日を追うごとに、彼との距離が近くなっていく。
それは俺の錯覚じゃないはずだ。
今だって、俺を膝の上にのせたままイギリスは夢の中。
背に乗せられた右手のぬくもりが心地いい。
うとうとと温かな誘いはあるけれど、ここで寝てしまうのはどこかもったいない気がして、時折彼の寝顔を眺めてはからかう様に鳴いた。
のせる言葉はいつだって同じだ。
込めた思いはいつだって変わらない。
起きているつもりだったのに、いつの間にか眠りの縁に足を突っ込んでいたらしく、鳴り響いたドアブザーにびくりと尻尾が跳ねた。
イギリスも同様だったようで、大きく膝が揺れて思わず落ちそうになった。
ぐらりと傾いだ俺をイギリスが慌てて抱え上げる。
何を思ったのかイギリスは俺を抱えたまま玄関へと向かった。
君、地震の時に枕抱えて逃げるタイプだろ。
またブザーが鳴る。
ガチャガチャと音が聞こえるのは、ドアノブを回そうとしている音だろうか。
何やら緊急のことらしい。
イギリスが歩みを速めた。
ドアの向こうの人を確認することなく、鍵を空ける。
途端に勢いよく扉があけ放たれた。
そこにいたのは、
明るい金髪。
ひょこりと分け目から飛び出した一房の髪。
銀フレームの眼鏡。
淡い青の瞳。
軍服の上から着こまれたフライトジャケット。
俺?
アメリカ合衆国に瓜二つの男が、そこに立っていた。
ぞわりと背を何かが走り抜ける。
湧き上がった一つの感情。
逃げろ。
逃げろ。
―――どうして
逃げろ。
―――何から
逃げろ
―――何処へ
逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ!!
すべての疑問を押し流して、警告音が鳴り響く。
「おいっ、どうしたんだよ」
己を抱きかかえるイギリスの腕を振り切って、ホールに転がり落ちた俺は開け放たれたままだった玄関から外へと逃げ出した。
逃げろ。
その感覚にだけに支配されて走り続ける。
逃げろ
逃げろ
逃げろ!
「ア、っ、猫!」
逃げた猫を追って駆け出そうとするイギリスの腕を、横から伸びた手が掴んだ。
クンッ、と勢いを殺されたイギリスが忌々しそうにそちらを睨む。
「何の真似だ、ひげ」
大英帝国を彷彿とさせる眼光に、フランスは降参を示すように両手をあげて見せた。
「ちょっと落ちつけよ、イギリス」
「黙れ。早く追いかけないとっ」
「国家の有事と、猫とどっちが大事だ」
「有事……? そこのカナダと何か関係があるのか?」
イギリスの声の質が変わる。
冷静さを取り戻した緑の瞳に、先ほどの取り乱した様子は一欠けらもない。その切り替えの速さにフランスは内心で口笛を吹いた。
イギリスの視線はすでにフランスから、その横に立つカナダへと向いていた。
もとよりアメリカに間違われやすいカナダが、髪型と衣服をそろえてしまえば、その見分けはかなり困難だ。
問題はなぜわざわざそのような格好をする必要があるのかということ。
「アメリカがいなくなっちゃったんです。イギリスさん、何か心当たりはありませんか?」
「すまない、全く話が読めないんだ。一から説明してもらえるか?」
イギリスの言葉に、カナダがやっと思い合ったような表情をして、顔を赤らめた。
「すみません、取り乱しちゃって……」
「いや、構わない。で、アメリカがいなくなったってどういう意味だ」
「えっと、どこから話せばいいのか分からないんですけど………10日くらい前にアメリカに、身代わりを頼まれたんです。2週間、旅に出たいからって。もう2週間分の仕事は済ませてあるから、上司との会食とかに参加するだけでいいって言って。その時に3日に一度は連絡するって言って出て行ったんですけど、もう10日以上連絡なくて、最初は忘れてるだけかなって思ってたんですが、ここまで連絡がないと心配で……それで、アメリカが行くって言ってた遺跡の担当者に問い合わせてみたら、来てないって言われて……」
「それでカナダが俺に泣きついてきたから、お前なら心当たりあるかも知れないって来たわけだ」
不安そうな表情を浮かべておろおろとするカナダを宥めるようにフランスがその背を叩く。
だが、そんな二人にイギリスは顔をしかめて見せた。
「なんで俺があいつの動向を知ってるんだよ」
「あいつを最後に見たのお前っぽいんだよね〜」
「はい、出発前にイギリスさんの所に行くって言ってたので、多分」
「確かに10日くらい前にアメリカは来たけど、旅に出るなんて聞いてないし、その後どこに行ったかも知らねぇ」
「いや、お前はアメリカが何処にいるか知ってるはずだ。少なくとも、あいつがここに絶対に来ないってことを知ってる。だからお前はこいつがアメリカそっくりなのに、カナダだって分かったんでしょ」
「…………」
押し黙ったイギリスに、フランスが勝ち誇ったような顔をする。それから一変、真剣な表情を作ってイギリスに詰め寄った。
「さっさとアメリカに連絡をつけろ。国家の象徴が行方不明なんて、シャレにならないからな」
食い下がるフランスにイギリスが声を荒げた。
「だから、知らねぇって言ってんだろ! アメリカがここに絶対来ないことを知っている、だぁ? 当たり前だろ、俺が二度と顔出すなって言ったんだからな!」
勢いに任せて言いきった後、イギリスは大声を出したことを悔いるようにちらりと下を向くと、静かな声で続けた。
「分かったらもう帰ってくれ。俺はあいつを探しにいかねぇと」
玄関に立ちつくすフランスとカナダに背を向けて、イギリスは猫を探しに行こうとする。
「元弟より、一匹の猫なわけ?」
からかうような、非難するような、判別しずらいフランシスの問いかけに、イギリスは振り向かずに答えた。
「そうだよ、悪いか?」
俯き加減のイギリスの表情は窺い知ることができない。
その顔が今にも泣き出しそうなことなど、
その感情の起伏が誰に向けられたかなど、
それは、イギリス自身も知りえないことで。
「何処行ったんだよ……!」
喉から絞り出そうとした声は空気を震わせることなく口内に溶けた。
猫をはじめとする動物は、恐怖や痛みを『敵』と誤認します。
病気になったときなど、痛みという『敵』から逃げているうちに、そのまま死んでしまうこともあるそうな。
この習性が「猫は死に際を見せない」や「兎は寂しいと死んでしまう」などと言った誤解を生んだとされています。
アメリカは、何から逃げたかったのでしょう(08/03)
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