろうし、お母さんにばれたら絶対行かせてもらえなくなってしまうから。

時々ふとお兄さんに会いたくなって、お屋敷のベルを鳴らす。

「お兄さん、恋人はまだ?」
「残念ながらまだなんだ。ちょうどお茶の用意をしたところなんだけど、お嬢さんも一緒にどうだい?」

それがお約束のやり取りで、おいしい紅茶とスコーンを食べながら、私はお兄さんに合わない間に会ったいろんなことを報告する。
お兄さんはその一つ一つを笑いながら聞いてくれた。

そんな日々がどれだけ続いただろう。
私はいつの間にか妖精も魔法もサンタクロースも信じなくなっていた。現実とおとぎ話は別物なんだって、だんだんわかるようになってしまった。
それでもお兄さんは恋人を待ち続けていた。まだまだ子供の私だって妖精なんて信じていないのに。
子供だましでもなんでもなく、お兄さんは本気で妖精を待っていた。
お兄さんの見方が少しだけ変わったころ、私はお兄さんの家がお化け屋敷と言われている理由を知った。

あの屋敷では、実際に人が亡くなっているらしい。
その亡くなった人の恋人だった人はすっかり気が狂ってしまって、精神病院に入れられてしまったらしい。

お兄さんのことだ、と私は思った。

きっと病院を抜け出して、ああやって待っているんだ。
いつまでも来てくれない恋人と、いつまでも咲かないバラを重ねて。
それに気づいてしまって、少しぞっとした。
だって、だって、もしバラが咲いてしまったら。

お兄さんはどうなってしまうんだろう。

そんな不安が私に付きまとい始めた矢先のことだった。

「ねぇ! 見てくれよ! やっとあのバラが蕾を付けたんだ!!」

お兄さんが指差す先には、確かに小さな蕾を付けたあのバラがあった。

お兄さん、お兄さん、妖精なんていないのよ。
バラが咲いても、お兄さんの恋人は帰ってこないのよ。

そう言いたくて、どうしても唇が動かなかった。

「ねぇ、お兄さん、今日泊まっていってもいいかしら。私も妖精さんに会いたいわ」
「うーん、確かに君にも紹介したいけど、明日のティータイムの時じゃダメなのかい?」
「なるだけ早く見たいのよ。ダメかしら?」
「……やっぱり女の子を泊めたりはできないよ。どうしても開花の瞬間が見たいなら、朝早くにおいで。午前中には開花すると思うから」

どんなに食い下がってもお兄さんは駄目の一点張りで、私は仕方なく家に帰ることにした。
次の日の朝は、日が上る前にお兄さんの家に来ようと決心して。

そうして私は次の日の朝、まだ外も薄暗いうちにベッドから出て、こっそりと出かけた。お母さんにばれたら外出禁止にされちゃうかも。
お兄さんの家に着いたのは日の出と同じくらいの時間で、呼び鈴を鳴らすのを少しだけ躊躇った。
お兄さんはまだ寝ているかしら。
そっと柵から中をうかがうと、お兄さんはあのバラの前にじっと立っていた。もしかして、一晩中ああやって待っていたのかしら。
もっとよく見ようと思って柵に寄りかかったら、鍵がかかってなくて、きぃ、と音を立てて少し開いてしまった。
お兄さんがびっくりしたような顔でこっちを見て、それから少し困ったように笑った。 手招きをされて恐る恐る庭に入った。
お兄さんのお屋敷にはもう数えきれないくらい遊びに来ているけど、朝の庭に入ったのは初めてで、全然違う場所に見えてしまって少し怖かった。

「朝ご飯は?」
「…………食べてない」
「だろうと思った。何か作ってくるから待っててくれよ」
「え、でも……」
「いいから。代わりにバラを見ていてくれよ。咲きそうになったら教えて」

お兄さんに流されて、私はお兄さんの代わりにバラの前に立った。昨日よりも少し花びらが広がってる。
ついに咲いてしまうんだな、と怖くなった。
この蕾を折ってしまえば、お兄さんの日常は崩れずにすむんだろうか。
……お兄さんが大切に育ててきたバラを手折るなんてことが、私にできるはずもなかったけれど。

結局私が見張りをしている間にバラは咲かなくて、私はいつもお茶会をするテーブルでお兄さん特製の朝ごはんを食べた。
トーストとベーコンとスクランブルエッグと温かいスープ。それらは全部私の前にしかなくて、お兄さんはマグカップを一つだけ持っていた。
コーヒーの香ばしい匂いがする。
実はコーヒー派だってことは知っていたけれど、実際にお兄さんがコーヒーを飲んでいるのを見たのはこれが初めてだった。
お兄さんは食べないの、と聞くと俺はもう食べたから、と返事が返ってくる。いつもと同じだ。
思えばお兄さんが何かを食べているのを、私は一度も見たことがないかも知れない。私がお兄さん特製のスコーンを食べている間、お兄さんはいつもいい香りのする紅茶だけを飲んでいた。

朝ご飯を食べ終わって、食器を片づけようとするお兄さんを制して私はそれらを片付けた。
だってこれ以上お兄さんの時間を奪いたくなかったから。
食器をシンクにおいて、スポンジと洗剤を探していると、庭の方から何かの割れる音と倒れる音がした。

「お兄さん!」

何があったんだろう。

食器を放り出して慌てて庭に戻ると、テーブルに腰かけていたはずのお兄さんが呆然と立ち尽くしていた。
コーヒーのマグカップは地面に落ちて割れていて、座っていた椅子は勢いよく立った時みたいに倒れていた。
お兄さんに駆け寄ると、お兄さんの身体が影になって見えなかった庭の様子がようやく確認できた。

お兄さんのあのバラの、向こう、に

一人の男の人が立っていた。
くすんだ金髪と、バラの葉っぱみたいにみずみずしい緑色の目。

「アーサー……」

お兄さんの泣きそうな声が降ってくる。
嗚呼、お兄さんが待っていたのはこの人なんだ。
男の人だとかそんなことは関係なく、その事実はすとんと私の胸に落ちてきた。
ずっとずっと、お兄さんが待ち続けた人。
バラに埋もれた姿は、本当にバラの妖精みたいだった。

男の人が一歩前に出る。
バラをすり抜けた身体に、本当に人間じゃあないんだと思った。

お兄さんが駆けだす。
飛び込んでいったお兄さんを、男の人は優しく抱きとめた。

「アーサー、アーサー……!」

お兄さんが男の人の体を強く強く抱きしめる。

「待たせてごめんな」

男の人の手がお兄さんの頭を撫でる。
男の人の胸に縋りながら、お兄さんは声を上げて泣いていた。

「ごめん、ごめん、アーサー。置いていくつもりなんてなかったんだ」
「いいんだ。こうやって待っててくれたんだから。ありがとな。うれしい」
「うん、ずっと待ってた」

感動の再会に思わず涙ぐんで、けれどお兄さんの足が少し透明になりかけていることに気付いてしまって叫びそうになった。
待って、待って、その人を連れて行かないで。
そう叫びたかったのに、声は出なかった。金縛りにあったみたいに、声も、体も、自由にならない。
ゆっくりとお兄さんの身体が溶けていく。もちろん、男の人と一緒に。

その影が風に流されてしまった瞬間、私はようやく自由になった。
その場に崩れ落ちて、声を上げて泣いた。
悲しかったのか、寂しかったのか、それとも他の何かに揺り動かされたのか。理由は自分でもわからない。









お母さんが呼ぶ声で目が覚めた。
遅刻するわよ、早くご飯食べなさい。
それにはーいと返事をしたけれど、不思議とお腹はすいていなかった。
早く起きよう、とセットした目覚ましはきちんと止められている。寝ぼけて止めてしまったんだろうか、それとも……
どこからが夢だったのかわからない。
お兄さんに会いたい、と思った。
今すぐかけていって、ベルを鳴らして、なんだい今日は随分早いんだね、って笑いかけてもらいたい。
けど、怖くて脚はお兄さんのお屋敷には向かなかった。

ボーっとしたまま学校を終えて、ぼーっとしたまま一日を終える。そんな日々が何日か続いた。
ようやく決心がついたのは、あれから一週間もあとのことだった。
お屋敷のベルを鳴らしたら、いつもみたいにお兄さんがお茶はいかが?って笑ってくれればいいのに。
私は、この先に自分が望むものなんてないことを知っていた。

お屋敷の柵には、鍵がかかっていた。

しかも、中からじゃなくて、外から。鎖がぐるぐるに巻きついていて南京錠で止められていた。その錆び方は、昨日今日かけられたものじゃなかった。
どこからが夢だったんだろう。
どうしてもお屋敷の前から動けなくて、私は出迎えてくれる人のいないお屋敷の前で立ち尽くしていた。

「やあ、この屋敷に何か御用かな?」

声をかけられて、私はびっくりして顔を上げた。
お兄さんと同じくらいの年の女の人が立っていた。クラシカルなワンピースで、淡い金髪を両耳の上で縛っている。全然見覚えのない人だった。

「お姉さん、誰……?」
「この屋敷を譲り受けることになった者だよ。中を確かめようと思ってきたんだが……お嬢さんも中が気になるかい?」

お嬢さん、と、その響きがお兄さんの言い方とそっくりで、私はまた泣きたくなった。 声を出したら絶対に泣いてしまうと思ったから、口をつぐんだままこくこくと頷いた。 お姉さんは、何も聞かずにお屋敷の柵を開けてくれた。

お屋敷の中には変わらない綺麗なバラ園が、



広がっているはずもなかった。

荒れ放題の庭と、蜘蛛の巣がたくさんかかったお屋敷。
私の知っているお屋敷を数十年は放置したらこんな感じになるんじゃないか、って程度の荒れ具合だった。

「わかってはいたが、ひどい有様だな……」

お姉さんが周りを確かめてため息を吐く。

「あれ?」
お姉さんが不思議そうな声を上げて庭の一角に駆け寄った。あわてて私もそれについていく。

「なんでここだけバラが……」

お姉さんが見つけたのは、あのお兄さんが大切にしていたバラだった。
たった一輪だけ、うつくしく咲いている。
お姉さんがうんうんと唸っているので、どうしたの、と声をかけた。

「バラは手入れが難しい植物だから、こんな十何年も放置されていた屋敷に咲いているはずがないんだ。とくにこの品種は扱いが難しい花だし……」
「その花はお兄さんがお世話をしていたのよ」

私は思わず声を上げてしまった。
案の定、お兄さん?と訝しげな顔をするお姉さんに、私はあったことをすべて話した。もちろん、一週間前の不思議な夢のことも。
お姉さんは嫌な顔一つせず私の話を最後まで聞いてくれた。

「なるほど……不思議なこともあるものだな」

お姉さんが納得したようにうなずいたけれど、私にはまったくわからない。
一週間前の夢は、ここでお兄さんと過ごした時間は、いったいなんだったんだろう。
その答えを知ってしまうのは、きっととても恐ろしいことだ。けど、聞かずにはいられなかった。
私が訪ねると、お姉さんはゆっくりとすべてを話してくれた。

「ここに住んでいたという青年、君のいうお兄さんというのは多分、わたしの叔父の恋人だった人物だ。もう十年以上も前に事故で亡くなっているがね。その事故で叔父はすっかり正気を失ってしまって、施設に入れられることになった。それ以来この屋敷は手付かずなんだよ」
「じゃあ、お兄さんは……」
「叔父の恋人の幽霊だろう。叔父をずっとここで待ち続けていたんだな」

私は、お兄さんの容姿が全く変化していなかったことにようやく気付いた。
その人はいつまでも年を取らず、ずっと若々しいままで。
どうしてそのことに今まで気づかなかったんだろう。どうしてそのことを今まで疑問に思わなかったんだろう。

「でも、じゃあどうして突然いなくなってしまったの?」
「私の叔父が、一週間前、亡くなってね。時間帯は、ちょうど君がここでバラの妖精とやらを見たのと同じころだろう」
「……お兄さんを迎えに来てくれたのね」

だからあの人はあのとき、待たせてごめんと言ったんだ。
私はやっと、あの日自分が流した涙の意味を知った気がした。



それから数週間後、お姉さんは町に引っ越してきた。
荒れ放題のお屋敷の片づけは私も手伝って、バラ園もきれいに整えた。時間はかかるけれど、また立派なバラ園になるだろうって、お姉さんが言っていた。

お兄さんが大切にしていたバラは結局あれ一つしか花をつけず、そのまま枯れてしまった。











タイトルからもわかるように、オフ本「In My Small Garden」に収録しようとして没にしたネタを書き起こしました。なんだかまとまりのない話になってしまったなぁ(7/23)