掌編

chapter1:とあるアーケードにて

 時計を確かめるのは何度目だろう。
 いつまでも時計の長針は動いてくれなくて、錯覚だと分かっていても時間が止まってるんじゃないかと思ってしまう。実際は、一分と我慢できずに時計を何度も確かめてしまうせいなのだけれど。
 しっかりとこの国の標準時間にセットされた時計は、待ち合わせの時間から一時間と二十分が過ぎたことを示している。遅刻だ。大遅刻。過去に俺が打ち立てた四時間三十一分五十八秒の遅刻よりはまだずっとましだったけれど。

「遅いなぁ」

 何度目かのため息とともに唇を尖らせる。
 俺ならばともかく、あの人が遅刻をするなんてかなり珍しい。いつも待ち合わせの十分前にはその場に到着しているような人なのに。
 携帯に連絡を入れても反応はなし。どうせあの人のことだから、家に忘れたか、充電が切れているか、消音にしままかのいずれかだろう。いつまでたっても携帯の利便性をどうも使いこなせない人だ。見栄を張ってスマートフォンに買い替えたって、使いこなせてなくちゃ意味がない。まあ、そんなあの人にスマホを勧めたのはほかならぬ俺なのだけれど。
 遅れている理由はなんだろう。寝坊か、はたまた渋滞に巻き込まれたか。電車でのトラブルだって考えられる。ストイックなダイヤ通りに電車が動くのはアジアの隅っこの島国位だ。
 もし何かしらのトラブルに見舞われているのなら、あの人の性格を考えれば連絡の一つくらいよこすだろう。ならやっぱり携帯を忘れたか、充電を切らしているに違いない。慌てふためくあの人の表情が頭に浮かんだ。俺が帰ってしまうんじゃないかってやきもきしてるはずだ。きっと泣きそうな顔をしている。いや、もう泣いてしまっているかも。
 遅刻のお詫びに何をしてもらおうか、なんて意地の悪いことを考えていたけれど、散々焦っただろうあの人にその仕打ちはちょっと可哀想かもしれない。
 そうだな、誠心誠意謝ってもらって、アイスの一つでも奢ってくれたら全部水に流してあげよう。待ち合わせの広場の向こうに見えるアイスクリームのワゴンは、ここに来てからずっと気になっていたものだった。何度か買いに行こうかとも思ったけれど、その間にあの人が来たらかわいそうだしね。遅刻した末に待ち合わせ場所に誰もいないなんて、それこそあの人はぼろぼろ泣きだしてしまうに違いない。
 アイスを買ってもらったら、一口くらいは分けてあげよう。派手な色に眉をひそめるだろうけど、それでも嬉しそうな顔をするのは俺から何かをもらうのがうれしくてたまらないからだ。たかがアイスなのに。本人は隠し通せてるつもりらしいけど、全然隠せてない。そんなところも可愛くて好きだ。


「早く来ないかなぁ」


 そんな未来が何分後になるかはあの人次第。






chapter2:テムズに臨む

「やあ」

 そう声をかけてきたのは金髪碧眼の、溌剌とした雰囲気の青年だった。

「隣いいかい?」
「ああ、どうぞ」

 空いているベンチは他にもあったが、この青年が求めているのは休憩する場所ではなく時間をつぶす話し相手だろう。彼がこの通りを何往復もしていることのに気付いたのはもうずいぶんと前のことだった。この寒空の下、よくもこんなに長い時間外にいられるものだと自分のことを棚に上げて思う。
 私はと言えば、木枯らしの吹く通りと、テムズ川、その向こうに見えるロンドンの新名所(といってももう開業から十五年が経とうとしている。時の流れとは早いものだ)のスケッチをしていた。家から持ち出した湯たんぽを抱えていれば数時間は寒さも我慢できる。
 私が頷くと、彼はいそいそと私の隣に腰かけた。他人同士の距離ではない。どちらかといえば友人同士の距離感だ。やはり彼が求めているのは話し相手らしい。彼の望みをかなえるべく、私は彼に声をかけてみることにした。

「待ち合わせでもしていたのかい?」
「いいや。どうしてそう思ったんだい?」
「さっきからずっとこのあたりを歩いているからね。誰かを待っているのかなと思ったんだよ」
「あー、見られてたんだ。ちょっと恥ずかしいな」

 青年が顔を少し赤らめて通りの方に目をやった。

「待ってるって言うのは当たりだけど、別に待ち合わせをしてるわけじゃないんだ。ここを散歩コースにしている人だからさ、もしかしたら会えるかなぁと思って」
「おや、片思いかい?」
「……恋人と会えるチャンスを増やしたいってのはおかしなことかい?」

 青年がそっぽを向きながらそんなことを言った。こちらから見えるのは横顔だけだったが、頬と耳は真っ赤に染まっていた。それを寒さのためだと思う程耄碌はしていない。
「素敵な恋をしているようだね」
「……サンクス」

 あまりに青年がふてくされた声を出すので、私は思わず笑ってしまった。ああ、若いとはすばらしい!
 そのまま青年ののろけ話に付き合う。彼の恋人は年上の知的な女性らしい。青年のイメージとは少し離れたタイプの女性に感じられたが、恋人に熱を上げる青年の横顔は生き生きしていた。こんな青年に熱く愛を語られるのは女性側からしてもまんざらではないだろう。いつもすまし顔の女性が青年に懐かれてたじたじになっているところを想像すると思わず笑みがこぼれた。やはり素敵な恋のようだ。
「さて、私はそろそろ帰るが、君は?」
「あー、もう少しだけここにいようかな」
「そうかそうか。では、また会ったら君の恋人の話を聞かせてくれ」
「たっぷりのろけ話を用意しておくよ」
「楽しみにしていよう。では」
「Bye」

 青年に手を振られながらその場を後にする。
 道の角でふと振り向くと、青年はベンチに腰かけたまま恋人を待っていた。






chapter3:アーバンジャングルの迷子

 アルフレッドは少し迷った後、その少女に声をかけることにした。

「こんにちは、リトルレディ。迷子かい?」

 そう声をかけると、少女はびくりと肩を揺らしてアルフレッドを見上げた。怯えたように後ずさりされて、アルフレッドは慌てて少女を引き留めた。

「ま、待って、ふ、不審者じゃないんだぞ!」
「知らない人に声をかけられたら逃げなさいってママが言ってたわ!!」
「えっと、それは間違ってないけど……間違ってないんだけど……!」

 年端もいかない少女に正論を説かれ、アルフレッドは頭を抱えた。街のど真ん中、交通量の多い交差点の角に少女は立っていた。待ち合わせにも使われる通りのため、人通りは多く、立ち止まっている人もまた多い。アルフレッドもまたその立ち止まっていたその他大勢の一人だったのだが、おろおろと通りを行ったり来たりする少女に見かねて声をかけたのだ。待ち合わせの時間まであと少ししかないが、申し訳ないがあの人には少し待っていてもらうことにしようと決めて。
 アルフレッドはその場にしゃがむと、少女と目の高さを合わせて話しかけた。

「パパとママは? 一緒じゃないのかい?」
「私を置いてどっかに行っちゃった」
「はぐれちゃった?」
「違うわ、捨てられたのよ!」
「それはいくらなんでも極論じゃないかな……」

 少女の主張に苦笑しながら、アルフレッドはこれからどうするべきかを考えた。

「俺と一緒に交番に行かないかい? ここじゃ人が多すぎて見つけてもらえないよ」
「ダメよ、お兄ちゃんは知らない人だもの」
「うーん、やっぱりだめか」

 ガシガシと髪の毛を掻きながら、アルフレッドは低くうなった。

「じゃあ、君がここにいるよってことだけおまわりさんに伝えてくるから、ここから動かないで待っててくれるかい?」
「それじゃパパとママを探せないわ」
「きっと君のパパとママも今頑張って君のことを探してるよ。動き回るよりここを動かない方がいい」

 こんなことをまだ幼い少女に説明しても伝わらないのは分かっていても、これ以上の説明のしようがなかった。せめてあの人と合流した後だったならば、あの人に少女を見ていてもらって、その隙に自分が交番に行くという手も使えただろうが、残念ながらアルフレッドは今一人だ。

「とにかくここを動かないで待ってて。すぐ戻るから」

 少女の頭を撫でて、アルフレッドは立ち上がった。「いい子にしててね」と差し出したのはポケットに入っていたチョコバーだ。体温で少し解けてしまっているかもしれないけれど、味はさほど変わらないだろう。もう一度少女の頭を一撫でして、アルフレッドは交番へと駆けだした。


 交番へと届け出を出し、慌てて元の場所に戻る。
 少女がまたどこかに行ってしまっている可能性も考えていたが、少女は言いつけどおりそこから動いていなかった。

「お待たせ! これですぐにパパとママを見つけてもらえるぞ」

 そう声をかけると、少女は火がついたように泣き出した。

「えっ、ど、どうしたんだい?」
「も、帰ってこないかと思ったぁ!!!」

 うわーんと声を上げて泣く少女をあやす方法をアルフレッドは知らない。わたわたと何かないかとポケットを漁って出てきたタフィーの包みを差し出してみても、少女は泣きやんではくれなかった。

「ご、ごめんね?」

 なんとか泣き止んでもらおうと抱きしめて頭を撫でてみる。少女が泣き止むまでにはそれなりの時間を要した。アルフレッドは少女に気付かれないようにちらりと腕時計に目をやって、小さくため息を吐く。遅刻なんてものじゃない。待ってくれてるといいんだけど。
 そうやって少女の頭を撫でていると、アルフレッドの携帯が着信を告げた。一瞬あの人かとも思ったけれど、表示されたのは見知らぬ番号だった。いぶかしみながらも電話に出ると、相手は先ほどの交番にいた警察官だった。そういえば電話番号を聞かれたな、と思いながら現在地を告げる。どうやら少女の両親が見つかったらしい。

「ねえ、そろそろ泣き止んでよ。パパとママ、見つかったって」
「本当……?」
「本当さ」
「私、捨てられたんじゃない……?」
「まさか! こんなかわいい子を捨てる親なんていないよ」
 ぎゅっと抱きしめると、少女はようやく涙を流すことをやめた。
 やがて少女の両親らしき男女がやってきて、少女と抱き合う。感動の再会に一息ついて、アルフレッドは改めて待ち合わせ場所に向かった。少しの期待はそこで裏切られる。待ち合わせ場所にあの人はいなかった。帰ってしまったのだろうかとも思ったが、その時は連絡の一つくらいはよこすだろう。
 なら、考えられるのは。

「仕方ない迷子だなぁ、もう」

 アルフレッドを探して人混みを歩き回っているであろう人を探すため、アルフレッドは苦笑を浮かべながら雑踏へと踏み込んだ。






chapter4:アイム イン アイランド

 あ、もしもしアーサー? まだ寝てた?

時差を考えろって? もう朝の九時だよ、寝ぼけないでくれ。大体向こうは朝の四時だよ。

ん? ああ、用件ね。実は今こっちに来てるんだ。

まだ寝ぼけてる? イギリスに決まってるだろ。大西洋の端っこにぷかぷか浮いてる島国。なうだよ、今。

あーもう、君のせいで話がそれた。それでさ、今日の夕方までに用事が片付きそうなんだ。夜は空いてる?

えぇー仕事? 急いで片づけてくれよ。それで夜は俺とごはんに行こう。反対意見は認めないぞ。

うん、うん、わかってるって。仕方ないだろ、本当は夜までかかる予定だったんだから。

ちゃんと仕事はしてるよ! ひどいな、君のために頑張って早く終わらせたのに。

と に か く 君は早く仕事を終わらせておいてくれよ。迎えに行くからさ。

うん、りょーかい。うん、食べたいもの決めておいてくれよ。

じゃあ、また夜に、

バイバイ、ダーリン

(リップ音)






chapter5:見つけ出してディアレスト!

 忘れ物が多い人だけど、それ以上にあの人は道に迷う天才だと思う。
 あのロンドンの複雑な道路事情は全部頭に入ってるくせに、それ以外のところとなるとからっきし。
 地図はろくに読めないし、距離を測るのも下手だ。
 だから本来曲がるべき角よりも何本も前の角で曲がったりして、そのまま道に迷う。
 本人はきちんと地図通りに歩いているつもりなんだから救いようがない。
 どこで曲がったの?って聞いても地図通りに歩いた!ってしか返ってこないんだ。迎えに行くこっちの身にもなってくれよ、もう。
 今日も駅から少し離れた店を待ち合わせ場所にしてしまったせいで、あの人は時間を過ぎてもやってこない。
 まったく、今日も探しに行くしかないらしい。
 携帯の地図アプリを起動させて、あの人が入り込みそうな路地を探す。
 いつかみたいに地元住民でも使わなそうな路地で猫と戯れてたりなんかしたら今日の夕飯は全部あの人のおごりだ。
 太るぞ、なんて言われても食べ続けてやる。精々会計の後に軽くなった財布に泣けばいいんだ。
 だって信じられるかい? こっちは何かトラブルに巻き込まれたんじゃないかってハラハラしてるっていうのに、猫! 猫!! お前も撫でてみるか?じゃないよ!
 ああ、店先のテディベアに見惚れてたこともあったね。
 人の遅刻に文句ばかりつける人だけど、結局あの人だって全然人のことは言えないんだ。夢中になるとすぐに何も見えなくなっちゃう。俺との約束が軽く見られてるみたいであんまりいい気分じゃないぞ。
 せっかく探してあげたって言うのに感謝の一言もないのだって心外だ。こっちはその複雑怪奇な地理把握能力を予測するのだって一苦労なのに、まるで俺が見つけるのが当たり前みたいな顔して。

 まったくもう、面倒だなぁ。
 そんなことをぼやきながらも、路地へと駆けだす青年の目はきらきらと輝き口元は楽しそうに綻んでいた。







chapter6:デッドエンドは訪れない








世界の行き止まりで、君を待つ。











04/15 サイト掲載