じじいがきたひ

4日目

昼過ぎの微睡みから目覚めたころ。


イギリスの家の錆びついたドアベルが鳴った。
来客を告げるそれを聞いたのは久々だった。どんだけ友達がいないんだい、君。

新しいクロスの刺繍に勤しんでいたイギリスを哀れみの目で見上げると、その顔には明らかな喜色が浮かんで いた。
何となく、面白くない。

少し機嫌を損ねつつも、イギリスにあんな顔をさせる人物が気になって、イギリスについて玄関へと向かった。
玄関のドアには曇りガラスが填められている。その向こうの人影は小柄だった。

もしかして女性かい!?

それはますます面白くないと顔をしかめたが、そんな心象が伝わる訳もなく、ホールに降りたイギリスが容赦なく ドアを開けた。
立っていたのは黒髪の年若い男。落ち着いた色の衣服に身を包んだその人は、己にも十分に見覚えがあった。

「こんにちは、イギリスさん。本日はお招きありがとうございます」

なんだ、日本か。

考えてみれば、イギリスの少ない友達の中でドアベルをきちんと鳴らし、しかも招き入れられるまで外で待ってい るのは彼くらいしかいなかった。
見かけの何倍もじじいだと自称する、同じく童顔のイギリスよりもさらに幼く見えるその人。

「そちらが例の猫ですか?」

イギリス越しに玄関を覗き込んだ日本と目が合う。

「にゃあ」
「やあ、日本」
挨拶をすれば日本が笑みと取れる表情を作った。
目尻を下げ、口角を僅かに持ち上げるだけの日本の笑顔は少々分かり難い。

「とりあえず立ち話もなんだから入れよ」

玄関のドアを押さえてイギリスが日本を迎え入れた。
物腰の柔らかな体捌きは彼の眉毛が象徴するもののそれだ。

ホント君って日本の前では紳士だよね。
二人の交流のきっかけも影響しているのだろう、イギリスはとにかく日本に甘い。
イギリスは自分に好意を向けてくれる人にとことん弱いという面もあるけれど。

なのになんで俺にはあんなにツンケンしてるんだろうな。
あれほど好きだとを示し続けたのに、

仲良さげに連れ立ってリビングに向かう二人の後を、釈然としない思いを感じながら追いかけた。

「じゃあ今紅茶を淹れてくるから。あ、スコーンでいいか?」

キッチンには昨日作った兵器が大量に置かれている。うまくも作れもしないのに何で君はあんなに量産するんだ い? これ以上被害を広げないでくれ!

「イ、 イギリスさん!」

日本が青ざめた顔でイギリスを呼び止めた。振り返ったイギリスに対して作った笑みは少々冷や汗が浮いている ことを除いては完璧だ。
さすが日本。

「今日はマドレーヌを焼いて来たんです。よければイギリスさんに食べていただきたいんですが」

「に、日本がそこまで言うなら、食べてやってもいいけど……」

「ありがとうございます」

再び笑った日本は少しだけ顔色がよくなっている。それにしても日本もイギリスの扱い方がうまくなったもんだ な。

「紅茶の用意してくるな」

と言い残して、イギリスはキッチンへと向かった。

その間に日本が抱えていた袋から箱を取り出しす。ふんわりと甘く香ばしいにおいが香った。
箱の中にはこんがりときつね色に焼き上げられたマドレーヌが入っていた。

ローテーブルに置かれたそれが気になって、テーブルに前足をかけて箱を覗き込んだ。くんくんと匂いを嗅ぐと甘 い匂いが鼻腔を満たす。刺激臭のしない料理に感動を覚えた。

「おや、猫くんも食べますか?」

「にゃう!」
「いいのかい!?」
「少し待ってくださいね」

そう言って日本が袋から新しい箱を取り出した。

「ぽちくんように焼いたものですが、お裾分けです」

にっこりと微笑む。差し出された箱にはマドレーヌと骨の形をしたクッキーが入っていた。甘い匂いは先ほどのも のより薄い。それでも美味しそうなお菓子達は魅力的だった。

日本が箱からマドレーヌを取り出し、小さくちぎってから差し出してきた。
小腹がすいていたこともあり、素直にもらう。
味付けも量も物足りないがあったが、おいしい。

「お、お前ももらったのか」

キッチンから戻ってきたイギリスの穏やかな声が降ってきた。

「ペット用の甘すぎないお菓子を作ってみたので勝手に差し上げてしまいました」

まだまだ甘くても俺は一向に構わないんだぞ。
そもそも、日本のお菓子は甘さが控えめ過ぎると思う。

「や、いいよ。ものを食わないから困ってたんだ」

イギリスが人のことをまるで偏食のように言うがそれは違う。すべては君の料理がまずいからだ。

イギリスの淹れた紅茶と日本のマドレーヌを食べながら、二人は雑談をしていた。自分も時折相槌を入れつつ会 話に参加中だ。
そこで日本がふと思い出したようにカップをソーサーに置いた。

「ところで、まだ猫くんのお名前を伺っていなかったのですが」

「名前?」

イギリスがきょとんとした表情で首をかしげた。いい年した大人のやる仕草じゃないよ、イギリス……。
ついでに言うと、猫の聴覚がシャッター音を拾ったのだが……無視しておこう。

本題に戻る。
名前、名前……
イギリスを見上げると、同じく見下ろしてきたイギリスと目があった。
そう言えば……

「考えてなかったな」

「なう」
「そう言えばね」
おいだの、お前だの、猫だの、この4日間は常にこんな感じだ。
一人と一匹しか、二人しかいいない空間で相手の名を呼ぶ必要はない。イギリスが幻覚に話しかけているときを 除いては、名詞を省いても会話は成立するのだ。

「いいんですか? それで」

日本が言う。質問の意図が見えなかった。穏やかな口調は詰問とも命令とも結びつかない。
あえて言うなれば、確認、だろうか。

「いいって、どうして?」

「私の家に昔住んでいらっしゃった方がおっしゃった言葉にこんなものがあります。『名は一番短い呪だ』と」

「しゅ?」

「ええ。私の家では昔は本当の名を隠す習慣がありましたので、相手の名を知ることは相手を支配することと同 意義だったんです。そんな風習は今はもう残ってはいませんが、今も昔も名前が本人の本質を示すものである ことは変わらないんですよ」

これはただの雑談であるはずなのに。日本はさらりと意味深な事を言ってのけた。
こちらの文化でも、名前というのは重要だ。子の名付け親は時に、本当の親よりも子との心象的な距離は短くな る。

「ないままでよろしいんですか、名前。きちんと本質をとらえていないと、どこかに行ってしまうかもしれません よ?」

気まぐれな猫のことですし、と付け足して日本はにこりと笑った。含みがあるのか、ないのかすらわからないこの 笑顔は、少々苦手だ。

「そうか……名前、なぁ……」

イギリスが再び見下ろしてきた。
名前をつけられるのだろうか。猫としての名前を。もし名前をつけられたら、俺はどこに行く。
世界の超大国、アメリカ合衆国は、何処へ……。

「やっぱこいつは名前はないままでいい」

イギリスがあっさりと言った。それはもう、悶々と悩んだ自分がばかばかしく感じられるレベルで。

「そうですか、では私は猫くん、とお呼びしましょうか。よろしいですか猫くん?」

「にゃん」
「かまわないよ」
「ありがとうございます。……ですがイギリスさん。どうして名前をお付けにならないんですか。よければ理由をお 教えいただいても?」

「あまり縛りたくないから、だろうな。こいつはいつでも自由なんだから、いつまでも俺の家にいるわけがない」

イギリスの手が伸びてきたかと思うと、脇を抱えられて膝の上に導かれた。背後から伸ばされた指が毛並みに 沿って背をなでる。心地よさに目を細めた。

君は実に馬鹿だね。君さえ望むならずっと一緒にいてあげてもいいのに。
まあ、君がいてほしいのは俺じゃなくて、日々の生活を少し豊かにするペットだから。
わずかに生まれた寂しさを埋めるように、イギリスの手にすり寄る。
見上げたイギリスの瞳はひどく優しい色をしていた。

「あの、イギリスさん……」

「ん?なんだ日本?」

「写真、撮ってもよろしいでしょうか」

日本が震える手でデジカメを構えていた。ああ、なんだか君がしたいことの想像がついちゃったんだぞ……

「いいぜ、ほら」

脇に手を差し入れられて日本の前にぐい、と差し出される。
宙ぶらりんな脚が空を蹴った。
日本が奇声を上げないようと口を引き結んで写真を連写している。

イギリス、日本がとってるのは俺じゃなくて俺を抱えて笑ってる君だと思うぞ。120パーセントの確率で。

そんなにによによしたくなる笑顔なら俺も見たかったな。
抱えられた状態ではイギリスを返り見ることは叶わない。今度会った時に日本に見せてもらおう。
今度がいつになるかは、未だに予想がつかないけど。



日本は撮影会に満足した様子で帰って行った。
また静かになった家で少しだけ寂しそうな気配を見せるイギリスにすり寄った。

「にゃお?」
「いいのかい?」
「ん、どうした?」

「に」
「名前」
「そんなに名前欲しかったか?」

「にゃー」
「どうだろ」
「お前なんて“猫”で十分だ、ばぁか」

「に!」
「ひどいんだぞ!」
傷ついた顔をしてみせると(ちゃんとできていたかは謎だ)イギリスが声を上げて笑った。








じじい来襲編

本当はもっとほのぼのさせたかったのですが、
伏線(というほどのものではありませんが)を入れようとした結果、
中途半端な雰囲気を醸し出す作品になってしまいました。
日本は家庭的且つミステリアス且つオタク。どれも捨てがたくて、ついつい全部入れてしまいます。

そして、どうしてこんなに長くなってしまうんでしょう。
前回、少し短くかけた!とはしゃいだのですが、逆戻り通り越して悪化してしまいました。
リバウンドってやつですね…… (07/11)