夜の鷹、あるいは言葉と笑みとを弄する人

君の可能性に賭けてみたくなった、ただそれだけ。
ああ、あと、その目は結構気に入ってるんだ。

ただ、それだけ。

ただ、今はそれだけ。






ギシ、と安っぽいスプリングが軋む音がした。
それだけのことで目が覚めてしまうあたり、士官学校での三年間は伊達ではないらしい。
そんなことを考えつつもアルフレッドは目を開けることなく、再び眠りにつこうとした。
ギシリ、とまた音がする。先程より近い。気配が近づいてくる。

それはアルフレッドに馬乗りになるように覆い被さってきた。腹部にかかる、わずかな重み。

はっ、と押さえきれない、獣のような乱れた息づかいが額を撫ぜる。

伸びてきた腕が、細い造りの指が、首にかかる。


―――ああ、またか。



あの脱獄の夜から早くも満月を2つ数えた。

散り散りになったアーサーの仲間を探す旅は思うようには進んでいない。めぼしい場所を虱潰しに探していくやり方は、決して効率のいいものとは言えなかった。
アーサーが投獄されてから三年、仲間の生死さえも定かではなかった。

ただ一つ救いなのは、海軍の追跡がないことだ。
手配書は出回っているものの、アーサーは野放図に伸びていた髪を切り落として身なりを整えればあの悪名高い海賊とは結びつかないような青年になったし、アルフレッド自身、伊達眼鏡をかけてしまえば面白いほどに気付かれなかった。
言ってしまえば、金髪の男の二人連れなどいくらでもいるのだろう。


そんなアーサーとの旅の中でアルフレッドが困っているのがこれだった。

「アーサー」

声をかけながら、首にかけられた手に制止するように自分の手を添えた。ただ触れただけだと言うのに、手は大袈裟に震える。

目を開ければ、目の前に今にも泣き出しそうなアーサーの顔があった。

「だめだよ」
「……っ」

目を伏せたアーサーの頬に手を添える。

「まだだめ」

幼子に言い聞かせるように、アルフレッドは言葉を重ねた。

「っ、どうして……!」
「痕、」

アーサーの言葉を遮ってなおも続ける。

「まだ残ってるね」

頬から首へと手を滑らせて、首筋に残る首輪の跡を撫でる。
普段は服で隠れてしまっているそこには、今もなお生々しい擦傷が残っていた。

この痕見られちゃったら言い訳できないよね。

そんなことを考えながら、傷痕を辿った。
撫でるように確かめた首筋は、軽く触れただけでその早すぎる鼓動が伝わってくる。

「そう簡単に消えるかよ、ばかぁ」

そう言ったアーサーの声は、平静を装おうとしたために細く震えていた。

「なぁ、なんでなんだよ。どうして……」

かたかたと首を掴む指が震えている。
どうして?そんなのこっちが訊きたいよ。どうしてこんなに怯えているのに、そんな、

ふ、と瞳を閉じてアーサーが息を整える。
ゆっくりとその双眸を開きながら、艶冶に微笑んだ。ああ、男を誘う笑みだ。なのに、

「なあ、俺を抱けよ」

その瞳にあの妖しげな光はない。

どうしてそんなことを言うの。
そんな泣きそうな目で俺を見ないでくれよ。

全開になったシャツからは、傷跡だらけの素肌がのぞく。
ねえ、そんなに怯えた目をして誘う人が何処にいるっていうんだい。

自らの首にかかった指を、正確には襟元にかかった指を解きながら、アルフレッドはアーサーの瞳を覗き込んだ。
心許なく揺れるそこに、あの夜の覇気はない。

「溜まってるなら色街に行ってきてもいいよ」
別に誘い方が巧かったからって君にそっちの趣味はないだろ?

「そうじゃない!」
「じゃあ、何?」

「なぁ、なんでだめなんだよ……」

彼の誘いを断るたびに重ねられる問い。答えはいつも同じだった。まだだめ、そう繰り返してアルフレッドは彼を諫めてきた。

「まだって何なんだよ。お前そればっか……」

そう詰め寄るアーサーはひどく苦しげだ。

「抱く気がないならそう言えよ!」
「抱かないよ、今は」
「またそれだっ!今はって、一体いつなんだよ。いつになったらお前は俺を抱くんだ」

激情に任せて叫ぶアーサーの瞳から涙が零れる。
ほら、そうやって泣くくせに。

「君はどうしてそんなに俺に抱かれたいの」
「お前が望んだんだろ!じゃなかったらあの時のアレはなんだったんだ」

あの時確かに、アルフレッドはこれを理由にしていいからと彼に口づけた。
でも、こんなことを望んだワケじゃないんだよ。

「あれは君に気負って欲しくなかったからだよ。全部君に惚れたバカな男のやったことだと思えばいい。君が見返りを用意する必要なんてないんだ」
「でもお前は確かに俺を助けただろ」
「じゃあ君は好きだと言ってくる奴全員に足を開くの」

ワザと下世話な言葉を選べば、彼は傷付いたような目をして首を振った。
君がそんな無節操な人だなんて思ってないよ。
だからこそ、こんなことは止めたほうがいい。
こんな、好きでも何でもない男に足を開くような行為は。

ぐっと身を起こして、彼と目線を合わせる。とりあえず、シャツの前を閉めさせて、ボタンをとめた。
それをアーサーは甘んじて受け入れていた。

「ね、アーサー。君を抱くのは簡単だけどさ、君は本当にそれでいいの」
「代償を払うのは、俺の義務だ」
「その考え方、キライ」
「じゃあ俺はどうすればいいんだよ!」
「そもそも、君に代償なんてないだろ。全部俺自身の意思でやったことだし、全部あれのせいにしていいって言ったはずだよ」

顎に手を添えて軽く上向かせれば、随分と弱々しくなってしまった緑と目があった。
顔を近づけると、怯えたように目を瞑る。
ほら、また。
その頑なに閉じられた瞼にキスを落とした。そうすれば彼の体は拍子抜けしたように、でもどこか安堵したように弛緩する。

「俺は今賭けの途中なんだ、俺のやり方で。その中に海賊の定義を持ち込まないでくれるかい。代償だとかなんだとか、君達海賊の考え方に従う気はないよ」
アーサーの体をゆるく抱きしめて、アルフレッドはベッドに倒れこんだ。
スプリングが悲鳴を上げたが、気にするものか、どうせ一夜だけの宿だ。

「もう寝ようよ、アーサー」
「でもっ、」
「おやすみ」

まだ言葉を続けようとするアーサーを制止して、アルフレッドは目を閉じた。
思い描くのは、彼が海原に掲げる旗の誇り。
またあの緑の輝きが見れるのは一体何時になるのか。





アーサーはアルフレッドの腕の中で深い溜め息をついた。
今夜も進展はなし。
キスの一つも貰えるようになっただけ初めの頃よりはましだろうか。

手の震えが、まだ止まらない。
かたかたと己の言う事を聞かないそれにきつく爪を立てて、その忌々しさに舌打ちをしたくなった。
どうして、こんなみっともない姿をこいつの前で晒してしまうんだろう。

もっとうまく誘えると思っていた。
男に足を開くなんぞ考えただけでもぞっとするが、その真似事をしたことがないわけじゃない。
寝台の上というのは、最も相手の気の緩む場所だ。何よりも無防備で、無警戒。
首に腕を回すふりをして背中を刺すのはラクだった。ただ、触れられた箇所の嫌悪感はなかなか消えず、一週間以上虫の這うような感覚が消えなかったこともあったが。

それでも、あの時はうまく誘えていたんだ。
内側でどんなに嫌悪感や殺意が湧き上がったとしても、己を殺すことなど容易かったはず。
なのに!
どうしてうまくいかない!
震える指を諌めようとしても! 溢れる涙を堪えようとしても! 艶やかな笑みを取り繕おうとしても!
いままでできていたはずのことが、あいつの前では瓦解していく。

こいつもこいつだろうと、アーサーは自分を抱えたまま呑気な寝息を立て始めたアルフレッドのことを思った。
これだけこの俺が仕掛けてやっているのだから、手の一つでも出せばいいものを。
あの脱獄の時の強引さとは裏腹に、つまみ食いさえしようとしないのだ、この男は。
何が足りない!
この男を繋ぎとめられるなら、己の体一つなど安いものだと思えたのに!

おそらくアルフレッドはその考え方を厭っているのだろうが、アーサーがそれに気づくのには少々海賊気質すぎるのだろう。


つらつらとアルフレッドへの不満を並べながら、アーサーは深い眠りへと落ちて行った。
すべては彼が己の感情にしっかりと目を向ければよいことなのだが、
アーサーがそれに気づくのは、もう少し後のことになりそうだ。









唐突に、船長を乗せたくなったので(待て)
物欲主義の海賊に純情を掛け合わせるとこんなのができるらしいです。
うちの英は乙女標準装備。相乗効果で米がとっても紳士になる。

よたか【夜鷹】
 B江戸で、夜間、路傍で客を引く下等の売春婦の称。(広辞苑より一部抜粋)

つまりはそういうことです。(07/20)