汝、それを悪と見ゆるか <中>

「君は神が平等であることから生まれる定理を知っているかい?」

それは、返答を期待していない問いかけだった。
アーサーに問いかける体を装いながらも、絶対に答えが返ってこないことを前提とした声だった。 ちらりとアルフレッドがアーサーを見る。
絶対に分からないだろう? とその青色が言っていた。



かつかつと固い足音が遠ざかっていくのを、アーサーは床に伏したまま聞いていた。
身体が重い。言うことを聞かない体は、手足を動かすだけでも相当な体力を要した。水の中にいるような負荷がかかっているのを感じる。
なんとか半身を起こすことに成功したアーサーはそのまま壁にもたれて先ほどのやりとりを回想した。

アーサーが回収するはずだった魂に纏わりついていた青年が実は悪魔だった。そいつが邪魔をするなと言ってきた。つまりはアーサーの行為が、魂を回収することが、あいつの目論見の妨げになるのだろう。だから先手を打ってアーサーの動きを封じにかかった、と。

確かにこの状態では魂を回収するどころか、もとの姿に戻ることすら難しい。人の姿のまま、体力が回復するのを待つしかないようだ。だがその間に重大な問題が起こるのは明白で、あの悪魔を止める術はないだろうかと考えを巡らせた。

そもそも、あいつの目的はなんだ。わざわざ人の姿をとってまで対象と接触するのはなぜだ。しかも、一カ月余りもの長い期間。その間にしたことといえばジョージから体験談を聞いた程度。そんなことが目的だとは思えないから、真の目的はもっとほかにあるはずだ。

いくら頭をひねっても、アーサーが悪魔の考えを解することは、できなかった。

それから、去り際に落とした言葉。
神が平等であることから生まれる定理。
こちらも意味がわからない。神は平等。幼子だって理解しているだろう。平等に人を愛するからこそ、神なのだ。

疑問だらけで飽和した頭をゆるく振って、アーサーは壁を支えに立ちあがった。そのまま壁づいたいに歩き出す。幸い、人と出会うことはなく、その状態から急患として運び込まれることだけは免れた。



とにかく、もとの姿に戻れないことが分かった以上、病院に長くとどまることはできない。重い体を引きずりながら、けれどそれを他者に悟られぬように気遣いながら、アーサーは病院を出た。

「ああ、やっと来た」

病院玄関を出たと思ったら、すぐ隣から声を掛けられてギョッとした。声と共に腕を取られる。そちらに目をやれば、好青年の皮をかぶった悪魔が笑っていた。

「遅いから心配したんだぞ。君のことだから、またどっかで迷ってそうだったからね」

そう慣れ慣れしく話しかけられて、アーサーは戸惑う様に周囲を見回した。傍から見れば、一緒に見舞いに来た友人二人が合流したようにしか見えないだろう。
アルフレッドの浮かべる笑みは、正体を現す前のあの人懐っこいものであったし、その口調も旧知の友人へ向けられるであろう親愛に満ちていた。

「ほら、帰るよ」

ぐいと少々乱暴に腕を引かれたが、それさえもきっと人の目には友達同士のじゃれあいに映っただろう。その仕草はアルフレッドの正体を知っているはずのアーサーでさえも一瞬戸惑うほどに完璧なもので。

「おい、ちょっと待てって」

思わず腕を引かれるままに付いていきそうになったアーサーは慌てて足を止めた。どんなに闊達で陽気そうに見える青年でも中身は悪魔だ。

「もー、早くしないと日が暮れちゃうんだぞ」

わざとらしく作られた困った表情のまま、アルフレッドがアーサーに顔を近づけた。その耳元に、アーサーにしか届かない小さな声を落とす。

「いいから、大人しくついておいで」

あの、底冷えするような昏い声を。

逆らっても無駄だと氷のような瞳が告げている。現に今のアーサーには、抵抗する余力などほとんど残っていなかった。今はまだ、従っていた方がいい。

僅かながらではあったが、この短い間にも体が回復しつつあるのをアーサーは感じていた。他の天使に比べて地上にいることが多く、その分常に微量の瘴気にさらされているせいだろうか。 この調子で回復していけば、丸一日もあれば元の姿に戻れるようになる。そうすれば、上に報告をするなり何なり対応がとれるだろう。今回瘴気を吸ってしまったのはあくまで油断していたからだ。もう、同じ罠には掛からない。

アルフレッドが再度腕を引く。それに逆らうことなく、アーサーはその背についていった。



「やっぱりいくら動けないからって天敵をそのままにしておくのは危険かなと思ってさ」

聞いてもいないのに、アルフレッドは勝手に口を開いてそう切り出した。

「とりあえず、俺の邪魔をしないよう見張っておくのが一番だと思ったから、それまでは俺の監視下にいてもらうよ」

決定事項とばかりに淡々と告げられる言葉に、アーサーはどのタイミングなら抜け出せるだろうかと思案していた。食事中、睡眠時、人が隙を作るのはそんな時だが、そもそも悪魔の生態が分からない。
そんなことをつらつらと考えていると、

「あっ、バーガーショップだ。晩御飯を調達していくんだぞ!」

ぐん、と腕を引かれて肩が抜けるかと思った。この馬鹿力め。
とりあえず、これで食事はとることが分かった。……ハンバーガーが好きな悪魔というのも初耳だが。
ちらりと盗み見た横顔はやたらと輝いていて、気を抜くと己の手を引くのが悪魔だということを忘れそうになる。冷たく嗤う悪魔と、明るく笑う青年と、まるで二重人格のようだ。

いつの間にやら店内に連れ込まれ、カウンターの前にいる。

「えっと、じゃあ……バーガー5つとチーズ5つ、ジュースはコークで。あ、XLね。あとは、ポテト3つと、それから……照り焼きもおいしそうだからそれも。ナゲット? じゃあ、それも3つ」
「多い! どんだけ食う気だ、ばかっ」
「えー、これくらい普通じゃないか。で、君は何がいい?」
「え、あ、じゃあ、チーズバーガーで……」
「よぅし、以上なんだぞ」

空気に呑まれてつい口を挟んでしまったが、アルフレッドもそれを気にすることなく会話を続けていく。こうしていると本当に友人か何かのようだ。
うっかり零れていた笑みをアーサーは慌てて取り繕った。

買ったバーガーのほとんどをアルフレッドが食べるとはいえ、道中荷物をすべて持たせておくのは忍びなくて、袋を一つ奪い取ると、アーサーはそれを抱えてアルフレッドの横に並んだ。何処に連れて行かれるとも知れないというのに呑気なものだと自分でも思ったが、焦っても仕方なのだからと言い訳をする。

とりあえず、この悪魔の横にいると調子が狂うということだけは分かった。



連れて行かれたのは学生向けのマンションで、一応この近くの学校に通っているという設定であることを知った。
その後は、夕食の際にまだ名前を聞いてなかったと言いだすアルフレッドに吹き出したり、アルフレッドのプレイするゲーム画面が物珍しくつい眺めたりと、おおよそ天敵だとか、監視だとか、そんな言葉とは無縁と思える時間を過ごした。
おかしいと分かっていても、ただ楽しくて。声をあげて笑うのは何年振りだろうと頭の片隅で思った。

そんな普通ならばあり得ない空間に思考を持っていかれがちで、逃げよう逃げようと思っていたことすら薄れかけていくから、これが故意に作りだされた空間だというのならこれほど恐ろしい策略はないだろう。
画面を見つめる真剣な横顔に、こいつに限ってまさかと考えてしまうあたり、もう駄目かもしれない。

そんな風に夜は更けて。
流石に、逃げられたと困るからと同じベッドに引きずり込まれた時は辟易した。
相手が悪魔云々というより、もともと人との過度の接触が苦手なのだ。だというのに、アルフレッドは狼狽するアーサーを無視して、その体を羽交い絞めしたまま眠ってしまった。
仕方なく、アーサーも諦めて目を閉じた。人との接触による緊張はあったが、背後にある熱が存外心地よくて、意識はあっという間に眠りに引き込まれていった。



あれだけ奇妙な時間を過ごした後でもアルフレッドは監視の名目を忘れていなかったらしく、朝一番にキスをされた。寝ぼけていたせいで完全に油断していた。くそっ。
しかも昨日のがあまり効果がなかったのにも勘付かれていたらしく、今回はしっかりと唇を合わせた、というか相当濃厚なのを朝っぱなから食らうはめになった。おかげで午前中は動くことさえできず、その間にアルフレッドはどこかに出かけていたようだった。

なんとか体が動かせるようになってからも、何となく動く気になれず、アーサーはぼんやりとベッドの上で横になっていた。まだもとの姿には戻れない。この姿のまま逃げたところで移動範囲は限られるし、きっとすぐに見つかってしまう。

そんな風に過ごすうちに、部屋のかぎが開く音がした。

「ただいまー。あ、ちゃんといた」
「どうせすぐ見つかるだろうからな」
「君にしては賢明な判断じゃないか。でもそろそろ起きてもらわないと困るんだぞ。アダムスさんのお見舞いに行くからね!」
「……目的はなんだ」
「神様は平等だからね!」
「意味わかんねぇし」

バタバタと見舞いに行く準備をしながらアーサーと会話をしていたアルフレッドは、ふいに動きを止めてアーサーを見た。青い瞳の悪魔が顔を出す。

「全部終わったら、教えてあげてもいいよ。それまで俺の邪魔をしないならね」


そう言って、結局悪魔は何も告げぬまま笑うのだ。










アレ、こんな話になる予定じゃなかったぞ。
前中後となりました。長々とさーせん。でも文量的には幽霊のと同じくらいになるかな?もうちょっと長い?
しかし冒頭の問いの答えを知っている人には大変面白みのない小説である(10/27)