びしょ濡れのまま家に帰った。
その間イギリスはずっと自分を抱えたままで、普段あんなに重い重いと騒いでいるのに、と釈然としない気持ちを抱いた。
流石に泥だらけの靴のまま家に上がるのは抵抗を感じたのか、イギリスが靴下だけになって廊下を進む。
それでも彼が玄関でやったことは靴を脱ぐことだけで、絞りもしなかったシャツやズボン、そして自分の毛皮からは水がひたひたと滴り落ちて廊下を水浸しにしていた。
連れて行かれたのは浴室。
やっと床におろしてもらえたのだが、タイル張りの底は爪を立てることもできず、とても不安定だ。こういうのはじっとしているに限る。
自分が大人しくしているのを確認したイギリスがバスタブに湯を溜め始めた。かと思えば、ふらりと浴室を出て行ってしまう。
何処に行くのだろうと追いかけようとしたら、盛大にタイルで滑った。
シャーと水が溜まって行く音とともに、乾いていた浴室の空気が潤っていく。それを匂いで感じ取りながら、何をするでもなく、イギリスを待った。
しばらく、というほど長い時間でもなかっただろう。イギリスが戻ってきた。全裸で。
ここは浴室なのだし何も間違った格好でもなければ、むしろ一番ふさわしい姿ではあるのだが、彼の想いを寄せるこちらとしては、非常に目に毒だ。
雨に濡れそぼったままの髪。薄い胸や腰に細い足。
それだけでも十分に目のやり場に困るというのに、長時間雨に濡れて冷えたせいか、肩や足先にはほんのりと朱がさしている。頬や耳、目尻なども同様で、うん。
おまけに足元は跳ねた泥で汚れたまま。
その姿が、とにかく、エロい。
なんでこう無駄に色気があるのかなこの人は!
頭を抱えたくなるような現状だったが、猫の関節の可動域では不可能だった。
なるだけその姿を視界に入れないようにと目をそらしていると、頭にびしゃりとお湯がかかった。思わず顔をあげてしまい、シャワーを浴びるイギリスの姿を視界いっぱいに入れる羽目になる。
一度見てしまうと、今度はそこから目が離せなくなった。
や、これ以上は、ホントにヤバいんだぞ!
主に己の理性的な問題で。ある意味、今は猫で良かったかもしれない。人型では、はっきり言って我慢できる自信はない。
彼が人型の自分の前でそんな無防備な姿を晒すわけがないだろうと、自分の中の冷静な部分が突っ込んだ。
そんなことを悶々と考えていると、がしりと背後から掴まれた。
自分のシャワーを終えたらしいイギリスは今度はおせっかいにも自分を洗おうとしているらしい。
そんなサービスいらないんだぞっ!
「おい、こら、あばれるな!」
「にゃぁぁぁああああ」
「いやだぁぁああああ」
死に物狂いで暴れても、イギリスの腕をすり抜けることは叶わなかった。雨は予想以上に体力を削っていたらしい。
泡立てた石鹸でわしゃわしゃと洗われる。
清潔な石鹸の匂いも不快ではなかったし、体を洗うイギリスの指は心地いい。
あとは背後にいるイギリスが全裸であることを忘れられれば大丈夫なはずだ。
「気持ちいいかー?」
「にー」
「んー」
「流すぞー」
「にゃー」
「んー」
弱めに設定された水圧で泡を洗い流される。
温かい雨は、疲れた体に沁み渡った。
さてこれで解放してもらえるだろうと思いきや、また背後から抱きかかえられた。やわらかな毛皮越しの彼の肌の感触。何が楽しくて一人我慢大会などやらなくてはならないのだ。
「うにー」
「いい加減離してくれよー」
「いいじゃねぇか。一緒に風呂入ろうぜ」
イギリスが己を抱えたまま湯船につかった。
「にゃぁあ゛あ゛、に゛ゃ、にっ」
「溺れる、溺れるっ!」
「あ、悪ぃ!」
胸のあたりに抱えられていたというのに、イギリスが肩まで湯船に沈むものだから鼻から口からお湯が入ってえらいことになった。
イギリスの腕にしがみついてようやく難を逃れる。それからイギリスをじっとりと見つめた。
「にゃぁ〜」
「死ぬとこだったんだぞ!」
「だから悪かったって」
謝罪を口にしながらイギリスが腕から肩に移るよう促す。それに従う形で、前脚をイギリスの肩にのせた。ついでにあごも載せて、下半身は水の浮力に任せた。
あれだけのことをされたのだから、これくらいはやっても平気だろうと言い訳してイギリスの首筋をじゃれつくようにぺろりと嘗めた。
「ひゃっ」
思わずと言った風に飛び出した声に、少しだけムラッとした。
かといって猫の体でそれ以上のことができるはずもなく、悪戯はそこで終了となる。
「もー、くすぐったいだろー?」
イギリスがわしゃわしゃと頭を撫でた。水滴がパサパサと飛ぶ。
乱れた毛並みに違和感を感じて直そうと体を震わせた。お湯がばしゃばしゃと波打った。
「おい、やめろって」
そう言って押さえつけてくる手には、さほどの力は掛かっていなかった。声もどこか軽く、楽しげな空気をまとっている。それにつられて、またイギリスにじゃれついた。
そうやってじゃれあっている間に、時間は随分と過ぎてしまった。
額に張り付いた髪を掻きあげて、イギリスが笑った。
「あがるか」
リビングは空調が効いて暖かかった。イギリスがお風呂に入る前に起動させておいたのだろう。時代も進歩したものだと、暖炉を囲んだあの頃を思い出して思った。
タオルにくるまれたまま床に下ろされる。
「ちょっと待ってろな」
そう言ってどこかへ消えたイギリスに、一抹の不安を覚えた。またろくでもないことを考えていないといいけど。
浴室のほうからイギリスが持ってきたのはドライヤーだった。タオルで水気を切ったもののまだ湿っている己とドライヤー。
うん、何を考えてるかよーくわかったよ。
どこか嬉々とした表情のイギリスに抱き上げられた。抵抗するのも億劫で、イギリスのなすがままになる。
かちりと背後でスイッチの入る音がして、暖かい風が吹いてくる。
イギリスが手櫛で毛並みを整えながら、まんべんなく風を当てていく。マッサージのような手付きと暖かい風、今までに蓄積した疲れにふわりと意識が溶けていくのを感じた。
「よし、終了」
イギリスがドライヤーの電源を切ったころには眠気はピークに達していた。
早く柔らかいクッションに飛び込んで寝てしまいたい。そう思うのにイギリスの腕はそれを許してはくれなかった。
がっちりと抱えられているわけではない。
むしろ軽く手を添えるだけの、いつでも振り切れる拘束。
それでも、だからこそ、動く気にはなれなくて、おとなしくイギリスの隣に座った。
「みぅ」
「君まだ濡れてるじゃないか」
ぼさぼさのアッシュブロンドは、自然乾燥で少し水分が飛んだものの、もとの拭き方がおざなりだったせいでまだ湿っていた。
イギリスが背を軽く撫でて立ち上がる。まるでここを動くなと言っているように。おとなしくそれに従って、ただイギリスを待った。浴室の方からドライヤーを使う音が聞こえるから、とりあえずちゃんと乾かしてはいるらしい。
しばらくしてドライヤー音が止まる。しかしイギリスがリビングに戻ってくる気配はなかった。
何をしているのかと疑問に思ったものの、イギリスが撫でたところに重しをのせられてしまったように体が動かない。
リビングのドアを見つめ、小さく彼の名を呼んだ。
イギリスが戻ったとき持ってきたのは先日購入したハニーミルクだった。
確かに雨に濡れた体を温めなおすには良い飲み物だ。
だが。
空調の利いた暖かい部屋。
―――暖炉の温かい炎。
外はバケツをひっくり返したような雨。
―――雷鳴と突風が響き渡る外。
香るはちみつとミルクティー。
―――差し出されたのははちみつたっぷりのミルク。
ああ、過去と今の境界が溶け落ちていく。
それでも、
隣を見上げれば、あの時とは何かが決定的に異なった微笑みを浮かべた彼がいる。
そのことが、なぜかとてもうれしくて。
その理由を探すことさえ、なんだか無粋なものに思えた。
イギリスが紅茶を飲み終える。
背を伸ばして、あくびを一つ。つられるように己も大きなあくびをした。
先ほどは引き留められてしまったけれど、今度こそは寝なくては。体が眠りを求めていることをひしひしと感じる。
かといってこんな場所で寝れば明日の朝が悲惨なことになるのは目に見えているから、
「みゃぅ」
「おやすみ」
イギリスに一鳴きして、自分の寝床に戻ろうとした。それを三度、イギリスの手が引きとめる。流石に、もう彼の希望をかなえることはできない。これ以上時間をおいたら寝床にたどり着く前に行き倒れてしまいそうだ。
そんな内心を察することなく、イギリスは自分を抱き上げた。抗議の声を上げようと口を開けたが、言葉が出てこない。
えっと、なんと言おうとしたんだっけ。
景色が一瞬で変わった。
どうやら数秒間意識が落ちてしまったらしい。イギリスに抱えられたまま廊下を進む。
ここから先は彼の寝室くらいしかないのに、どこに行くつもりなんだろう。
働かない思考をフル稼働させたところで、答えなど出るはずもなかった。
また一瞬意識が飛ぶ。
目の前にはイギリスの寝室の扉。イギリスが器用に自分を片手で支え、ドアを開けるのが視界の隅に見えた。
そのまま部屋の中に入ってしまう。
ああ、俺は寝床に戻らなきゃいけないのに……
ここからリビングの隅に作られた寝床までは猫の足だととてつもなく遠いのだ。ましてこの睡魔に断続的に襲われている状況で……
そんなことを考えていると、イギリスがベットにダイブした。もちろん、自分を抱えたまま。
ばふん、と彼の匂いが羽毛と一緒に舞った。
「おやすみ」
彼がそう呟いたのが聞こえた。
「みゃ…」
「おやすみ……」
咄嗟に返事を返したが、まだ状況に思考が追い付かない。イギリスはすでにスースーと寝息を立てている。
これは……今夜はここで寝ていいということなのだろうか。
そう解釈しないと今からリビングまで戻るはめになる。
責任は連れてきたイギリスにすべて押し付けることにして、眠るためにゴロゴロと寝返りを打った。
しかし、なかなかいい体勢が決まらない。
どう寝返りを打っても彼の胸に背が当たってしまう。
そうか、こうすればいいのか。
ごろごろごろと、体を反転させる。
彼の胸が目の前にあった。
そこに額をぐりぐりと押しつけると、イギリスが眠ったまま抱きしめてきた。
ああ、これ気持ちいいかも。
よい体勢が決まった途端に、思考は眠りにほどけていく。
「みぅ」
「おやすみイギリス」
おやすみなさい、大好きな人。
7日目後編。
やりたいことをすべて詰め込んだらえらいことになりました。
今までが日々のワンシーンの切り取りだったので、こんなシーンがころころ変わるのは書いてて少し違和感が。
アメリカ猫を可愛く、可愛くと念じながら書いているのですが、やっぱり難しいです。可愛くし過ぎるとアメリカじゃなくなってしまうし……葛藤中。
ねこたりあ全作の中で一番長いものの予定。これから次のシリアスまで、またまったりのんびりな感じで行きたいと思います。(07/17)
back