系譜の枝の終端に

「それで、話とは何かしら?」

人払いが済んだことを確かめてから、白髪を美しく結い上げた老キングはそう切り出した。
彼女の視線の先、茶会の支度が整えられたテーブルを挟んだ向かい側には、不機嫌なのを隠そうともせずに足を組んだエースが座っている。キングを前にして、あまりにも不遜かつ不敬な態度だ。“彼”がこの場にいたら眉を顰めて小言を言っただろうな、とキングは己の想像に少しだけ笑った。キング自身は、エースの態度を咎めようと思ったことはない。むしろその一途ともいえる態度は好ましいとさえ感じていた。

「……俺は、別に君と仲良くお茶が飲みたかったわけじゃないんだけど」

話がある、と嫌に深刻な表情で切り出したエースに対して、時間もちょうどよいから中庭でお茶にしましょうと、有無を言わせずに中庭に引き摺りだしたのはキングだ。エースとしては、恐らく執務室で睨みあうことを所望していたのだろう。

「いいじゃない。せっかくの天気なのだから。気が滅入る話を、気が滅入る場所でするのは嫌よ」
「話の内容も分かってるんじゃないか」
「ええ、大体想像はつくわ。でも、あなたの口から聞かせて」

世間話をする時と同じような気軽さで、キングはゆったりと紅茶のカップを口に運んだ。紅茶の支度をしたのは優秀なメイドのはずだったが、どこかその味に物足りなさを感じてしまうのは、普段紅茶を淹れてくれる彼の腕が別格なためだろう。視察でもう3日ほど城を留守にしており、さらにあと5日ほどしなければ帰ってこない。あと5日もあの紅茶が飲めないのかと思うと酷く寂しかった。
エースにとってもそれは同様なのか、はたまた呑気にお茶会をするつもりはないと言う意思表示なのか、憮然とした表情のままの青年は紅茶に手を付けることなくキングをまっすぐに見た。

「君に、王位を退いてもらいたい。できるだけ、早く」
「それは、断ったらどうなるのかしら」

シャッ、と鋭く空を切る音がした。音もなく立ち上がったエースが、剣の矛先をキングへと向けたのだ。ぞっとするほど冷たい青色の目がキングを見下ろしている。

「君の先の短い人生がさらに短くなるだけだよ」
「剣を下ろしなさい、エース。人払いをしてあるとはいえ、誰かに見咎められたらどうするつもりなの」

首筋のすぐ傍、少しでも身動きをすれば肌が裂けてしまう位置に刃を突き付けられてもなお、キングは平静を崩さなかった。穏やかな表情のままエースを見上げ、たしなめるようにその灰色の瞳を細める。そこには確かに過去を懐かしむ色があった。

「あなたに剣を向けられるのは二度目ね」
「……なら、あの時に言ったことも覚えているだろう」

剣を下ろすことなく、エースは低く唸った。キングを射殺さんばかりの眼差しは、遠い過去の記憶を甦らせる。
そう、あの日も。この青年は今と同じ色をたたえた目で彼女を睨んでいた。

「あの人を傷つけるのなら、容赦はしない」

あの日と同じ言葉。あの日と同じ声。
青い瞳は苛烈で、抜身の剣などよりもずっと恐ろしい。
全てがあの日の再現のようだった。……ただ一つ、一方がひどく年老いてしまったことを除いては。

あの日、戴冠を間近に控えつつも彼女はまだ少女と呼べる年ごろで、突きつけられた剣も、まっすぐに向けられる眼差しも、低く吐き出された言葉も、すべてがとても恐ろしかった。
この青年の前では次期キングという称号は無意味だ。そしてそれはきっと、そこから「次期」という言葉が取れたとしても変わらない。彼の逆鱗に触れれば、彼の唯一を害せば、その剣は何のためらいもなく己の首を飛ばすだろうと、そう確信した。少女は戴冠を前にして、絶対的な権力を誇るキングという地位が、その一方で振りかざされた剣の前ではあまりに無力であることを悟った。
権力に酔うこともなく、地位を過信することもなく。彼女は油断や慢心を寸分も許さぬ精神をもって動乱の続く大国を長きにわたり治めた。
あの時青年から剣を向けられることがなければ、彼女はキングの名に溺れ、歴代の王がそうであったように享楽にふけるばかりの傀儡と化していただろう。今の彼女があるのはある意味で青年のおかげなのだと、そう告げたところでこの青年は認めはしないだろうが。

青年の剣が彼女の価値観を変えて長く。あの日からどれだけの時が流れただろう。
あの日と同じ声色に、あの日とは違った響きを見出し、老キングは懐旧に目を細めた。青年が何一つ変わらない以上、変わってしまったのは己の方なのだろう。長い年月の間に積み重ねた経験は、青年の新たな側面を垣間見せた。
あの日、脅しか忠告のように響いた言葉は、青年にとっては覚悟と自身への宣誓を込めた言葉だったのだろうと、ようやく知る。
彼はキングに剣を向けることをためらわない。だがそれは恐れ知らずだからではなく、すべてを背負う覚悟があってこそだったのだ。国の元首たるキングに剣を向けるということは、その国家と国家に属するすべてに、しいてはキングという為政者を定めた神意に逆らうことと同義だと、それを分かっていながら、それでも、国も、神も、世界のすべてさえも敵に回す覚悟が、青年にはあったのだろう。すべてを敵に回してでも、守り抜くと誓ったのだろう。
やはり、どこまでも一途だ。その一途さが愛おしくて、羨ましい。

「もう限界なのね」
「……ああ、これ以上はあの人の命を食い始める」
「案外、もったものね」

重々しいエースの声に反して、老キングの表情はどこまでも穏やかだった。
いずれ来ると分かっていた瞬間だ。産声を上げたその時から、終わりまでの数を数えている。瑞々しかった手の甲が張りを失っていくのをまざまざと見せられ、大方の覚悟はできていた。もう死を恐れるような若さでもない。だから、死の宣告に返す言葉は、やはり思ったよりも長かった時間への感嘆で正しいのだ。

魂は劣化する。
それは不死の肉体を与えられた王族であっても同じことだ。
人の理から外れた肉体は経年で衰えることはないが、その中に埋められた魂の姿を如実に反映する。徒人よりは緩やかにとはいえ、魂の劣化に合わせ、人は年老いていく。
遥か昔、死の恐怖を前にして人の道を踏み外したキングがいた。
他者の命を継ぎ接ぎしてその生をつないだのだ。この時選ばれた“他者”とはキングと最もつながりの深い者――すなわちその伴侶たるクイーンだった。命の譲渡などという神の御業も、同じく神の御業である国を作り上げる巨大な魔術式を利用すれば不可能ではなかった。
それぞれ国を守護するための役目が振られた13人のナンバーズのうち、クイーンはキングの伴侶としてその補佐と国の守り、癒しを使命としている。当時のキングはそれに目を付け、クイーンの選定と嘱託に関わる魔術式に手を加えた。
すなわち、クイーンの役目はキングを支えること。ひいては、その命が途切れかけたならば、己が命をもってそれをつなぐこと。
文字通りクイーンにその身を捧げさせることを、クイーンの存在理由の一つとして定めてしまったのである。 如何にもっとも膨大な魔力を持つ者が選ばれるクイーンであっても、国の根源たる大魔法は覆せない。こうして、本来その優れた魔力で国を支えるべきクイーンは、使い捨ての燃料タンクと化した。
魔力の高い者をクイーンとして召し上げてはその命をしゃぶりつくすを繰り返し、やがて魂が擦り切れ廃人と化すまで不老不死の栄華にふける。そのやり方に異を唱えたキングは歴代の中でついぞ現れなかった。

だが当代のキングだけはそれを良しとしなかった。クイーンを深く愛していた彼女は、その献身を拒み、なんとかクイーンに本来の役目をまっとうさせようとした。だが時代が下り、キングも神から与えられた力の大半を失った今、もはや大魔法を書き換えるような大それたことは不可能となっており、せめてキングの魂に限界がくるまでクイーンによる命の譲渡を受け付けないようにするのが精一杯だった。
キングの命がほころび始めれば、大魔法は容赦なくクイーンから命をはぎ取り、キングへと注ぐ。
そしてその時は、エースが指摘したように、もう目前に迫っていた。

まだ、もう少しだけ。
そんな考えがなかったとは言えない。
もう十分生きたと思いながらも、少しでも長く彼らと過ごしていたかった。
キングはすっかり張りを失った手の甲に視線を落とし、少し寂しそうにその肌を撫でた。
つい甘くなりがちな自身の判断よりも、エースの指摘の方が正確だろう。クイーンのためにならば、キングに剣を向けることも厭わない青年だから。

「正確には、あとどのくらい時間があるのかしら」
「――――あと、一年」

エースの押し殺したような声にキングは思わず顔を上げ、目を瞬かせた。
予想外に、猶予が長い。
これからしなければならないことを思い浮かべ、それにかかる期間を計算したキングはふわりと笑みを浮かべた。

「そう。今から継承式の支度を始めれば、半年は田舎で余生を楽しめるのね」
「後継者選びに揉めてたら一年なんてあっという間さ」

エースが剣を納めながら冷ややかに言った。なるほど、彼の計算では一年というのはギリギリの数字だったらしい。

「後継者、ね」

ほう、とため息をついて、キングは少しばかり冷めてしまった紅茶のカップを手に取った。その水面をちらりと見、だが口をつけないまま、キングは再び青年を見上げる。

「ねえ、エース。次のキングにふさわしいのは誰かしら」
「できるだけ馬鹿な奴で頼むよ。今度こそ容赦なく殺せるように」

どさりと椅子に腰を下ろして、エースは投げやりにそう言った。
そう、キングが代替わりしようと、クイーンがその役を解かれるわけではない。クイーンの条件は国一番の魔力を持つことであり、当代のクイーンをしのぐ者が未だ現れない以上、死ぬまでその座から降りることはできない。
エースが宣言通りクイーンに仇なす者を排除していったところで、クイーンが真の意味で自由になることはないのだ。彼はどうするつもりなのだろう。キングを殺しても、次のキングが立つだけだ。今までのようにキングを脅しつつ、エースとしてクイーンの懐に留まるのだろうか。それとも、すべてを敵に回してでも、その手を取って地の果てまで逃げるのだろうか。――どちらをとっても救われない。

「だいたい、君が結婚して子供を産まなかったから後継者選びがややこしいことになってるんじゃないか」

世襲君主制を敷くこの国において、血こそが何よりの正当性の証明だ。
本来ならばキングの長子、もしくはその直系が後継者となり、子供がいなければより血縁的に近いものが選ばれるが、キングが人並み外れた寿命を持つために、血統の枝葉は広がりが大きく、継承順序は曖昧になりがちである。
当代キングには実子がいないため、下への枝葉の伸びはなく、一度幹へとさかのぼって再度他の枝を下らなくてはならないのだが、キングには兄弟姉妹がおらず、また唯一の叔父が未婚だったため従兄弟の類もいない。当然ながら幹にさかのぼれば遡るほど、辿れる枝は増える。誰もが直系であるという正当性を振りかざせない今、キングが王位を退けば、その身に流れる一滴の血を証明に、多くの者が後継者として名乗りを上げることは目に見えていた。
一年、とエースは見積もったが、後継者争いがそんなにも早く片付くとは到底思えない。
――いっそずっとキングが決まらなければ、クイーンはキングに命を食われることもなく、この青年エースは幸せなのかもしれない。
キングはふと、そんなことを思った。

「私はクイーンと結婚しているもの」
「役職の上ではね」

そう訂正するエースの声は刺々しい。恋敵なのだから、当たり前と言えば当たり前か。
エースの言った通り、キングとクイーンの婚姻は形式上のみの話だ。かつて――建国の神話までさかのぼればそこに夫婦関係があったらしいとの記載もあるが、キングとクイーンが性別を問わないことと、歴史の半ばでクイーンが延命のための道具となったために、その関係はあくまで飾りに過ぎない。キングはクイーン以外に伴侶をもち、その血統が王位を継いで行くのがこの国の常だった。

「いつかは振り向いてくれると信じたかったのよ。……でも、私の負け。あの人を振り向かせることはできなかったし、ここだけの話、他の殿方に心が揺れたこともあったわ。あなたやあの人ほど一途ではいられなかったの。酷い話でしょう?」

自嘲気味に笑ったキングにエースは複雑な表情をした。彼も、こんな中途半端な女を恋敵にしてきたことが虚しくなったのだろう。

「……惹かれた相手がいたなら、その人を選んでもよかったじゃないか」

そうしてさっさとクイーンを諦めればよかったんだ、と、そう言いたかったのだろうエースの声は、けれどどこか気遣うような響きを持ってキングの耳に届いた。きっと錯覚だろう、けれど、その不器用な響きを嬉しく思う。

「そうね、その手を取ってもよかったのかもしれない。けど、それはルール違反だもの」
「ルール……?」
「私が勝手に決めたルールよ。あの人が振り向いてくれたら、子供を産んで、その血統に王位を譲るつもりだった。もし振り向いてくれなかったら、その時は正当な継承者に王位を返そうと、そう決めていたの」

他の誰かの手を取ることもできた。きっと今とは違う幸せを手に入れることができただろうし、彼らも祝福してくれただろう。
だが――。
結婚をしてしまえば、子供を作らないという選択が難しくなる。個人の感情という面から見ても、周囲の圧力という面から見ても。さらに、子供を作らなかったとしても、外戚となった一族の発言力が大きくなり、後継者争いの際の勢力図を大きく変えてしまう可能性があった。
バランスを崩してはならない。今の、誰一人として有力な後継者がいない状況でなくてはならない。

「ちょっと待ってくれよ。言っている意味が理解できない。君の血縁は最低でも6親等は遡らないといないし、だいたい、返すって、」

思わずと言った様子で口調を荒くしたエースを見あげ、キングは意味ありげに唇を持ち上げた。

「――ナンバーズはキングによる叙任、クイーンは魔力の量によって選ばれる。どうしてキングだけが世襲制なのかしら?」
「そんな、の……」
「答えられないでしょう? 当たり前よ。世襲制の正当性なんて、どこにもないのだから」
「…………」
「本来キングは――少なくとも、建国から十数代の間までは――相応の資格を持った継承者が選ばれていた。この、選定時計によって」

キングが懐から何かを取り出し、テーブルの上に置く。それは掌ほどの大きさの古びた懐中時計だった。

「この時計こそが、キングの証明であり、キングの力の根源。私の先祖は、遠い昔、正当な継承者からこの時計を奪って、キングの座についた。だから私はこの時計の本来の力は使えないし、この時計はいつも正しい所持者を求めて鳴いている」

つつ、と指先で時計の輪郭をなぞり、キングはそう呟くように言った。
惜しむように蓋の刻印を一撫でした後、それをエースの方へと押し出す。

「触れてごらんなさい、エース」
「…………いや、だ」

その、一見何の変哲もない時計がひどく恐ろしいものであるかのように、エースは身を固くしてわずかに後ずさった。
きつく寄せられた眉と、噛みしめられ色を変えた唇。この青年がこんな、怯えや恐怖と言った類の色を顔に乗せるのを、キングは初めて見たような気がした。おかしな話だ。共に過ごした年月は、彼にとっては不本意だろうが、徒人の一生よりもずっと長いというのに。

「触れなさい。キングの命令よ」
「っ、卑怯だぞ!」
「なんとでも」

キングは笑みを深め、さらに時計をずいと押し出した。エースが固唾を飲む。

「さあ」

柔和な態度を崩さない老キングの声には、けれどどうしてか抗えない響きがある。たとえ正当な資格を持たずとも、彼女は長きにわたり国を治めてきた王なのだと、そう思い知らせるような。

キングの圧力に屈し、エースは恐る恐る時計へと手を伸ばした。
かたかたと指が震える。
だが、震えているのはエースの手だけではなかった。
時計が、まるで応えるかのようにかすかに震え、ガラス製のテーブルを鳴らしている。
時計の震えはエースの手が近づくにつれてますます大きくなり、やがてカタカタと無視できない音を立てながらテーブルの上を跳ねまわり始めた。

じりじりと緊張が高まっていく。

あと少し、鳥の羽一枚分でエースの指が時計に触れようとしたその時、エースは弾かれたように時計から手を離した。ぜいぜいと荒い息を吐いて、時計を掴もうとした腕をもう一方の手できつく握る。それはまるで、これ以上腕が伸びようとするのをとどめるかのようでもあった。

「俺、が、触った、から、って、どうなるんだい……」

背を丸めたままキングを睨みあげるエースの額には、じっとりと脂汗が滲んでいた。

「言ったでしょう? 正当な継承者に王位を返すって」
「今更時計の所有者なんて言ったところで誰が納得するんだ!」

エースが叫ぶ。血を吐くような激情は、彼自身が揺れている証明だ。
たとえ長きにわたりキングの傍らにあろうとも、彼にとってキングとは別世界の存在だったのだろう。キングにエースの地位を与えられたものの、血統主義がはびこる王宮において、己の出生さえも定かではない彼は多くの困難にぶつかり、目には見えない“血”の持つ権力を何度でも思い知らされたはずだ。キングとはいわば、血統の頂点に立つ存在であるはずで、ヒエラルキーの底辺にさえ居場所のない彼からはあまりにもかけ離れている。
彼の叫んだとおり、未だ血を重んじるところの多い議会は選定時計の意志に必ずしも従いはしないだろう。
だが。

「問題ないわ。あなたは私の従弟だもの」
「は……っ?」
「あなたは叔父上の隠し子なの」
「そんな訳ないだろ。俺は……!」
「正しくは、隠し子という“設定”」

混乱するエースにキングはやんわりとその双眸をたわめて見せた。

「叔父上は一度だけ視察であなたの故郷を訪れたことがある。その時に一夜の過ちがなかったとは、誰も言い切れないわ。――まあ、実際の所あなたの年齢を考えれば矛盾するのだけれど、百年以上前の数字なんておおざっぱにしかあてにならないから」
「そんな曖昧な根拠で今更隠し子だって言うのかい? こんな後継者決めのタイミングで言い出したって誰も信じるわけがない」
「今更じゃないわ。あなたは二百年以上前から叔父上の息子よ」
「はぁ!? ま、さか、」

キングから告げられる怒涛の情報にエースは処理が追いつかないと言った様子でコロコロと表情を変える。普段素気無い青年を掌で転がせることを少しばかり楽しみながら、キングは先を続けた。

「ええ、叔父上が存命中にあなたのことを認知してもらっているの。公文書ではないけれど、調べれば簡単に発覚する事実に見せかけて」
「きみ、は、いつからこんな大それたことを仕組んでたんだ」
「あえて言うなら、あなたに初めて会った時からかしら。あなたに近づくと時計が騒ぐから、すぐにあなたが正しい後継者だと分かったわ」
「その時に俺に時計を渡さなかった理由は?」
「それはあなたが指摘したことじゃない。『今更時計の所有者なんて言っても誰も納得しない』って」
あっけらかんとキングが言い放った。笑みを深めながら、なおも200年以上の時をかけて編み上げられた策略を語っていく。

「血統にうるさい輩はあなたが叔父上の血を引いていると知れば黙るでしょう。あとは突かれるとしたら教養と政への知識と功績くらいね。教養と知識はこの200年で嫌でも身についたはずよ。功績がないとは言わせないわ、そうでしょう? 百戦錬磨の軍神殿」

当代キングの統治したこの200年。各地で勃発した内乱にたびたび派遣されたのは、軍事を司るナンバーズ――エースだ。数多くの劣勢も制し、キングに幾多の勝利を持ち帰った彼はその功績から軍神と謳われさえした。

「俺に他のナンバーズを兼任させたのもこのためかい」
「勉強になったでしょう?」

悔しげなエースにキングが満足そうに笑う。
軍事のエース、商工のデュース、技工のトレイ、農工のケイト、外交のシンク――11のナンバーズにはそれぞれ国を支える様々な分野の管理の役が与えられている。当代のキングは、各ナンバーズの席が空くたびに、次のナンバーズが決まるまでの穴埋めにとエースをそこに配置した。それぞれ兼任していた期間は短いが、司る役の概要を知るには十分な時間が与えられていた。今になって思えば。

「外堀は全部埋まっているわよ、エース」
「…………」

キングはもう一度、促すように時計をエースへと差し出した。だが、エースの腕が伸びることはない。

「まだ納得できないかしら」

頑ななエースの態度にキングが苦笑する。

「じゃあ、そうね……もし、あなたがこの時計と契約したら。あなたは歴代のキングなんて足元にも及ばないような力を手に入れるでしょう。――そう、たとえば国の根幹をなす大魔法を書き換えることも不可能ではないわ」
「……!!」
「今のクイーンに組み込まれた、命の譲渡の術式も消せる。それでもあなたはこの時計を拒むのかしら?」
「……きみ、ほんっとうに嫌い」

今にも泣きだしそうな表情をしたエースはそう心の底から呻いた。
だから、キングはそっと目を細めてほほ笑んだ。

「幸せにおなりなさい、アルフレッド」

あまりに優しい声にエースが息を飲む。俯いて固く目を瞑れば、数滴の液体が肌を伝って地面に落ちた。汗か涙かは、わからない。息を深く吐いて、すべての澱を吐き出す。

きっと顔を上げたエースは、今度は迷うことなく懐中時計を掴んだ。
キンッ、と甲高い音が響いて、青い光が地面と平行な同心円を描くように広がる。巨大な魔方陣が展開されたのは一瞬で、光はすぐさま収束し、彼の手の甲に紋となって焼きついた。この国の象徴、剣を模したスペードの印。

ほう、とため息をついたのは老キングだった。

「この瞬間の時のためだけに生きてきたような気がするわ」

あながち間違いでもない言葉を呟いて、椅子の背に深く体を預ける。きっと己がキングの座についたのは、この青年にすべてを返すためだったのだと、心の底から思う。

「……ねえ、一つ聞いてもいいかい?」
「なにかしら」
「あの、人が、君を選んだらどうするつもりだったんだい」

きっとそんな場面を思い浮かべるのも嫌だろうに、あえて疑問を口にした青年にキングは微苦笑した。

「言った通りよ。自分の子供に時計を渡していたわ。血統的に言っても直系が優先されるし、今までの計画も、注げなければそれまで。……でも、そんなことはありえないって、私が一番よく分かっていたわ。あなたたちの間に私が割り込む隙なんて、初めからなかった」

彼がすべてをなげうってもクイーンを守る覚悟があるように。それに応えクイーンは貞淑を貫いた。

「ねえ、私からも一つ聞いていいかしら?」
「なんだい?」
「あの人と、あなたより早く出会えていたなら、あの人は私を選んでくれたかしら」

遠く、クイーンの愛する庭園に視線を投げかけながら、キングはそう問いかけた。
青年の瞳が揺れる。唇を開きかけては噛みしめるを何度か繰り返し、ようやく喉を震わせた。

「……どう、だろうね」

否定でも肯定でもない青年の答えに、キングは喉の奥をかすかにふるわせて笑った。

「ありがとう。……もう話は終わりね。さがりなさい」

青年の方を見ないまま、キングはそう命じた。チャリ、と懐中時計が少し音を立てて、青年が踵を返したことを伝えてくる。足音が遠ざかり、聞こえなくなるまでキングはその音に耳を澄ませていた。








風のそよぐ美しい庭を視界から追い出すように目を閉じる。

――出会うのがもっと早ければ、私にも可能性があったのだろうか。

その問いはいつでも胸にあって、いつだったか同じ問いを、クイーンにもしたことがある。
クイーンはその緑の双眸をきょとんと丸めて、質問の意図を理解すると目を細めて遠く空を見やった。――ああ、そうだ、あの時はエースが遠征に出ていたのだ。

静かな声が、今も耳に残っている。

――それでもきっと、私が選ぶのは一人です。

あの愛おしさをすべて詰め込んだような声に、ああ、敵いっこないのだと、そう思った。
あの青年は自分を恋敵として苦々しく思っていたようだけれど、本当は、そんなことを思う必要なんてなかったのだ。いつだってあの緑の目はたった一人に向けられていて、絶対にこちらを向くことなんてありえなかったのだから。
恋敵にさえ、なれなかった。この感情はどこまでも横恋慕でしかなかった。
だからこそ、あんなに愛されているくせに、無意味な威嚇ばかりをする青年が憎たらしくて、羨ましくて。

「……私もあなたが――」

だいきらいよ、と言いかけて、少女は口をつぐんだ。

「だいすきだったわ」

風に溶けた声は誰にも届かないだろう。万が一あの青年に届いてしまったら盛大に眉を顰められるに違いない。その様子がまざまざと思い描けて、思わず笑みがこぼれた。

きっと己に与えられた使命は彼らに王国を預けることで、きっと己に与えられた僥倖は彼らと共に歩めたことだった。
彼らに与えられた時はまだ長く、彼女の足跡が途絶えた後も、二人の足跡はずっと続いていくのだろうけれど。たまには振り返って、一緒に歩みを並べた彼女の存在を思い出してくれるだろうか。――きっと彼らならばそうしてくれるだろうと信じられるのは、200年の長きを共に過ごしたからだ。

決して手と手を取り合ってとはいかなかったが、共に歩いた時間は確かに幸せだった。その、あまりにも長く一瞬だった時間のすべてを愛している。

満足げに微笑み、年老いたキングは午後のうららかな日差しにまどろんだ。











02/27 pixiv掲載
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