「恋人でもできた?」
唐突に落とされた言葉に、アーサーは思わず持っていたフォークを取り落とした。
華奢な作りのそれが宝石のようなフルーツたちを掲げたタルトに刺さる。ちょうど大粒の苺に突き刺さったそれは自らの重さでゆっくりと傾いでいき、均整の取れたタルトの美しさを崩しながら皿に倒れた。
かちゃんっ、と微細な音が響く。
「……は?」
口の端から飛び出した言葉は自分でも分かるくらいに間抜けていた。
一から状況を整理するなら。
今日は燃えるごみの回収日で。いつものようにゴミ出しを理由にアルフレッドに会ったアーサーだったが、眠りについたのが空が白み始めてからということもあり、睡魔に負けて二度寝を決め込んだのが8時頃。
今日は丸々一日寝て過ごすつもりだったのだが、それは突然の来客によって妨げられた。
腐れ縁のフランシスである。
勝手に部屋に入って来て人が覚醒していないのをいいことにあれやこれやとちょっかいをかけてきたので、寝起きの軽い運動も兼ねて少し伸した。いつもならそのまま意識が飛ぶ程度に殴るのだが、今回は手製のタルトを持ってきていたこともあり、4分の3殺し程度に留めておいた。
ある種の恒例と化したやり取りをしたのちに、今はフランシスが持ってきたタルトを食べていたはずなのだ。
なのになぜいきなり恋人の話になるのだ。
相変わらず少々残念な発想を持った腐れ縁に呆れつつも。
「こいびと」の単語で思い浮かんだのはもちろん“彼”の顔で。
そりゃぁ、なれたらいい、かなぁ、なんて、想っては、いる、けれど、、
簡単に火照りそうになる頬をごまかすように、アーサーはフォークに刺さったままだった苺を口に押し込んだ。今が旬の苺の甘酸っぱさと、カスタードの甘い舌触りが絶妙にマッチしている。
料理の腕だけは確かなんだがなぁ。
頭が、ちょっと………と、アーサーは残念なものを見る目で腐れ縁を見た。
その視線を知ってか知らずしてか、フランシスが再び口を開いた。
「だってさぁ、1,2ヶ月来なかっただけなのにこの部屋の変わり様は何よ」
「なんか変わったところあるか?」
「変ったところあるか?じゃないでしょ。なんでこんなに部屋きれいなんだよ。お兄さん部屋間違えちゃったかと思ったでしょ! 少し前までの独身貴族の典型みたいな部屋はどこ行ったの」
フランシスが指の間に挟んだフォークを振りながら部屋を指し示す。それやめろ行儀悪い。
「そんなに変わったかあ?」
フランシスにつられるようにして、アーサーも部屋を見回した。
確かに数か月前までは足の踏み場もない位、物が散乱している部屋ではあったけれど。
今だっていたるところに雑誌や本の山ができているし、とてもきれいとは言い難いはずなのだが。
「歩けるスペースがあって、座ってテーブルで物食えるスペースがあって、まともに寝れるスペースがあること自体、お前にしたら奇跡だって言ってんの!」
「お前なぁ……」
あまりのフランシスの言い草に、アーサーが眉をひそめる。
2メートル間隔の飛び地を経由しないと移動できなくて、ベットボードとソファの背もたれくらいしか座る場所がなくて、本に埋もれたベッドの代わりに安楽椅子に丸くなって眠る生活の何が悪い。
人間、割とどんな環境でも生きていけるものだ。
「だいたい、なんでそれが恋人なんて発想になるんだよ」
「や、可愛い彼女が甲斐甲斐しく片付けしてくれたのかなぁって。もう、あんな魔境を人の住める場所にするとか、どんだけ有能な彼女なの。てか、なんでそんないい子俺に紹介してくれないの」
「魔境で悪かったな……」
「で、どんな子? やっぱり姐さんタイプな訳? あー、でも年下尽くし系の子も捨てがたいな〜。あと世話好き幼馴染タイプとかも萌えるよねー」
いや、幼馴染だったらお前も知ってるだろ、なんて突っ込みは飲み込んで。
なんか……お前も変わったよな……、昔は「萌え」とか言い出す奴じゃなかったのに……。職場に新しい奴が来たって言ってたけど、その影響か、おい。
「だから、恋人なんていないって言ってんだろ」
「いや、初めて聞いたよ」
「とにかく、恋人なんていねぇよ。大体、滅多に部屋も出ねぇのに出会いなんてあるわけねぇだろ」
タルトに合わせて淹れた甘めの紅茶を口に運びながら、アーサーはそう返した。
そんな“滅多”が、あったりするのだが。
とても些細な、朝のゴミ出しで。
それがうっかり目の前の髭に露見しようものなら、によによとしたムカつく表情でさんざんいじられることなど目に見えているので、あくまでしらを切り通す。
「えっ、いないの?じゃあこの部屋誰が片付けたわけ?!」
「俺に決まってるだろ、ばかぁ!」
「うそだっ、絶っ対うそだ!」
「失礼だなあ、おい!」
本当に驚いたような表情を浮かべるフランシスに、このまま殴りかかろうかなんて物騒なことを考えつつ、アーサーはローテーブルを両手で叩いた。
「じゃあ何? 好きな奴でもできたわけ?」
「っ!」
核心を突く問いに、アーサーが吐息を詰めた。
「物臭なお前が部屋を片付けるとか、部屋に呼びたい女の子がいることくらいしか理由が思いつかないね!」
それに気付かずに、フランシスは言葉を続ける。妙なところで鋭くて鈍い腐れ縁を、今日ばかりは感謝した。
フランシスが言っていることは、当たっているようで外れている。
部屋に呼びたいなんて考えてない。ただ、見られた時に恥ずかしくない程度には、なんて思って。そんな機会、あるわけないのに。
それに、部屋が片付いた第一の理由としては、ゴミ出しに行くためにゴミを作らなくてはと、そこらじゅうに散乱していたものを片ぱっしから捨てていっただけ。部屋を片付けるなんて、意識してやっていたわけじゃない。
それを改めて実感して。
アーサーは感慨深くため息をついた。
「恋ってすごいな……」
幼いころからの腐れ縁さえも驚くくらいに、人を変えていく。
「おお、やっぱり好きな奴いるの? ほら、お兄さんに言ってみなさい。どんな奴? 可愛い系? 美人系? 萌え系?」
だからなんでそこにその選択肢が入る。
この髭、もう駄目かもしれない。
ああ、でも、どんな奴、ね。
「目が、綺麗な奴、かな?」
いっそ、このみすぼらしい姿を写すことを躊躇うほどに。
けれど、同時にその瞳に映ることを心の底から願っているのだから、救えない。
晴天の空を思わせる瞳を描くように、アーサーは瞼を閉じた。
この後、うっかり口を滑らせたために髭に根掘り葉掘り聞かれることになるのだが、それに未だ気付かずに、アーサーはフランシスが作ってきたタルトの数倍は甘い吐息を漏らした。
米英に仏を足すと米英が語りやすくって好きです。
でも兄さんが出張りすぎて収集つかなくなることも……
あと兄さんがボッコされすぎて収集つかなくなることも……(09/21)