好きなんだ。初めて会ったときから。
止まらない涙を指で、甲で、腹で、拭い続ける。止まらない、止まらない、
今なら体中の水分が抜けきってしまうまで泣き続けられる自信がアーサーにはあった。
アルフレッドはどうしただろう。年上のくせにこんなボロボロ泣いて、呆れてるかな。それとも、もう、部屋にいないかな。だって、物音一つしないんだ。
「あー!もう!」
苛立ちを隠そうともしないアルフレッドの声にアーサーはびくりと肩を揺らして顔を上げた。涙の膜のせいで鮮明としない世界をずかずかと影が近づいてくる。
腕が迫ってきて思わず身を固くすると、ぱしりと手首をつかまれた。まばたきをすれば、溜まっていた雫が頬を流れていく。世界が晴れて、先ほどよりも苦渋を前面に押し出した表情で見下ろすアルフレッドと目があった。
「何なんだい、君! 好きだって言ってみたり、他の人と間違えたって言ってみたり! 今度はなんて言い訳する気だい? 風邪で意識が朦朧としてて間違えたとでも!?」
激高するアルフレッドの声が体に響く。ガンガンと脳内で反響する声がアーサーの体の震えを止めた。
「いちいち君の言動に振り回される俺の身にもなってくれよ。どうしても間違えるって言うなら近づかないし、もし彼に言えない代わりに俺に告白してるなら……君とはもう会わない」
感情に任せて荒げた声から一変して、酷く弱弱しい声でアルフレッドが言う。
見上げた表情は、悲しみと苦しみと怒りと憤りとが入り混じっていた。
なあ、そんな顔をされる理由が分からねぇよ。
告白はこれが初めてだろ、他人と間違えたってどういうことだ、俺が好きなのはお前なのに、言い訳? 何で? 間違えてねぇよ、振り回されてるのは俺の方だ、彼? 誰? 代わりって何のことだ、近づかない? 会わない? やめてくれ、好きなんだよ、近づきたいんだよ、会いたいんだよ、他の誰でもない、お前に、
ああ、頭がぐちゃぐちゃになる。
「代わりって、誰の……」
「君が好きなのはフランシスだろ?」
「なんで、」
何で俺があの腐れ縁を好きだってことになってるんだろう。
「何勘違いしてんだよ、俺があいつを好きなわけねぇだろ」
「君がそう言ったんだろ」
「言ってない」
「言った」
「言ってない」
そのまま言った、言ってないの応酬になる。アーサーは死ぬか、フランシスを好きだと言うかの二択を迫られても迷わずに死を選ぶ自信があるので、ここばかりは曲げられない。絶対にアルフレッドの聞き違いか思い違いだ。
「自分で言ったんじゃないか、彼と間違ったって」
「だから、間違えるって何のことだ」
「君が酔って俺の部屋に入ってきたときのことだよ!」
「え、だってあの日は、」
言いかけて、アーサーは言葉に詰まった。
よみがえる、己の言葉。
『昨日の、アレは、あの……、他の奴と間違えちまって、その……、ホントに、わるかった……』
だってアレは、アレは……?
あのときはフランシスを殴った記憶がぼんやりとあったし、過去の経験から考えても、一番確率が高いのは『フランシスと間違えて殴ってしまうこと』だと結論付けて……
思えば、あの日アーサーはアルフレッドの部屋に入った記憶もなければ、その後の記憶も全く残っていなかったのだ。統計論だけであの結論を出して、それをアルフレッドの口からは聞きたくないからと彼の言葉を遮って謝罪を叫んだ。
俺は、あの日、
「俺、何した……?」
鋭さのないアーサーの問いに、アルフレッドも驚いたように目を丸くした。
「君、覚えてないのかい?」
「う、それが、まったく………」
「じゃあなんであの時他の人と間違ったとか言ったんだい」
「あのパターンはフランシスと間違って殴ったくらいしか選択肢がなかったんだよ」
「それで『間違った』ね……」
アルフレッドが大きくため息をついた。頭痛を堪えるようにこめかみを押さえている。
でも、殴ったとかじゃないなら、一体、俺は、何を、
アーサーが茫然とアルフレッドを見ると、彼はもう一度大きくため息をついた。
「端的に言うと、告白されてキスされたよ」
「!!」
ボン、と音がしそうな勢いで顔の温度が上昇した。風邪のせいにできない熱が頬や耳に集まる。声にならない絶叫が胸を駆けまわった。
「俺、全然覚えてねぇ……」
「話が噛みあわないわけだね……」
二人でため息をつく。ちらりとアルフレッドに目をやると、目元を手で隠してはいるものの、指の合間から見えるそこは真っ赤に染まっていた。
アーサーは上昇を続ける頬の温度を感じながらあの日のことを必死で回想した。が、酔った夜のことは全く思いだせない。アルフレッドの言葉を信じるならば、告白をして、キスをして。何でそんな大切なことが抜け落ちてしまっているのだろう、俺の頭は。しかもキス、したとか、覚えてないの勿体なさすぎる……。
「じゃあ俺は全く見当違いの嫉妬をしてたってわけかい?」
目尻を赤く染めて、不機嫌そうな声でアルフレッドが言う。
「嫉妬って……」
そんな、まるで、アルフレッドが、アーサーのことを、好き、みたいな言い方は、
「ねぇ、アーサー」
あつい声が名前を呼ぶ。
「ごめん、君の、全部フランシスに対してのだと思ってたから、その、」
あの言葉を、もう一度と、彼が言う。
ああ、何度でも繰り返すよ、それで少しでも届くなら。
だって、だって、
「好きだ」
「うん、」
「好きだ、」
「うん、」
「好き、なんだ」
「うん、俺も君が好きだよ」
だいすきな人なんだ。
想いが、感情が、飽和して、瞳からこぼれおちていく。何度もこうやって泣いた。それしか感情のやり場を知らなかったから。
けれど今溢れ出すのは、ただただ嬉しくて、愛しくて、
涙を拭おうとするアーサーの手を制して、アルフレッドがアーサーを抱き寄せた。その肩口に顔をうずめて存分に泣いた。あやすように頭をなでるアルフレッドの手が、優しくて、暖かくて、また涙があふれた。
「落ち着いたかい?」
優しく問われて、アーサーはためらいがちに首肯した。涙は治まったが、まだものが冷静に考えられる状態じゃない。
ただ自分が未だにアルフレッドに凭れかかるような体勢であることに気づいて、アーサーは慌てて身を引いた。
「え?」
軽く後ろに反っただけなのに、体がそのまま倒れる。アルフレッドが素早く背に手を差し入れてくれたおかげで勢いよくベッドに沈むことだけは免れたが、身を起そうにも体に力が入らない。そのままベッドに横たえられてしまい、アーサーは戸惑うようにアルフレッドを見上げた。
「病人のくせしてあれだけ泣いて騒ぐからだよ」
アルフレッドに指摘されてようやく自分が風邪をひいていたことに思い当る。自覚してしまった瞬間に、熱による倦怠感と頭痛がぶり返してきた。そんなアーサーの様子にアルフレッドが苦笑を洩らす。
「寝なよ。そばにいるから」
そう言いながらアルフレッドはアーサーの手を取った。流れるような動作で手を引き寄せて、アーサーの手の甲にキスを落とす。
それが少し前に自分がやった行為だということを思い出してアーサーは再び顔を赤くした。アルフレッドがしてやったりといわんばかりに笑う。
「おやすみ」
「ん、」
ゆっくりと意識が落ちていく。
ただ彼と握った左手だけが鮮明で、それがいいようもないくらいに幸せだった。
おやすみなさい、また明日は笑顔で。
ひとまずこれにて「恋」完結となります!
最後は駆け抜けた感が否めませんが……米の出番がホントに少ない話でしたね
では、ここまで見守って下さった方々に感謝の意を込めて。本当にありがとうございました(09/29)