例のクリスマスキャロルの音源は次の日には用意ができて、アルフレッドは早速それをアーサーに届けた。けれど、自宅でその音源を利用して練習をするアーサーを、アルフレッドは一度も見ることがなかった。
音源を数度聴き流して、楽譜に目を通して運指を確認しただけ。
あとは、自分の演目の練習に没頭していた。
寝食を忘れて音楽にのめり込めるのも才能の一つ。けれど、本当に忘れてぶっ倒れるのだけはやめてほしい。
自分の部屋でアーサー用の食事を作りながら、そんなことを思う。
「練習してなくってこれだもんなぁ」
ヴァイオリンとの練習初日。練習室を借りてのそれを、アルフレッドは何をするでもなく聞いていた。事務所が、お前はアーサーの面倒をみることに専念しろと言わんばかりに仕事をよこさないために、やることがないのだ。天才と天才の演奏をただで聞けるのはありがたいことだけれど。
瞼を下ろせば、研ぎ澄まされた耳に音楽がより深く響いた。
初めて合わせた演奏とは思えない、完成度の高い音楽だ。
「でもやっぱりピアノが強いかなぁ」
アーサーより一つ年下のヴァイオリニスト。向こうだって才能も技術もあるはずなのに、それをアーサーのピアノは圧倒していく。楽譜にどこまでも忠実で、でも、忠実だからこそ生まれる心を震わせるような表現力を兼ね備えて。
「伴奏に負けちゃってるようじゃ、まだまだ」
決して彼が下手なわけじゃない。アーサーとは住む次元が違うだけで、アルフレッドと比べればそれこそ天と地のような差がある。
でも、レベルが違いすぎるからこそ、達観して聞けるというもので。評論家ぶって呟く。
天才の演奏を一番近くで聞いてきたからね。俺、耳だけはいいんだ。
そして、クリスマスコンサート当日。
「アーサー、もうすぐホールにつくから寝ないでね?」
愛車を走らせながらアルフレッドは助手席でぼんやりと窓の外を眺めるアーサーに声をかけた。その瞼が今にも落ちそうなのは、昨日も夜遅くまでピアノを弾いていたから。おかげでアルフレッドも少々寝不足だ。
大きく欠伸をしたアーサーが投げやりに言う。
「あー、もう俺の演目まで控えで寝ててもいいか?」
「いいわけないだろ! 他の人の演奏も聞きなよ。室内楽好きなくせに」
「それよりも今は睡魔が……」
「だから寝ないでって!」
アーサーに気を取られ過ぎてハンドル捌きがあやしくなる。ホール目前で事故とかシャレにならないんだぞ……。
眠い目をこすって、アルフレッドは信号を睨んだ。
「それだけ寝不足なんだから、今日の演目は完璧なんだろうね?」
「はっ、誰に物を言ってんだよ。俺はアーサー・カークランドだぞ?」
「うわー、すごい自信」
ま、ピアノに関してはそういう人だって知ってるけどね。
口には出さずに続けて、アルフレッドはハンドルを切った。
「じゃあキャロルのほうは? 結局合わせの練習以外何もしてないじゃないか」
「あー、あれは……何とかなんだろ」
「珍し。そんな投げやりでいいんだ」
「投げやりっつーか、……いや、なんでもねぇ」
言葉を濁して遠くを見るのは、滑りかけた口を戒めるためにアーサーがよくとる所為だ。それは、どちらかと言えば照れ隠しに近い動作で、飲み込まれた言葉はアーサーには都合が悪く、アルフレッドにとっては好ましい場合が多い。友人に言わせると「アーサーさんはツンデレですからねぇ」だそうだ。
「ツンデレってこう……もっと可愛いオンナノコがやるからいいんじゃないのかい、菊……」
「ん? 何の話だ?」
「いや、異文化の感受性の違いを実感してるところというか、なんというか……まあいいや。着いたよ」
「やっぱり控室で寝……」
「だから駄目だって!」
何気なく眺めた窓の外では、白い雪が舞っていた。
「ホワイトクリスマスか」
誰にともなく呟いて、アルフレッドは紙コップのコーヒーを啜った。
白雪の舞う夜。バックにはホールで行われているコンサートの音楽が流れている。理想のクリスマスと呼べるだけの条件はそろっていたが、外の景色を見つめるアルフレッドの横顔に喜ぶような色は全く見受けられなかった。
「車、スタッドレスに代えてないけど……無事に帰れるかな……」
今夜は冷え込むらしいから、路面の凍結も気がかりだ。帰宅するころにはやんでるといいなぁ、とすっかり宵闇色に染まった空を見上げながら思うが、天気予報を見た限りではそれも難しいだろう。
「次、アーサーが出るんだっけ」
腕時計を確認すれば、アーサーの演奏の時間が迫っていた。ソロではなく、伴奏のほうの。
半分ほど残っていたコーヒーを呷って、アルフレッドはホールへ戻るために窓に背を向けた。一週間のうちに耳に残ってしまったクリスマスキャロルを口ずさむ。
繊細なヴァイオリンの音に合わせるためか、アーサーのピアノはその圧倒的で有無を言わせぬ音色を少しだけ損なっていたけれど、あの二人で演奏するならばそれがベストだ。誰かの伴奏をさせるにはアーサーの音は少々自己主張が強すぎる。今回の演奏で事務所もそれを思い知ることになるだろう。
「あんまり、聴きたくないんだけど……」
周囲に誰もいないのをいいことに漏らす本音。
一番近い感情は、羨望だろうか。
舞台に立つ二人を見てしまえば、彼らとアルフレッドの間に横たわる深い海溝を目の当たりにしてしまうような気がして。天才だとか、天賦の才だとか、そんな言葉だけで片づけられない努力が彼らにあることも分かっているけれど、どうしたって羨ましいと思わずにはいられない。
違うな。
自分の思考に、否定の言葉を投げかける。
アーサーと同じ舞台に立てる彼が羨ましい。
才能云々というよりも、そんな短絡的な理由のほうが強いような気がした。
一人のヴァイオリン奏者として舞台に立つことを憧れなかったわけじゃない。
けれど、
「いつか二人でリサイタルをしよう。俺のピアノと、お前のヴァイオリンで」
そんな、幼い約束を、今でも夢見ている。
俺も、叶うなら貴方と同じ舞台に立ちたかったよ。
短いですが、クリスマス話なのにクリスマス中に一本もUPしないのは問題だと思った(12/25)