恋<3>

それを、きっかけ、なんて大それた呼び方で呼べるかは、わからないけれど。

アーサーがアルフレッドに初めて会ったのは、アルフレッドが隣室に越してきた日、わざわざ挨拶にとアルフレッドがアーサーの部屋を訪れたときだ。
その日はアーサーが珍しく昼過ぎから起きていた日で初対面が寝癖だらけの頭と眠気眼で、ということだけは回避することができていた日で、久々に聞いたチャイム音の数秒後に、アーサーはその事実を心から感謝することとなった。

「はじめまして。俺はアルフレッド・F・ジョーンズって言うんだぞ。これからよろしく、お隣さん」

その時見せられた笑顔に、すべてを浚われたような気がして、その後どうやって応対したのか、実はよく覚えていない。ただただ頭が真っ白になって。

つまりは、一目惚れだった。

その日一日は彼の顔が頭から離れなくて、初めて感じる胸の高鳴りにこれが恋かと実感して、もっと話がしたいと思って、何かつながりが欲しくて、

何で俺は男なんだろうと、少しだけ、泣いた。



なんだか、すごく幸せな夢を見た気がする。
とにかく、あまくて、あまくて、しあわせな夢。
内容は思い出せないけれど、ふわふわとした幸福感に酔いしれた。
しあわせで満たされた海からゆったりと意識が浮上して、

アーサーは突如ひどい頭痛に襲われた。

ゆったりと浮上していた意識は、無理矢理引き上げられたように水面に顔を出して、痛みという名の酸素が肺いっぱいに入り込む。
頭痛、嘔吐感、悪心、眩暈、etc……
この症状からくる結論は一つ。完全な二日酔いだ。

ガンガンと揺れる思考を何とか働かせて、アーサーは昨夜のことを回想した。

恋人がいるいないから、好きな奴がいるいないの話へ。この時にアーサーがうっかり口を滑らせたために俄然やる気になった髭が、情報を最大限引き出すためにと酒を持ち出したのだ。ただ、アーサーの部屋には酒の買い置きがあまりなかったため、いっそ外で飲もうという話になり……
そうだ、昨日はフランシスと飲みに行ったんだ。行きつけの店に入って、うん、そこまでは覚えている。だが、その後のことがどうしても思い出せなかった。フランシスがしつこく聞いてくるのをあしらった記憶はうすぼんやりとあるのだが、店を出た記憶もなければ、自宅までの道のりを歩いた記憶もない。昨日は相当飲んでしまったらしい。

むしろ良く帰ってこれたよなぁ……

自分の酒癖の悪さは知っているし、その辺の裏路地で目覚めた経験も一度や二度ではないので、きちんと自分の部屋まで辿り着いて、タオルケットに包まってベッドで寝ているなど、ほとんど奇跡に近い。

ん?

つらつらと記憶を追っていく中で妙な引っ掛かりを覚えて、アーサーはもう一度状況を確認した。

自分の酒癖の悪さは知っているし、その辺の裏路地で目覚めた経験も一度や二度ではないので、きちんと自分の部屋まで辿り着いて、タオルケットに包まって、

タオルケット?

そんなもんウチにあったか? 毛布じゃなくて?
いや、でもこのパイル地の肌触りはタオルケットのものだし……
だいたい、こんな香りの柔軟剤を使った記憶は……

「!!」

思わず跳ね起きた。
いきなり起きたせいでぐわんぐわんと頭が揺れる。
倍増した頭痛と嘔吐感にひとしきり悶えたアーサーは涙目のまま自分の置かれている状況を見回した。

見慣れた部屋。でも見慣れていない部屋。
見慣れているのは、そこが間取りがアーサーの部屋と全く同じだから。
見慣れていないのは、そこに置かれている家具も、配置も、全く違うから。


ここ、何処だ……


もしかしなくても、部屋、間違った……?
不法侵入で訴えられるよな、これ。酔って部屋を間違えた挙句、他人のベッドで寝ちまうとか、どんな神経してるんだ、俺……

最悪の場合を想定して悶々とアーサーが考え込んでいると、ガチャリと部屋のドアが開いた。アーサーの肩が過剰に跳ねる。ぎぎぎ、と軋むような音がしそうなほど鈍い動作でアーサーはドアの方に顔を向けた。

そして、今までとは全く別の意味での思考停止。

だって、だって、

「あ、やっと起きたのかい?もうすぐ昼なんだぞ」

3秒後を追いかけるのがやっと、の、大好きな、人が、すぐそこにいるんだ。

「待ってて、今コーヒー入れたとこだから。持ってくるよ」

パタパタと駆け足で戻っていくアルフレッドの背をアーサーは呆然と見送った。
今ので寿命が数年分縮んだ自信がある。
よりにもよって、アルフレッドの部屋に間違って入るなんて。

考えてみれば、2階の階段を上がってすぐにアルフレッドの部屋があり、その隣がアーサーの部屋、その奥は空き家になっているのだから、一番間違える確率が高いのはアルフレッドの部屋なのだ。
でも、だからって、

意識がはっきりした今でも、部屋に帰って来てからの記憶が全くない。
そこからしても泥酔していたことは確かで、それをアルフレッドに見られたかと思うと羞恥で死ねそうだった。何か変なことしてないよなっ? と確認したいところだが、やはり記憶は綺麗さっぱり抜け落ちてしまっている。今までの経験からすると、アレやソレの可能性が高いのだが、もしかするとアレかもしれないし、最悪アレが……
起こりうることを羅列していくだけでもひどく憂鬱になる。

もう駄目だ、終わった。もとより始まってなどいなかったけれど。
アーサーはイジけるようにタオルケットを頭から被った。ふわりとアルフレッドの匂いがして、思わず涙が出た。

死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい…………………………………………

アーサーがそんな事をエンドレスでブツブツと呟いているうちに、再び部屋に人が入ってくる気配がした。もしかしなくてもアルフレッドが帰ってきたのだろう。むしろこんな場面で他の人間が、特に女なんかが入ってきた日には、このまま自分の心臓を止めてしまえそうだった。

「そんなにひどいの?二日酔い」

アーサーの状態を二日酔いによるものだと勘違いしたアルフレッドが声をかけた。気配が近づいてくる。早鐘を打つ心臓を悟られぬようにと、アーサーはぎゅ、とタオルケットを握りしめて外界と自分自身を遮断した。

「コーヒー、飲めそうにないかい?」

少しだけ、申し訳なさそうなアルフレッドの声。
折角用意してもらったのに、飲まないってのも失礼だよな……
ぐしっ、とタオルケットで涙を拭って、アーサーは外界と己を隔てる膜からひょっこり顔を出した。
予想以上の近さにアルフレッドの顔があって、また寿命が数年分減る。

一方、アルフレッドはやっと反応が返ってきたことに安心した様に笑うと、まだタオルケットを頭からかぶったままのアーサーにコーヒーカップを差し出した。
恐る恐るそれを受け取って、アーサーはゆっくりと口に運んだ。香ばしいコーヒーの香りはあまり馴染みのないものだったが、折角淹れてきてくれたのだから、と口をつける。

その様子を見て、アルフレッドも自分用のカップに口をつけた。
普段目にする格好よりも少しだけゆるいパーカーとジーンズ。
銀縁眼鏡の奥の、伏せ目がちな青い瞳。
カップを持つ大きな指。手首から肘へのライン。

その所為すべてに目を奪われて、アーサーはコーヒーを飲むことも忘れてアルフレッドを眺め続けた。
そんな状態でアルフレッドがふいに目を上げるものだから、がっちり目が合ってしまい、身動きが取れなくなる。

何か言わなくては。
昨日自分が何をしでかしたかも聞かなくてはならない。

「え、っと、俺、なんでここに……」

何か言わなくてはという思いばかりが先行して、“何か”の具体案が全く思い浮かばない。 未だ混乱状態の頭が吐き出した質問には、もしかしたら自分が部屋を間違えたのではなく、どこかで行き倒れている自分をアルフレッドが保護してくれたのでは、という期待が込められている。
どっちもどっちかもしれないが、不法侵入という立派な犯罪よりは後者の方がましな気がした。

「ああ、酔って間違って俺の部屋に入って来ちゃったみたいだね。びっくりしたけど、君、突然寝ちゃうし、一晩泊めることにしたんだけど」


ああ、死にたい。










やっと米英になりました。ええ、誰が何と言おうと米英です。
乙女英を書くのが楽しくってしゃあないです。
乙女でも酒乱だよ!(09/23)