コンビニで買ってきた粉っぽいパスタをだらだらと口に運ぶ。
先日アルフレッドが食べさせてくれたミートスパゲッティが恋しくなってしまい、買ってきた一品であったが、はっきり言ってまずい。だが、かといって捨てるわけにもいかず、何より現在アーサーの部屋にあるまともな食料はこれしかないため、アーサーはしぶしぶ口内に纏わりつくトマトの酸味を水で押し流しながらそれを咀嚼していた。
窓の外に見える空はトマトソースよりも鮮やかな紅色だ。
本来食事をとるには微妙な時間だが、今食べているパスタが、アーサーにとっての『朝食』だった。
昼下がりに目覚めて、少し間をおいてから夕暮れに朝食。基本的に一日二食の生活なので、ポテトチップスなどの間食はとりつつも、次にまともな食事をするのは日付変更線を越えたころ。
あんな時間に、人の手で造られた温かい料理を食べたのは久々だった。
舌が肥えると今までは普通に食べれていたものも食べられなくなる。
単一な調味料の味しかしないパスタを完食することを諦めて、アーサーはそのまま背後に倒れ込んだ。指摘するものが誰もいないことをいいことにベッドの上で食事をしていたため、勢いよく倒れたとしてもそこにあるのはスプリングの利いたベッドだ。
そのため、何のためらいもなく倒れ込んだのだが、ベッドの上には本も散乱していたことをアーサーは失念していた。
「痛゛」
鈍い痛みが後頭部を襲った。しかもハードカバー。ついてない。
けれどアーサーは頭の下にある本をどけるとこなく、天井を仰いだ。もう何年も暮らした部屋だが、その天井はほとんど見慣れていない。数か月前まで、このベットは横になれるスペースではなかったから。
少し視線を壁際に流すと、埃をかぶった壁掛け時計がある。
ああ、そろそろだな。
そう思って、アーサーは感覚を研ぎ澄ますように瞼を閉じた。
開け放たれた窓から風と共に外界の音が吹き込んでくる。
カンッ、カンッ、
ほら、帰ってきた。跳ねるように階段を上る音。よく響くのは一段飛ばしで階段を上がるから。
カンッ、カンッ、カンッ、カンッ、
ここの階段の段数は奇数だから、最後は2段飛ばしになる。
他の音のテンポと一瞬のずれを伴って、
カンッ!
最後の一歩が響く。
少しの間の後、ドアの開く音がして、閉まる音がした。そこからの音は流石に拾えない。
ゆくっりと瞳を開いたアーサーは見慣れない天井にぽつりと言葉を落とした。
「おかえり、」
その後に続くはずの彼の名は、声にならなかった。
ガチャリ、とドアの開く音を聞いた気がしてアーサーはゆるゆると目を空けた。
ぼやけた視界に時計をおさめると、昼前だった。一番眠りが深いはずの時間帯に起きたことに首をかしげたアーサーだったが、まあいいかと目を閉じようとして、
勢いよく飛び起きた。
今、視界の隅をとても不吉なものが横切った気がしたんだが!
咄嗟に勘のみで殴りかかると、その手をがっしりとつかまれてしまった。恐る恐るそちらに目をやる。
なぜか荒縄を持って大変に厭な笑みを浮かべるフランシスが、そこにいた。目が、マジだ。
閑静な住宅街に、アーサーの悲鳴がこだました。
数十分後。
ボロボロになりながらも、やたらとサッパリした顔をしたフランシスと。
荒縄でぐるぐる巻きにされた状態で袖を濡らすアーサーの姿が。
駅近くの年季の入ったビル、その屋外に取り付けられた階段を上った二階にあるテナントの応接室にあった。
「うぅ、もう婿にいけない……」
「お兄さんがいい嫁ぎ先探してあげるから安心しなさい」
そして、応接室には人影がもう一つ。
「あの、フランシスさん、こちらが例の……?」
できるだけ平静を装おうとしつつも漏れ出る不信感が痛い。あぁ、なんで初対面の奴にまでこんな醜態をさらさなくてはいけないんだろうと、アーサーは濡れそぼった袖を絞った。
「そ、絶賛ひきこもり中。ほら、アーサー、こっちが前言ってた新しく入った奴」
「あっ、本田菊と申します」
「ホンダ……?日本人か?」
聞き慣れない響きの名前にアーサーがゆるゆると顔を上げる。確かに艶のある黒髪と、その形式ばった英語は日本人特有のものだった。
日本人……確か、アルフレッドの先輩も日本人だと言ってはいなかっただろうか。まさか同一人物……ではないだろうから、この地域にも案外日本人は多いらしい。
日本人は仕事熱心なことで有名だし、いい人材なのだろう。
「で、俺がここまで拉致られた理由は何だ」
少々てこずったが、やっと縄抜けを果たしてアーサーは痛む手首を押さえながら口を開いた。
「やー、菊ちゃんが会ってみたいって言うからさ♪」
「すみません。こういったつもりで言ったわけではないんですが……」
眉尻を下げて申し訳なさそうな顔を作られると、なんだかこちらまで申し訳なくなってくる。
「や、あ、ホンダは気にしなくても……、諸悪の根源はお前だよなぁ、髭ぇ」
がっしと、フランシスの胸倉を掴んでギリギリと締め上げる。
「やだなあ坊ちゃん、人のせいにするのはよくなっ、って絞まる絞まる絞まる!」
軽い口調にいらっとしたので、ネクタイを思いっきり締め上げた。細いネクタイが派手な色のワイシャツを巻き込んでぐいぐいと首元に食い込んでいく。フランシスの顔色が赤から青に変わったころ合いを見計らって、アーサーはようやく手を離した。
「っ、あとちょっとでお花畑渡りそうだったんだけど!?」
「そのまま霊界探検ツアーでもして来い」
「帰ってこれなくなったらどうするの!!」
「じゃあ地獄の方まで足伸ばして来い」
「酷っ!」
フランシスとアーサーのやりとりを見ていた本田がくすりと笑みを漏らした。朗らかな表情のまま、二人を見比べる。
「仲、よろしいんですね」
「ばっ、誰がこんな奴と!」
「そーそー、お兄さんとコレはそれはそれは長ーい付き合いだから」
「……もっかい、逝くか?」
アーサーの冷めた声にフランシスがぶんぶんと首を横に振る。その様子に本田がまた笑った。
それからふと、笑みを形作っていた口を閉じて、眉根をゆるく寄せた。
その様子にアーサーが首をかしげる。
「ホンダ……?」
「あの、アーサーさんに折角お越しいただきましたのに申し訳ないのですが、私、この後、人との約束がありまして……」
「えっ、そうだったの?ごめん菊、タイミング間違ったわ」
「いえ、こちらこそ連絡が遅くなりまして……、そろそろ、来るころかと思うのですが……」
ちらりと時計を確認した本田の言葉が終わる前に、アーサーはカンッ、と階段を上る音を聞いた。
カンッ、カンッ、カンッ、
一段飛ばしで上がってくる、この足音は。
カンッ、カンッ、カンッ、
まさかとは思ったが、そのまさかだったらしい。
人違いという選択肢は、アーサーにはなかった。
だって、聞き間違えるはずが、ないんだ。
カンッ、カンッ、カンッ、
マンションのものよりも少しだけ長い階段。でもここに到着するのなんてあっという間だ。
とにかく、隠れないと。どうしてか、そんなことを思った。
カンッ、
他の音のテンポと一瞬のずれを伴って、最後の一歩が響く。
ガチャリと勢いよくドアが開いた。
「職場見学に来たんだぞ、菊!」
まだまだくっつきそうにない。よりストーカー臭い英の回でした。
本田さんを出したいという欲求に負けた。
兄さんは出てくる度に可哀想な目にあってる気がします(09/24)