バケツをひっくり返したような雨が降り注ぐ。
なんともイギリスらしくない天候に何度目かわからないため息をついた。
イギリスの庭のどこかのバラの木の下。雨宿りをするにはそこは少々具合が悪かった。
「にゃっ!」
「冷たっ」
葉から伝い落ちた雨粒が背に当たった。先程から滴る水滴のせいで毛皮はすっかり濡れそぼってしまっている。
「にゃあ〜」
「イギリス〜」
少しは心配してくれてるのかな。
買い物に出ていたはずの彼を思い浮かべて、またため息をついた。家に戻らねばとは思うのだが、自分が今どこにいるかもわからない。
完全な迷子だった。
庭で昼寝をしているときに降り出した雨。
鼻先に落ちたそれに目が覚めたのだが、あまりにも唐突に降り出したのもだから、寝起き直後で寝ぼけていたこともあってパニックになってしまい、家に帰るつもりが庭の奥に入り込んでしまった。
もとより広いイギリスの家の庭は小さな猫にとっては迷宮に同じだ。
特徴の見つけにくい不規則な植樹。より自然を楽しむために作られたイングリッシュガーデンはあっさりと一匹の猫を飲み込んでしまった。
視界は雨のせいで遮られて、匂いは強いバラの香りのせいでたどれない。
途方に暮れた猫はバラの木の下から動くことができずにいた。
イギリスが返ってくるであろう時間はとっくに過ぎている。家にいない猫に気づいて探してくれているだろうか。
そう考えて、唐突に彼の言葉を思い出した。
「いつまでも俺の家にいるわけがない」
先日の、日本と会話の時のものだ。
イギリスが自分に名前をつけない理由。
縛りたくないと、彼は言っていたが、つまりは出て行ったところで特に気にも留めないということなのだろう。
極端に少ない彼の持ち物の中に、愛玩動物は含まれていないらしい。
いつかは手放すことを知っていても、それに深い感傷を抱くこともない。
出て行きたいならば出て行けと、彼はあっさりと言ってのけるだろう。
だから、家に帰って猫が消えていても、それは彼にとっては想定できた未来の一つで。
彼にとってはたかが猫一匹なのだろうと、そう思うと心が沈んだ。
雨脚は弱まることを知らない。見える範囲にある水溜りも、どんどんその大きさを増している。
冷たくなった体は、体力を少しずつ削っていく。
ぴしゃん、と泥が鼻の頭に跳ねたけれど、拭うために前足を上げることすら億劫で、はふ、とため息をつくと、髭に付いていた雫が震えて落ちた。
ずっとうずくまっていると、腹の下のぬかるんだ泥に体が沈み込んで行くような錯覚を覚える。
雨の雫で飾られた睫毛が震える。重たい瞼を持ち上げているのにも疲れてしまった。
眠気を飛ばすためにもまばたきをしたいのだが、一度閉じてしまった目を再び開けることは不可能のように思えて、鈍色の空を眺め続けて、ゆっくりと瞼が落ちてゆくのを感じていた。
泥のような眠りに引きずりこまれていく中で、しかし僅かな呼び声に覚醒した。
遠くで彼の声がする。
なんと言っているかまでは聞き取れなくても、確かに彼の声が。
「にゃあ」
「イギリス」
「にゃあにゃあっ」
「イギリス、イギリスっ」
ただ、彼の名前を呼び続ける。
やがて、びしゃびしゃと泥のはねる音が近づいてきた。
バラの枝の向こうに、彼の金髪が見えた。
「にゃあ!」
「イギリス!」
イギリスが鳴き声に反応してこちらを見た。
その顔は深い焦燥に彩られている。一瞬さまよった目がこちらの姿をとらえた瞬間、その表情が安堵で緩んだ。
近づいてきたかと思えば、服が汚れることも厭わずに膝をつく。
伸ばされた手が優しく頭を撫でた。
「こんな所にいたのかよ……心配したんだぞ」
両前足の下に手を差し入れられ、バラの木の下から引きずり出された。毛皮からぼたぼたと泥水が滴る。
そんな自分を、イギリスはためらうことなく抱きしめた。
猫を抱きしめるには少々強すぎる力で抱きしめてくるイギリスは、まるで二度と離すものかと云わんばかりで。
「にぃ?」
「イギリス……?」
「勝手にどっか行くなよ、ばかぁ」
お決まりの科白にもどこか覇気がない。ぺろりと舐めた頬はびっくりするほど冷たかった。
こんなに体が冷えきるまで外にいたのだろうか。家にいない自分を探して?
ああ、と。
自分の短絡さには嫌気がさすけれど。
ああ、うれしいな、と。
彼の中に自分の明確な重さを見出して、心が躍った。
たとえ猫の姿でも。
今の自分には、彼の心をここまで乱す程度の価値はあるらしい。
そのことがただ嬉しくて、
「にゃぁ」
「どこにも行かないよ」
君が俺を必要とする限り、何処にも、
君が望むなら、そのそばを絶対に離れたりはしないから。
それでも淋しがり屋なその人は、俺を抱きしめる力を強めただけだった。
7日目前編。
「雨の日特有のあの憂鬱な感じ+激しい雨が呼び起こす独立戦争のトラウマ」
で少しぼろっちぃ米&英
二人にとって 大雨 → 独立戦争 → お互いに大切なものを失った日 だと思うのです。
独立戦争はイギリスが傷心で100年立ち直れなくなるような戦争ですから、米の方にもいろいろ思うところがあればいいのになって妄想。(07/17)
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