トランクィッロ <3>

皮肉や嫌味をものともしないスルースキル。
荷物を取り上げる滑らかな仕草。
奏者の最良を保つための管理能力。

そんなものが、一昼夜で身につくわけがない。




ベッドに潜り込みじっと耳を澄ましていれば、洗い物を終えたアルフレッドがアーサーの部屋から出て行ったのを知ることができた。玄関のドアが閉まった後に小さくがちゃんと音がしたから、合鍵を持っているというのは本当らしい。渡した記憶は、すっぽりと抜け落ちていた。

このうそつきが。

頭の中で小さくアルフレッドをなじる。アーサーがアルフレッドにヴァイオリンの話を振ると、決まって同じような反応が返ってくる。
何年も触っていないから、もう弾けない。
そんな嘘を、アーサーが本当に鵜呑みにすると思っているのだろうか。
アルフレッドの部屋のベッド下に乱雑に突き込まれたヴァイオリンケースの存在を、アーサーが本当に知らないとでも?
季節外れの衣服たちが入った衣装ケースはうっすらと埃を被っているのに、その隙間に入れられたヴァイオリンケースだけは、いつ見ても綺麗なのに。

それに。

アーサーはじっとベッドの中で耳を澄ました。
自分の吐息さえも五月蝿く聞こえるような沈黙の中で、幽かに聞こえてくるヴァイオリンの音色。
いくら防音設備の整った部屋とはいえ、こんな音のない深夜に演奏すれば音は漏れる。小さな小さなその音に耳を傾けて、そっと目を閉じた。

アルフレッドも自覚している通り、その音色には癖がある。
幼い時から通常の大きさであるフルサイズのヴァイオリンを使っていたために弾き方が少し特殊なのだ。祖父から譲り受けたというそれが、やや重い作りだったことも原因の一つかもしれない。
その癖さえも技巧の一つに組み込んだアルフレッドの演奏は、決して下手ではない。ちゃんとした教育さえ受ければ一角のヴァイオリニストになれた男だと思う。
その才能の芽を摘み取ってしまったのは他の誰でもないアーサー自身で、幼い我儘を通したあの頃の己をただただ呪った。



アーサーの家のように家族全員が各方面で活躍する音楽家というわけではなかったが、アルフレッドの育った家庭もまた、音楽に囲まれたものだった。
母の弾くピアノ、父のチェロ、中でも特に幼いアルフレッドが興味を示したのが、祖父の奏でるヴァイオリンだった。溺愛する孫が数ある楽器の中から自分の弾くヴァイオリンを選んだことが余程嬉しかったのだろう、アルフレッドの祖父は積極的に彼にヴァイオリンを教えた。

アーサーが初めてアルフレッドに会ったのがいつ頃だったのかはあまり記憶がない。ただ、その邂逅の瞬間だけは、今でも鮮明だ。
母に連れられて訪れた、母の友人の家。
女性同士の雑談に花を咲かせる母たちに暇を持て余したアーサーの耳に、ヴァイオリンの音色が届いた。「あの子ったらまた弾いてるのねぇ」と、母の友人が言う。興味を持った。こんな演奏をする奏者に。
了承を得て音をたどれば、自分と同じくらいの年端もいかぬ少年が幼い手でヴァイオリンを操っていた。

それが、すべての始まり。

幼いころから人嫌いの気があったアーサーがアルフレッドを気に入ったのは、アルフレッドの弾くヴァイオリンがアーサーの心を掴んだからかもしれないし、アルフレッドの生来持ち合わせた人懐こさのためかもしれない。何をするにもアルフレッドを巻き込んでいたし、巻き込まれていた記憶がある。
だから、コンクールの際の付き人も彼がいいとだだを捏ねた。

ピアニストにとって一番大切なのは、鍵盤を叩くその指だ。特に子供のうちは、幼い指の骨が些細な負荷にも歪んでしまうため、重いものをもつことは御法度である。荷物はすべて背負えるものにまとめ、その上げ下ろしにも人の手を借りる。
その手助けを、アーサーはアルフレッドに頼んだ。
アルフレッドはそれを快く引き受けてくれていたけれど、よく考えれば、いや、よく考えずとも、ヴァイオリンもまた指先の細やかな技術を必要とする楽器であり、アルフレッドがアーサーに付き合えばその分だけヴァイオリンに触れる時間が減ることなど、分かり切っていたはずだった。
そんな事実にさえ気づかないままに、アルフレッドを連れまわし続けた。重たいアーサーの荷物を見かねたアルフレッドがそれを持つようになっても、何も言わなかった。ヴァイオリンによりも自分に多く時間を割いてくれるアルフレッドが嬉しかった。
そんな幼い独占欲のためだけに、芽吹いた才能は花開く前に摘み取られた。

ごめん、ごめんなさいと心の中で幾度となく繰り返した。繰り返している。
もともと違う学校に通っていたし、アーサーの留学もあって交流は途絶えてしまって、今アルフレッドがアーサーの付き人として働いているのは奇跡のような偶然だった。いや、奇跡は半分だけか。アーサーの所属する事務所にアルフレッドが入社したのは偶然、そのアルフレッドがアーサーの付き人になったのはアルフレッドの意思だ。
驚くアーサーに対して、

「同姓同名の別人かとも思ったんだけど、すごく偏屈な性格だから、って言われた時絶対君な気がしたんだよね」

だから、頼みこんで担当にしてもらったんだ。そう、アルフレッドは笑って見せた。
どちらかと言えば新人への嫌がらせの意が強かった配属は、事務所にとっての僥倖となっている。

そんな経緯もあって再びアーサーの付き人をしているアルフレッドだが、あの頃のように2人で演奏することはなくなった。いくら頼み込んでもアルフレッドはアーサーの前でヴァイオリンを弾かない。
何年も触っていないから、もう弾けない。
そう繰り返して。


だから、こうやって分厚い壁を隔てて響く音色に耳をそばだてることしか、アーサーにはできない。










台詞少なっ。読みずらい文章ですみません……。アーサー独白のターン。
子供のうちは指の骨が〜ってのは知り合いから聞いた話。これに萌えたことがきっかけで始まったピアニストパロディ。事実かどうかは知りません。
荷物抱えて子英の後くっついてく子米に、すごく、萌えたんだ……(12/23)