突然だが、猫になった。
原因は不明。昼寝から目が覚めると猫になっていた。
最初に感じたのは違和感で、やたらと天井が高いなと思った。
自分の体を見下ろしてみると、ふさふさとした体毛で覆われた猫のからだがあった。手を上げてみても動くのは
猫の前脚。本来ないはずの器官である尻尾は自分の意思で動いた。
ここまで来ると認めるほかない。
どうやら俺は猫になっちゃったらしいんだぞ!
だが、そのことに対して驚きもしなければ、不安を感じるようなこともなかった。
ただ人の手足の代わりにある猫のそれが興味深くて、握ったり開いたりを繰り返した。
ギュ、と力を込めると鋭い爪が肉球の間から飛び出す。
ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ
結構楽しい。
飽きるまで爪を出し入れした後に、やっと自分の置かれている状態を確認した。
現段階でも、ここが自分の家ではないことくらいは分かる。
でも初めてきた気もしないんだよなぁ。
なにぶん猫の低い視線では、人間の時と同じように部屋の全貌を把握することなど不可能だ。
猫の身体では、二人掛けであろうソファまでとても大きく感じられた。
このソファとか、どっかで見た気が……
革張りの上質なそれに爪を立てないよう、ふにふにと突ついてみる。
ああ、喉元まで答えが出かかってるこの感覚……!
しかし、どれだけ記憶を掘り返しても答えは出ず、もどかしさは募るばかりだ。
とりあえず、ソファから降りよう。
四足でしか歩けないことにもさして抵抗を覚えなかった。むしろ猫の体で二足歩行出来る方が気持ち悪い気がす
る。
ソファの端まで行ってみると、床までの距離が以外とあった。
それでも、不思議と恐怖は感じなかった。
「にゃぁ」
「T can fry!」
迷いなくソファから飛び降りる。しなやかな猫の体は柔らかに床へと着地した。
改めて広い部屋を見回す。
古めかしい家具に飾られたアンティークの食器。
クン、と匂いを嗅ぐとそこは懐かしい香りに満ちていた。
紅茶の甘いにおい。雨に湿った薔薇のにおい。本棚に積もった埃のにおい。
今も記憶に染みついた、彼のにおい。
「なーお」
「イギリス……」
猫の喉は望んだ言葉を発してはくれなかった。
やっぱりこれは夢なんだぞ。
アメリカ合衆国である自分が猫になって、彼の家にいる。
夢で以外、起こりえないことだった。
だって、彼とは、
彼とは? その続きが思いだせない。
まあ、いいか。
とそこで楽天的に諦めてしまうあたり、思考まで猫になってしまっているようだった。
その時、耳がピクリと動いた。
猫の聴覚が誰かの話し声を捉えたからだ。
「おい、やめろって、危ないだろ?」
どくん、と小さな心臓がはねた。誰かじゃない、彼だ。
彼の声が近づいてくる。誰かと一緒なのだろうか、やけにやわらかな、普段の彼からは想像できない声色だっ
た。
「あ? プレゼント? そっか、それは楽しみだな」
足音を、声を、匂いを、気配を、敏感な神経が拾う。
それがドアのすぐそこまで迫って、ガチャリとドアが開いた。
薫る紅茶にくらくらと脳があまく痺れた。
目の前には磨かれた革靴。糊のきいたシャツに、落ち着いた色のベストとネクタイ。持っているお盆には紅茶が
乗っているのだろう。そのまま視線を上げていけば、フォレストグリーンの瞳と目があった。
驚きに目が大きくなるのがありありと分かった。
あ、童顔。
そう思った。見開かれた瞳は、彼をいつも以上に幼く見せていた。彼の唇がわななく。
「ね、こ……?」
「にゃあ」
「にゃあ」
ごまかすように猫の鳴き真似をした。鳴き真似をせずとも、飛び出したのは鳴き声だったけれど。
「これが『プレゼント』か?」
彼があらぬ方向に話しかける。そう言えば、部屋に入ってきたのは彼一人だった。では先ほど彼と話していたの
は?
また例の幻覚かい、君……。
こんなときにまで、とため息をつこうとして息をのんだ。
彼をとりまく光が見えた。
別に彼が輝いて見えたとか、そんなでは断じてない。きらきらとした淡い光が、ふわふわと彼のまわりを飛んで
いた。
よく見れば、彼が話しかけているのはその光なのだ。彼の言葉に応えるように光が強くなったり弱くなったりして
いる。
猫になったからって俺にまで幻覚が見えるようになるものなのかい?
ごしごしと猫の足で目をこすってみても光は消えなかった。
「それにしてもデブ猫だな、お前」
彼が屈みこんで俺に手を伸ばしてくる。お盆はテーブルの上に置いたようだ。って、デブ猫って失礼すぎるんだぞ
君!
「にー」
「失礼な!」
抗議の声を上げると、彼が少しびっくりしたような顔をした。だがそれも一瞬で、すぐにその相好を崩した。伸びて
きた手が少しだけためらいがちに喉を掻く。
自分の意思とは関係なしに喉がごろごろとなった。単純に気持ちがいい。
彼の手からはどんどん遠慮が消えてゆく。片手で喉を掻いているだけだったものが、むにむにと頬の皮を引っ張
り、頭をわしゃわしゃとかき回している。いつの間にか両手になってるし。
「にゃあにゃあ!」
「いい加減にしてくれよ!」
「あ、悪い、つい」
彼の手を払うように前脚を振りまわすと、ようやく彼の手が離れて行った。その代わりにじろじろと眺められた。な
んだか居心地が悪い。
「リボンまでつけて、ほんとにプレゼントみたいだな」
「に?」
「りぼん?」
「見てみるか?」
と言って彼がかざしたは銀製のお盆だった。さっき紅茶を運んできたものだろう。きれいに磨かれた表面に一匹
の猫が写っていた。
クリーム色の毛並みで、首回りだけが襟巻のようなふさふさとした色の濃い毛に覆われている。その毛に埋もれ
るように幅広の真っ赤なリボンが巻かれていた。首の後ろで大きく蝶結びにされているそれに、よく今まで気づか
なかったものだと思う。
これ相当恥ずかしいんだぞ……!
自覚してしまった以上そのままにはしておけない。前脚で取ろうとするのだが、猫の関節の可動域では不可能
だった。ならばと後脚を使ったが、リボンがよく滑る材質でやはりうまく外れない。
「もう外しちまうのかよ、もったいない……」
「にゃー!」
「やなものはやなんだよ!」
「あー、たく、待ってろ、今外してやるから」
彼の手が再び伸びてきて、しゅるりとリボンをほどいていった。そのリボンを彼が名残惜しそうに見る。
「可愛かったのにな……」
「ふーっ!」
「またそれかい、君!」
尻尾を太くして怒りをアピールすると、彼がさらに不満そうな顔をした。そんな顔してないでさっさとそのリボン捨
ててきてくれよ。君隙有らばまた結ぼうとしてるだろ!
「と、とにかく!」
彼がリボンをまとめなおしながら言った。あー、やっぱり結ぼうとしてるよこの人。
「今日からお前は俺が飼うからな。別にお前の為じゃないぞ! 妖精さん達のプレゼントだから仕方なく受け取っ
てやるだけなんだからな!」
そう高らかに宣言する。君、猫にまでツンデレなくてもいいんじゃないのかい?
そんなわけで、猫になった俺、アメリカはイギリスに飼われることになった。
こんな感じで続いていきます、ねこたりあ連作。どの辺がねこたりあってアメリカ猫の外見だけなのですが……
これねこたりあって呼びませんね、はい。すみません。
3巻ヤバ過ぎるだろあれーー!! って叫びを形にしたものです。
妖精さんは、猫なんだし少しくらい見えてもいいじゃないっ、と思いあんな感じです。
猫ってたまにあらぬ空間に向かって鳴いてたりするじゃないですか。そんなノリです。 (07/04)
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