恋<9>

何度か目の意識の浮上。
部屋が暗い。もう夜なのだろう。カーテンの隙間から月光がさして部屋を切り取るように照らしていた。

喉の渇きを感じて、アーサーは身を起こした。まだ熱のせいで頭がくらくらとしたが、床に倒れていたあの時よりはずっと調子がいい。
ふと左手に重みを感じて目を移すと、日光を知らない青白い左手を、日に焼けた健康的な右手が握っていた。
本当に握っていてくれたんだ。
ふわりと心が温かいものに包まれて、それから夢うつつとは言え大それたことを頼んでしまったことに赤面する。

そのまま引き締まった腕を辿っていくと、ベッドに上半身をうつ伏せにするような形でアルフレッドが眠っていた。アーサーの看病をしているうちに眠ってしまったのだろう、眼鏡をかけたままだ。もう一方の腕を枕代わりにしているものの、眼鏡のフレームがこめかみのあたりにひっかかっていて痛そうだ。
そろそろと右手をのばして、アーサーはその眼鏡を外した。整った目鼻立ちが露わになって、自分がやった行為とはいえ少々焦る。だって、これは反則だろう。


普段は天真爛漫な性格に隠されている繊細な部分が無防備にさらされていて、いつもは幼さの残る笑顔に誤魔化されていた青年の横顔がはっきりと見てとれて。


この寝顔を見ていると俺は面食いだったのだろうかと考え込んでしまう。
そうやってしばらく見惚れていたのだが、はっと我に返ってアーサーは持ったままだった眼鏡を安全な場所へと移動させた。

その間も、左手の掌からはアルフレッドの体温が伝わってくる。ずっと繋いでいたせいでアーサーの体温が移ったのか、触れられた時のあのひんやりとした感覚はもうない。
それでも、ずっと、それこそ体温が移るまで、この手を握っていてくれたことがうれしくて。

アルフレッドを起こさないようにゆっくりと、アーサーはアルフレッドの右手ごと自分の左手を引き寄せた。それほど強い力でつかまれているわけではない。むしろ重なっている程度なのに、その手はアーサーの手にしっかりと絡んでいた。そんな風に感じるのはきっと自分の思いこみなのだろうけれど。

大きな掌を名残惜しく思いながらも解いて、その手をまじまじと見た。大きくて、厚みのある手。爪は綺麗に整えられていて、中指にはタコができていた。前者はバスケをやっているから、後者は特殊なペンの持ち方をするからだろう。固い掌に自分の掌を重ねてみると、アルフレッドの方が一回りか二回りほど大きかった。

その後も感触を確かめるように両手で挟んでみたり、掌を揉んでみたりとその手をぺたぺたと触った。始めのうちはアルフレッドが起きないようにとそっとやっていたのだが、だんだん楽しくなっていってしまい、触れる手も遠慮が無くなっていく。
アルフレッドの手の指と指の間に自分の指を差し入れて、いわゆる恋人繋ぎのような形を作ったアーサーはそこでふと手を止めた。

いいかな、いいよな、

少しばかり思案のあと、アーサーはつないだ手を更に引き寄せてアルフレッドの手の甲を頬に押し当てた。手の甲は外気にさらされていたせいでまだあの冷たさが残っていて、熱を帯びた頬にちょうどいい。冷たさを楽しむ様に頬擦りをして、かすめるようにその甲に唇を落とした。


「まだ寝ぼけてるの」


眠っていたと思っていたアルフレッドが突然言葉を発して、アーサーは思わず絡めた指を強く握った。
目を落とすと、アルフレッドがベッドにうつ伏せたまま目だけをこちらに向けていた。眼鏡越しじゃない青色は純度が高くて、カーテンの合間から差し込む月光を吸い込んで仄かに発光しているようにも見える。

凪いだ海のような瞳を見つめても、その中を泳ぐ感情の尾ひれさえも見つけられなくて、アーサーは焦るよりも戸惑うよりも早く、底知れない恐怖を感じた。

目の前にいる彼が、誰か知らない人のような気がして怖かった。

息が詰まる。

「俺は“彼”じゃないよ」

掴んだままだったアルフレッドの右手が動いて、離すように促す。脱力したアーサーの左手の中からそれはするりと抜けだして、逆にアーサーの手首をつかんだ。さほど力がこもっているようには見えないのに、その手は折れそうなほどにアーサーの手首を締め付けてくる。

「ぇ……あ……っ」
「同じ金髪だからって、間違えないで」

間違える……?
アーサーが投げかけられた言葉を理解する前に、あの力が嘘のようにするりと手が退いていく。白く指のあとが残る手首にアーサーが気をとられているうちに、アルフレッドは立ち上がって眼鏡をかけ直した。レンズ越しの、わずかに鈍くなった青色は痛みとも悲しみとも取れない色を浮かべていた。

だから、だから、どうしてそんな目をするんだよ。

そう問いかけたいのに、声が出なくて。言いたいことがたくさんありすぎて、喉もとでつっかえてしまったような感覚。

アルフレッドが腕時計を確認する。それからアーサーを一瞥して、アルフレッドはゆっくりと背を向けた。

「そろそろ交代だから、俺は帰るよ」

昼間のパタパタという陽気な効果音が似合うような歩き方じゃなくて、一歩ごとに物理的にも精神的にも遠ざかっていくような、静かで、静かで、重い歩き方。

その背が遠ざかっていくことが耐えられなくて、アーサーは強く目を瞑った。
喉の奥で渦巻いていた言葉達が、ついにその堰を破った。

「っ、待てよ! 間違えるって何をだ! 交代って何のことだよ!」

風邪で痛めていた喉が悲鳴を上げるのを感じたが、そんなこと知ったことか。
ここであいつを引き留めないと、もう二度とその背中を追いかけられないような気がした。

「お前、っいきなり意味わかんね……ぇ!」

溢れだしたのは言葉だけではなくて。
ボロボロと零れる涙を必死で拭った。みっともないと思うのに、涙も、嗚咽も、止まらない。

「……ひっく、ぅ……ふっ………」

ああ、こんな風に泣いてる間にもあいつはドアを開けて出て行ってしまうかもしれないのに。
噛みしめた唇の間からも嗚咽は漏れて、必死に止めようとすれば胸がひしゃげたように痛んだ。
言葉を発しようとしても潰れた喉を通せばすべて震えた泣き声に変わってしまって。

今、彼に一番伝えたい言葉は、何?


「ふっ……ぅ………好き、なんだよぉ…………!」


だからお願いします、何処へも行かないで。










あと二話くらいで終ってほしい。(恋〈6〉)
すみません、あと2話くらい続きます。(恋〈7〉、ブログ)

現在、恋〈9〉。計画性がないにもほどがある。
終わる終わる詐欺しすぎてすみません(09/28)