望まないはずの言葉ばかりを吐く唇にはきっと誰よりも自分自身が辟易していて、そんなものよりも美しい花弁を吐くような、そんな生き物になりたいと常々思ったものだった。
イギリスとの喧嘩から3か月。その間連絡は一切なし。
お互いに意地を張っている間にずるずると音信不通の日々は続き、とうとう喧嘩別れしたまま次の世界会議を迎えようとしていた。今回の世界会議の主催は、イギリスだ。
会議を目前に控え、いつもはイギリス邸に宿泊するアメリカの元にもホテルのチケットがしっかりと届いていた。確かに喧嘩中ではあるが、こうも露骨に来るなと告げられるとさすがのアメリカもカチンとくる。
アメリカは怒りにまかせてイギリスへと電話をかけた。イギリスの性格を考えると出る確率は限りなく低かったが、どうしても文句が言いたい気分であったし、もし出なかったとしても留守電にたっぷり愚痴を録音してやるつもりだった。
十数コール、もう少しで留守電につながるかと思いかけたところでコール音がやんだ。
『何の用だ』
仕事用の声だ、と鼓膜を震わせた声に思う。これは相当機嫌が悪いなぁと感じはするものの、どこか他人事じみた感想だった。
「俺、今度の会議君のとこに泊まろうと思ってたんだけど」
『悪いな、その日は先約があるんだ』
「……なら一言そういえばいいじゃないか。突然チケットだけ送られてきても困るよ」
『後から連絡するつもりだったさ』
「ウソばっかり」
イギリスは呼吸をするのと同じくらい自然に出まかせを吐く。それが彼の武器であり盾であったことは分かっている。けれど、それをプライベートな時間にまで持ち込まれるのは不愉快極まりなかった。
「君っていつもそうだ」
『人聞きが悪いな。その言い方じゃあまるで俺がいつも嘘をついてるみたいだ』
「違うっていうのかい」
『ほう、じゃあお前は俺の言葉をいつも疑ってるわけだ』
「なっ、そういう意味じゃないっ」
『どうだかな。お前曰く、俺はいつも嘘をついてるんだろう? お前もよくそんな男と恋人といられるな。いっそ愛の言葉も嘘かも知れないぞ』
他人事のようにイギリスが笑う。胃の底がじりじりと焼けるのを感じながらアメリカは低く唸った。自分の言葉を自分自身が軽んじてどうするつもりなんだ、この人は。
「だから、俺は君のそういうところが気に入らないって言ってるんだよ」
『それはすまなかったな。次回からは改めよう。――ああ、次の世界会議の時に先約があるというのも嘘だ。来てもいいぞ。いや、ぜひ来てくれ。リネン取り換えて待ってるぜハニー、愛してる』
「君、は…………」
ここでかっとなったら負けだと分かっている。アメリカは飛び出しそうになる言葉を呑み込むようにきつく唇をかんだ。薄い皮膚が裂けて口内に血の味が広がっても、茹だった頭はまったく冷静になってくれそうになかった。言葉を呑み込んで、呑み込んで、それでも口の端からぼろぼろとこぼれ出す。
「君が喋らなかったら、俺たちもう少しはうまくいったのかなぁ……」
まったくもって馬鹿げた前提。彼の持っているものをすべて否定してる。よりによって一番言葉にしてはいけなかった感情を取りこぼしてしまったことにアメリカはさらにきつく唇をかんだ。だから、電話の向こうの動揺に気付くのが一瞬遅れた。
『俺……も、っ――?!っ、ごほっ、ぅ、ごほっ』
「イギリス?! 大丈夫かい?!」
突然電話越しに咳き込み始めたイギリスにアメリカが慌てて声をかけたが、返事が返ってくることはなかった。ごとん、と携帯を取り落す音が重く響く中も、背後にはイギリスの咳き込む音が吹き込まれている。
「イギリス!! イギリス!! ねえ返事して! イギリス!!」
ぶつりと電話の切れる音がした。
シット!!と吐き捨ててアメリカは携帯を投げ捨てた。だが慌てて携帯を拾ってもう一度イギリスへと電話をかける。つながらない。どうやら電源を切ってしまったらしい。
舌打ちをして次に電話をしたのはイギリスの秘書の携帯だった。
「夜遅くにごめん。あの人と通話してたらいきなり咳き込みだしてそのまま電話切られちゃったから、悪いんだけどあの人の家まで安否確認に行ってもらえないかい? 携帯、電源切ってるみたいだからさ」
本当は今すぐ飛行機に飛び乗ってイギリスの元まで駆けつけたかった。けれど混乱した頭の中でかろうじて冷静な部分が、もし彼に何かあったならば自分よりも早く動ける人間がいると叫んでいた。
ガンガンと頭が揺れる。ソファにぐったりと座り込んだ。今夜は眠れそうにない。
一抹の希望にかけてイギリスの携帯にコールを繰り返す中でふと、彼が直前に発した言葉を思い出した。「俺も――」その後に彼は何と言おうとしたのだろう。彼もアメリカへの不満を並べようとでもしていたのだろうか。心当たりはありすぎて、もし通話が続いていたら彼の不満だけで夜が明けていたかもしれないな、と少しだけ笑った。
『昨日は悪かった。ただの風邪だから心配するな。あと声が出ないから電話には出れない。もう電話してくるな』
そんなメールが届いたのは空も白んできた頃で、それから一切イギリスからの連絡はなかった。アメリカはそれからも数度連絡を入れたが、返信すら帰ってこない。
そうこうしているうちに日付は世界会議当日だ。イギリスとの連絡が取れない以上彼の屋敷に押し掛けるのもはばかられ、アメリカは大人しく用意されたホテルに宿泊していた。あの一件からだいぶ経った、とは言い難いが風邪程度ならば完治している時間が経っている。
ちゃんと話をしよう、と今日の書類をうわの空で眺めながら思う。
声をかけても無視されることは想定済みで、何としてでもイギリスを捕まえるべくアメリカは普段は遅刻ギリギリの会議に1時間以上早く到着していた。ホスト国であるイギリスは会議の準備のために早めに会議場入りしているはずだから、そこをなんとか捕まえようという魂胆だった。
だが会議場に行ってみても、そこにイギリスの姿はなかった。どこかに休憩に行っている気配でもない。仕方なく顔見知りであるイギリスの秘書に声をかける。
「え? イギリスさんですか? 風邪がまだ治らないそうで今日は欠席ですよ、って、アメリカさん!? どちらに行かれるんですか!!」
「今日の会議、俺も欠席ね!!」
フライトジャケットをひるがえして会議場を飛び出す。
呼び止める声を背中で聞きながら、アメリカはイギリスの屋敷へと急いだ。
古めかしいベルを壊す勢いで連打していると、何の前触れもなく扉があいた。いつもならば一緒に聞こえるはずの怒声がないことに一瞬拍子抜けする。
扉の陰からぎろりとアメリカを睨んでくるイギリスの口元は白いマスクで覆われていた。
「やあイギリスぅ。風邪でくたばってるって聞いたから看病に来てあげたんだぞ」
アメリカがわざとおどけてそう言うと、イギリスはさらに眼光を強めてアメリカを睨んだ。それでもなお彼は声を発しない。誰よりも口が達者な彼がアメリカの行動に皮肉一つこぼさないのは異様なことだった。
「風邪で声でないって本当だったんだね」
アメリカを一瞥したイギリスがごそごそと懐をあさる。取り出したのはアメリカの勧めで買い替えたスマートフォンだ。ぎこちない指使いで画面をタッチしだす。どうやら文章を打っているらしい。あまり長くはない文章をアメリカの3倍はかけて打ち、画面をアメリカのほうへと突き出した。
『何しに来た』
可愛げのない文面が脳内で彼の声で再生される。
「看病に来てあげたって言ったじゃないか。まあでも――」
アメリカが手を伸ばしてイギリスの額に手を当てる。
「風邪ってのは嘘みたいだけどね」
手のひらに触れる熱は平熱だ。頬の赤みも目の充血もない。声が出ないのは本当のようだから、恐らく説明が面倒で風邪とごまかしていたのだろう。
「で、なんで声出なくなったの」
イギリスのマスクがもごもごと動く。それから少し咳き込んだ。どうやらいつも通りに喋ろうとして失敗したようだ。忌々しそうな顔をしたイギリスが再度スマートフォンをいじりだす。
『わからねぇ。気付いたら出なくなってた』
先ほどよりも時間をかけて打った文面にはそんなことが書かれていた。嘘だな、とアメリカは直観的に思った。原因を知ってるが、言えないのか言いたくないのか。
険しい顔をするアメリカの腕をイギリスが引いた。とりあえず中に入れ、といいたいらしい。仕草だけ見るなら可愛らしいが、声が出ないためだと知っているとどこか興ざめだ。
イギリスに腕を引かれ足を踏み入れた彼の屋敷は数か月前と何一つ変わっていない。変わるはずがないのだ。それでも思わずきょろきょろとあたりを見回してしまったアメリカは、かさり、と何か蹴とばしたことに気付いて下を向いた。花、だ。小ぶりの花が一輪転がっている。よく花を飾る人だから、一輪取り落したとしてもさほど不思議ではない。が、観賞用の花と見るにはその花にはおかしいところがあった。茎がないのだ。がくの根元から切られたように、花弁の部分だけが転がっている。
もっと観察しようとしたアメリカだったが、なおも腕を引くイギリスに負けて大人しくリビングへと入った。アメリカをソファに座らせてキッチンに向かおうとするイギリスに「俺コーヒーね」と呼びかけてはみたが、出てくるのは多分紅茶だろう。
しばらくして香ってきたのは案の定紅茶の匂いだった。
「俺、コーヒーがよかった」などと文句を言ってみても軽く睨まれるだけでは張り合いがない。一人で勝手に調子を崩された気分になって、アメリカは紅茶を煽った。
「熱っ」
なんとか吹き出すことは耐えたものの、ひりひりとする舌は確実に火傷をしてしまっている。思わず舌を突き出すとイギリスがくつくつと笑った。もし声が出たなら皮肉の2つや3つ飛び出しただろう。前はあんなことを言ったくせに物足りなさを感じてしまう矛盾など、アメリカ自身が一番強く感じている。
「ていうか、君もうマスク外しなよ。風邪じゃないんだろ?」
アメリカがそう促すと、イギリスは少しためらうようなしぐさを見せたが渋々ではあるものの大人しくマスクを外した。いつもと変わらない薄い唇が現れる。マスクは口元の異常を隠すためではないかと勘繰っていたため少しだけ安心した。
マスクを外したイギリスがメモ帳を突き出してくる。
『会議は?』
開かれたページには見慣れたイギリスの字でそう書かれていた。どうやらスマートフォンで打つよりもアナログのほうが早いと判断したらしい。
「サボったよ」
「!!?」
イギリスが叫ぶ、いや、叫ぶようなしぐさをする。「何考えてんだ、バカ」といったところだろうか。
口パクだけでまったく空気を震わせないそれに、声が出ないのは本当なのだなとアメリカが考えたのは一瞬だった。
はらり、と、その唇の合間から花がこぼれた。
「え……?」
イギリスがばっと両手で口元を隠すが、もう遅い。名前も知らない橙色の花がテーブルにころりと転がった。間違いなくイギリスの唇から吐き出された花だ。
「どういうこと、イギリス」
低い声でアメリカに詰め寄られ、イギリスが気まずそうに眼をそらす。風邪とごまかしたがったのはこのせいか。確かにこんな状況説明できないし、説明されたとしてもアメリカは納得しなかっただろう。
逃げられないと悟ったイギリスは深いため息をついてメモ帳とペンをとった。そんな手元にまた一輪花が転がる。
さらさらとスマートフォンの時の数倍の速度で文章をつづったイギリスは、半ばやけになったかのようにそれをアメリカに突き出した。
『喋ろうとすると花が出る。理由や原因は分からない。お前との電話の後からだ』
「本当に心当たりとかない?」
『ないな』
「うーん……相変わらず君は不思議国家だな! 非科学的にもほどがあるぞ」
髪の毛を掻き乱してアメリカはため息とともに天井を仰いだ。
「それ、どうやったら治るの?」
『それもわからない。多分一過性のものだろうから放っておけば治るだろ』
「多分って、君ねぇ」
この人、全く危機感がない。声が出ないというだけでも相当不便だろうに、そこにさらに花を吐き出すというよくわからないオプション付きだ。どうしてこうも普通にふるまっていられるのだろう。……一瞬この人普段からそんなに人と会話しないのか……などと考えてしまったが、彼の名誉のためにこの案は捨てておこう。
「俺との電話の後からってのは確かかい?」
『ああ、あの後秘書から電話があってな。話そうとしても周りが花だらけになるだけで会話ができなかった』
「え、電話通じたのかい? 君ずっと電源落としてたろ?」
『固定電話のほうにかかってきたんだよ』
ああ、その手があったか。あの夜のことを思い出してそこまで気が回らなかった自分に呆れる。ひたすら携帯にコールを繰り返していた。ああそうだ、あの夜といえば。
「そういえば君、あの時なんて言おうとしてたんだい?」
イギリスが首をかしげる。何を指しているのかわからないらしい。
「ほら、君と電話した時に、最後何か言いかけてただろ? 俺も、って。なんて言うつもりだったんだい?」
イギリスが沈黙する。どうやら彼にとって都合の悪いことを言おうとしていたらしい。アメリカは少しだけ拍子抜けした。てっきり自分への不平不満があふれ出すと思っていたから。
「イギリス?」
思いつめた表情をするイギリスが心配になって、アメリカはうつむきがちになったその表情を覗き込んだ。少し目を泳がせたあと、メモ帳を立ててアメリカに内容が見えないようにしながらペンを走らせ始める。
書きあがった後も、イギリスがそれをアメリカに差し出すまでには少しの躊躇があった。それでも決心したのか、メモ帳をアメリカの目前に突きつける。
『俺も、いっそ喋らない方がお前とうまくやっていけるような気がする』
それは、あの時のアメリカの発言に同意を示すもの。
嗚呼、この人はいつもこんなことを考えていたのか。それをアメリカが口に出してしまったから、イギリスはひどく動揺した。
「ごめんね、」
なんと言えばいいんだろう。どの言葉を選んでも、正しく伝えられない気がする。
「こういうことを言っちゃうと君は誤解しそうだけど……やっぱり俺は、君が嘘をつくのは嫌いだ。もっと何でも話してほしい、って、いつも思ってるよ。俺もなかなか素直になれないから、人のことは言えないんだけどね。もっと君と話をしたい。この前はあんなこと言っちゃったけど、やっぱり喋らない君なんて物足りないや。口が悪くて、皮肉屋でさ、時々嘘もついて、ってそういうの全部合わせての君だろう? そういう君が、俺は好きなんだ」
いまさら気付くなんて遅いって言われちゃいそうだけど、とアメリカがはにかむと、沸騰寸前に茹だっていたイギリスはついに耐え切れなくなったように叫んだ。やはり空気は震えない。けれどアメリカはその唇の動きを知っていた。
『ばかぁ!』
唇からこぼれたのは彼の肌よりも数段赤い、美しいバラの花だった。
2012/12/31 pixiv掲載
2013/04/02 サイト格納