猫の生活は自由気ままだ。
好きな時に眠り、好きな時に食べ、好きな時に遊ぶ。
イギリスのもとでの食事は少々アレだが、人型であった時に食べられたものではあるから、猫になったからと言っ
て食べれなくなることはないはずだ。多分。
のんびりとした時間の流れる昼下がり。
イギリスらしい空模様は快晴とは言い難かったが、庭を探索するのには十分な陽気だった。
猫の視点から見る庭は広く、不思議に満ちている。深い森を探検している気分になって、生い茂る木々や草花の
合間を散策した。
少し開けた場所を歩いていると、ひらりと白いものが鼻先に現れた。蝶だ。
羽の不規則な動きに魅せられて、ふらふらとそれを追った。
「にゃう」
「猫パンチ!」
蝶をとらえようと前足を振りまわす。でたらめに振り回したそれは空ぶるばかりで、かすめる事すらかなわない。
振り下ろした前足をくぐり抜けるように蝶はひらひらと舞った。
しばらくそうやって蝶と戯れていたのだが、今の今まで自分のそばを離れずに舞っていた蝶は唐突に飽いたよう
に空へと飛んでいってしまった。白い翅を持った蝶は白い雲に覆われた空に溶け込んですぐに見失った。
「みゅー」
「行っちゃったんだぞ……」
つまらないな、と他の遊び道具を探してキョロキョロ辺りを見渡すと、家の中から甘い匂いが漂ってくることに気づ
いた。
紅茶の匂いだ。
そしてその甘さに混じる焦げ臭いにおい。
あの人、またスコーン焼いたな……。
懲りない人だと思う。
あんなもの食べれるのは俺くらいなのにな。
あの壮絶な味を思い出して、鼻にしわを寄せた。不味いはずなのに、こんなにも懐かしさを感じるだなんて終わっ
てる。あんなに不味いのに。
よみがえる記憶がある。
自分の遊び場はこんな狭い庭ではなくて、自分は猫ほどとはいかなくても、ひどく小さくて。
何もない、果てもない平原を、息が切れるまで走り続けた。それくらいしか、遊びを知らなかったころ。
あのころも家に帰るとこのにおいがしたのだ。彼の淹れる紅茶のにおい。彼の作る料理のにおい。
ただいまと家に駆け込めば穏やかに微笑んだ、兄代わりの優しいあの人。
ただ、そのことだけでしあわせだった。
風が吹いた気がした。
陰鬱なイギリスの気候に不似合いな、カラリと乾いた草のにおいを運んでくる風だ。
かえろう。
気付けば足は家へと向かっていた。猫の短い足ではわずかな距離さえもはるか遠くて、何かに急かされるように
たったっと家を目指した。
開け放たれた庭に面した窓。レースのカーテンが風に揺れていた。
たんっ、と軽い音を立てて家の中に飛び込む。柔らかな風が吹き込む部屋の中でイギリスが本を読んでいた。ロ
ーテーブルの上には湯気の立つカップと妖気の立つスコーン。スコーンさえなければ完璧な昼下がりの過ごし方
だろう。
「にゃあ」
「ただいま」
気を引くように一鳴きすると、イギリスが本から目を上げた。窓際の猫の姿を認めたイギリスの目が緩む。“あの
頃”と重なる笑みに、つきんと胸が痛んだ。
「おかえり」
こっちへおいで、と言わんばかりに腕を広げる。
『おかえり、アメリカ』
駆け込んできた自分を受け止めたのは、確かにこんな笑顔をした青年だった。
イギリスが、猫である自分との暮らしとあのころを重ねていると? それは違う。
重ねているのは、俺自身だ。
トトト、と軽い足取りでイギリスのもとへ向かう。足元まで行くと、イギリスが膝の上に抱え上げてくれた。
「やっぱり重いな、お前」
耳の後ろを指で掻きながらイギリスが笑う。近くで見てみれば、彼の笑顔はあのころのものとは結び付かなかっ
た。すべては懐かしい匂いが引き摺り出した過去の幻影だろう。
あの頃のイギリスは、こんなに無防備に笑う人ではなかった。
「にゃう」
「イギリス」
唐突に。
どうしようもなく、この人がいとおしいと思った。どうしようもなく、この人に惹かれている。
甘えてもいいのだろうか、この手に。
耳を掻いていた手は下に移って喉をくすぐる。心地よいそれにゴロゴロと喉を鳴らした。
じゃれつくように顔を近付けた。間近にあるフォレストグリーンが、遠い昔から好きだった。小作りな顔も、白い肌
も、薄紅色の唇も、すべてがすぐそこにある。
いいよね。
誰にともなく許可を求める。
俺は今、猫なんだから。
ぺろりとイギリスの唇と嘗めた。その唇に吹き込むように鳴き声を上げる。
「にゃぁ」
「好きだよ」
彼の顔には、またあの驚きが浮かんでいた。いや、それだけじゃない。わずかに滲んだ戸惑いの色。どうして彼
がそんな表情をするのかは分からなかったけれど。
「にゃぁにゃぁ」
「好きだよ。大好き」
伝わらないことを承知で言葉を重ねる。伝わらないと分かっているからこそ、重ねられる言葉だった。
いまもむかしも、ずっときみがすき。
俺はこの人に恋をするんだろう。それは彼に出会ったときに感じた確信。
独立して、彼の笑顔を見なくなった。眉をひそめた姿なんてあの頃は知らなかった。
いつだって、俺の進む先には違う表情を持った君がいる。
幼子に不器用な愛を一身に注ぐ君も、
雨の降る中どうしてと涙した君も、
他人行儀に振舞おうと心を閉ざした君も
からかう言葉に過敏に反応する子供っぽい君も、
一匹の猫に無防備に微笑む君も、
みんな大好きだと、言い切ることができるから。
「にゃーぁん」
「大好きだぞ、イギリス!」
次は俺の隣で笑う君が見たいと願うよ。
3日目です! 今更ながらに米目線というのが難しくなってきました。
極力主語を省いて抽象的な感じで書いてるので、読むのが少し面倒でしょうか?
対猫となるとイギリスさんが装備からツンを外してしまうので困っています。
引き続きツン捜索中です…… (07/06)
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